『劇場版モノノ怪 唐傘』感想:大奥で現代社会の複雑性を描く

劇場版モノノ怪唐傘
星島てる
アニメ好きの20代。ライターで生活費を稼ぎながら、アニメ聖地の旅に出ている者です。アニメ作品の視聴数は600作品以上。

2024年8月23日、『劇場版モノノ怪 唐傘』を鑑賞した。

本作は2007年に放送された『モノノ怪』の続編なので、約17年ぶりということになる。クラウドファンディングでは6,000万円以上集めていることから、根強い人気があるのは間違いない。

アニメ制作は、前作の東映アニメーションからツインエンジンに変更されている。

目次

『劇場版モノノ怪 唐傘』の評価

※ネタバレ注意!

作画94点
世界観・設定・企画90点
ストーリー87点
演出91点
キャラ85点
音楽90点
※個人的な評価です

作画

前作から17年ぶりということで、作画の雰囲気は大きく変わっている。具体的には、キャラクターデザインが現代的になった。前作のような漫画的な表現は抑えめで、本作では、若干の萌え要素が見受けられる。

また、多くの予算を集めることに成功したためか、大量のアニメーターを獲得できているので、全体的にめちゃくちゃ動く。もちろん3DCGとのコンポジットもキマっている。

世界観・設定・企画

舞台は大奥。前作で言うところの『のっぺらぼう』に近いメッセージ性を感じたが、本作の方がキャラが多いし、設定も複雑なので、とにかく難しい。

また、プロデュース面でスタッフが大きく変更されているためか、制作方針もずいぶんと異なるように思う。全体的に現代的になった。

ストーリー

ノンリニア的で、時系列が複雑に絡み合い、かつ、登場人物が多く、それでいて「大奥」という舞台が比較的広いため、ストーリーは複雑だった。しかし、それがまたいいのだ。こういうのは文章では難しい。

演出

キャラクターの動きはもちろんのこと、3DCG、撮影など、あらゆる要素を用いて画を作っている印象を受けた。カットが目まぐるしく変わる上、映画館だから大画面だし、ストーリーも複雑だから、とにかく頭を使う。カット割りが良くも悪くも不自然だから、もう少し疲れないカット割りもたまに欲しいかも……。

キャラ

薬売りの声優が櫻井孝宏から神谷浩史になったが、確かにこのストーリーだと、不倫騒動を起こした櫻井孝宏を起用継続するのは難しい。ヒロインに関しては、キャラデザが萌えに寄り、声優の起用も的確だったので、普通に可愛らしかった。

また、本作はキャラクターの数が非常に多く、おそらく劇場版3本でゆっくりと「理」を回収していくんだと思う。

音楽

最初のOPで痺れた。『モノノ怪』でこういう音楽をやることをずっと待っていた。劇伴が岩崎琢ということで、これはピッタリな人選。岩崎琢の刺激的な劇伴に映像が全く負けてない。

『劇場版モノノ怪 唐傘』の感想

※ネタバレ注意!

大奥こそ、まさに複雑な社会の象徴

本作の舞台は「大奥」だ。

そもそも大奥は、徳川将軍家の血筋を絶やさないために存在した男子禁制の領域のことである。基本的には、徳川家の女性と、その女性を養うための奥女中が住んでいる。

当然、極めて強力な縦社会になっていたのは間違いなく、当時における「社会の縮図」のような場所だったと考えられる。また、言ってしまえば大奥は、将軍がヤる場所だから、それ相応の女性関係の難しさもあるだろう。

ということで、大奥には複雑な問題が眠っていると考えられ、それはまるで、複雑に絡み合った現代社会の諸問題を表しているように思う。

そして、それを今回は、劇場版3本をかけて描こうとしている。本作で描かれた大奥の闇は、まだ表層的なもので、奥深くにはもっと大きな闇がありそうだ。薬売りがそこまで辿り着くには、あらかじめ様々な問題を解決して、大奥の全貌を明らかにする必要がある。

このことから学べるのは、大きな問題というのは大抵の場合複雑で、いくつもの問題が絡み合っているということである。これまでの『モノノ怪』のように、一発で解決できることはないのだ。

思えば、これまでの『モノノ怪』はあくまでも個人的な問題だけで、本作のような組織的な問題を取り扱ったことはなかった。

唐傘とは一体何なのか?

本作のモノノ怪の正体である「唐傘」とは一体なんだろうか。

まず、先ほども述べた通り、大奥という舞台が極めて複雑な社会であり、これがまるで現代社会を象徴していることを理解する必要がある。大奥は、特殊な信仰が根付いており、これに従わないと出世することができない。そのためには、自分の大事なモノを犠牲にしてまで、大奥に馴染む必要がある。

このくだりは、TVアニメの『のっぺらぼう』に通ずる部分がある。自分の幸せを重視すべきか、それとも社会構造に馴染むために自分を捨てるべきか。この葛藤が、本作のテーマになっているように思う。

さて、今回の主要人物であるアサとカメは、まあ間違いなく「雨(アメ)」と「傘(カサ)」からネーミングされていると思うが、この2人は両極端の立ち位置にある。簡単に言えば、アサは大奥に向いていて、カメは不向き。

そして物語が進むと、アサは大奥のためにカメを切り捨てる必要が出できてしまう。しかし、アサにとってカメは大切な存在。

大奥に入るとき、何か大切なモノを捨てる必要があったが、アサには既に「大切なモノ」がなかったら。だが、大奥での生活を通じてカメが「大切な存在」になってしまう。やはり、大奥で生きるためには、大切なモノを捨て切らなければならないのか。

そして、2ヶ月前に開催される予定だった餅引きを担当するはずだった北川も、アサと同じような境遇に陥った。北川は大切な友人を切り捨てていて、その後悔から井戸へ身投げしてしまう。そしてそれが「唐傘」というモノノ怪になってしまったのだ。

本作は、それを潤いと渇きで表現している。自分を捨てて大奥に馴染んでしまった人は「渇いた存在」であり、だから唐傘の被害に遭った人はミイラになる。

同じく、顔が黒塗りになる演出は、言わば「大奥モード」と言ったところだろうか。自分を捨てているときに、顔が失われるのだが、これは『のっぺらぼう』と同じことをやっている。

そして当然、これは僕たちが住む世界を象徴している。自分の意思を捨てて、ひたすら謝り続ける冴えない会社員とか、その典型だと思う。

さいごに

今回の『劇場版モノノ怪』は、三部作展開らしく、2025年に『火鼠』が公開されるようだ。こちらも楽しみにしておこうと思う。

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