今回は『劇場版ポケットモンスター セレビィ 時を超えた遭遇(以下、セレビィ時を超えた遭遇)』について語っていく。
劇場版第4作目となる『セレビィ時を超えた遭遇』は、2001年に上映された。アニメ制作はOLMが担当している。なお、ポケモン映画の中だと『セレビィ時を超えた遭遇』が最後のセル画アニメとのことだ。
『セレビィ時を超えた遭遇』の評価
※ネタバレ注意!
作画 | 82点 |
世界観・設定 | 80点 |
ストーリー | 75点 |
演出 | 70点 |
キャラ | 75点 |
音楽 | 75点 |
作画
今回が最後のセル画とのこと。それにしてもやはり、ポケモンの動きがとても良い。セル画で奥行きのある動きはかなり難しいと思うけれど、『セレビィ時を超えた遭遇』では積極的に奥行きを活用していたように思える。
また、これまで以上に3DCGが活用されていた。当時の時代性を考えると、この3DCGのクオリティの高さは中々だったのではないだろうか。実際、エンディングのクレジットをみても、かなりの量の3DCGクリエイターが投下されている。
世界観・設定
『セレビィ時を超えた遭遇』は森が舞台。そして人間の手による自然破壊がテーマになっていたように思える。たしかちょうどこの頃、地球温暖化問題が浮き彫りになったんだっけ?
また、タイムスキップという大胆な設定も盛り込んできた。それが物語に大きな影響を及ぼしているわけではなかったけれど、子どもからしたら刺激的だろう。
ストーリー
ストーリーのクオリティはぼちぼち。そしてこれまでのポケモン映画と比較しても、かなり感動を煽るストーリーだったと思う。そしてとにかくみんな泣く。
演出
先ほども述べた通り、感動を煽るストーリーだったため、それなりにお涙頂戴の演出が用いられていたように思う。個人的には特に涙が出ることもなかった。
キャラ
よくよく考えてみると、これまでのポケモン映画のメインポケモンは全て伝説or準伝説のポケモン(ミュウツー、ルギア、エンテイ)で、幻のポケモンではなかったと思う。だがら今回の『セレビィ時を超えた遭遇』は、メインポケモンが幻だった初めてのポケモン映画ということになる。あらためて考えると、これはちょっと意外。
音楽
劇伴などの音楽は、まあ普通。もう少し森っぽい曲が欲しかったところだ。
そして主題歌は藤井フミヤの『明日天気にしておくれ』だ。あいかわらずアーティストは豪華すぎる。
『セレビィ時を超えた遭遇』の感想
※ネタバレ注意!
「遭遇」よりも「別れ」を印象的に描く
『セレビィ時を超えた遭遇』は、タイトルに「遭遇(であい)」という単語が含まれている。たしかに本作は「出会い」が強調されていた。物語冒頭でスイクンが登場したあと、サトシは「もっと珍しいポケモンに会えないかな?」と口にしていたと思う。
だが実際のところ『セレビィ時を超えた遭遇』では、「遭遇」よりも「別れ」の方が印象的だった。そもそもこれまでのポケモン映画で、「別れ」がエモーショナルに描かれたわけではなかったからだ。ミュウツーもルギアもエンテイも、別れが感動的に描かれたわけではなかった。
しかし『セレビィ時を超えた遭遇』では「別れ」がかなりエモーショナルに描かれている。
例えばセレビィが死にかけてしまうところ。それと、ユキナリが過去に戻るシーン。どちらもエモーショナルな別れだった。
この後、ポケモン映画は『水の都の護神ラティアスとラティオス』と『七夜の願いの星ジラーチ』というように、「別れ」をエモーショナルに描く作品が続いていく。そしてその先駆けとなった作品として『セレビィ時を超えた遭遇』を位置付けることができると思う。
ギャルゲーが背景にあるのか?
『セレビィ時を超えた遭遇』が上映された2000年代前半という時代は、アニメ史(オタク史)において相当な暗黒時代だったと僕は認識している。その中で唯一活路を見出していたジャンルが、恋愛アドベンチャーゲームであり、美少女ゲームであり、ギャルゲーだ。
もしギャルゲー好きに「ギャルゲーの全盛期はいつか?」と問えば、間違いなく2000年代前半と答えると思う。
当時のギャルゲーは、ただエロいだけではなく、感動もメインテーマになっていた。その影響もあり、優れたアニメの要素として「どれだけ泣けるか?」というのが共通認識になり始めた時代だったのだと思う(当時の僕は幼児だったので、これは推測にすぎない)。
そして「このギャルゲーのムーブメントがポケモン映画にも影響を及ぼしたのではないか?」というのが、僕の持論だ。もちろん僕は、当時の雰囲気を知る由もない年齢だった。けれども、この推測はあながち間違っていないのではないかと僕は思う。
さいごに
『セレビィ時を超えた遭遇』の次は『水の都の護神ラティアスとラティオス』だ。ポケモン映画の中でも名作として挙げられる作品なので、とても楽しみ。視聴次第、ブログにしたいと思う。