今回は『Buddy Daddies』について語っていく。
『Buddy Daddies』はP.A.WORKSによるオリジナルアニメ作品で、2023年冬クールに放送された。アニメ制作はもちろんP.A.WORKSが担当している。
『Buddy Daddies』の評価
※ネタバレ注意!
作画 | 79点 |
世界観・設定 | 75点 |
ストーリー | 80点 |
演出 | 75点 |
キャラ | 78点 |
音楽 | 70点 |
作画
作画のクオリティはまずまず。いつも通りのP.A.WORKSという感じだ。ただし、これまでのPA作品ではあまり登場しなかった幼女キャラが、ちゃんと可愛く、かつ柔らかく描かれている。あと、やっぱり表情の描き方が安っぽくならないのがP.A.WORKSの強み。
世界観・設定
殺し屋の青年2人が幼女を養うという世界観。多分、男性よりも女性層がターゲット。そして家族の在り方について描かれていて、これは『SPY×FAMILY』に少し似ている。ただし『Baddy Daddies』の方がメッセージ性を感じる。
ストーリー
中盤まではコミカルな要素が強い。終盤も死人が続出して中々ハードな展開だったけれども、一騎と零の戦闘シーンがコミカルなので、やっぱり終始楽しい気分で視聴できる。
演出
まずギャグシーンの演出が良い。元々のギャグがいいこともあるけれど、かなり派手な演出が採用されているのでわかりやすい。また、やはり心情描写が繊細で、画でメッセージを示してくる感じがP.A.WORKSらしいなぁと思う。ただし2010年代前半の全盛期に比べると……という感じもする。
キャラ
キャラはかなり良い。一騎と零と久太郎は明らかに女子ウケしそうな感じ。特に久太郎は人気があるだろうなぁ。また、ミリも”萌え幼女”という雰囲気が少なく、”おてんばの女の子”というイメージの方が強いので、多くの人に好感を抱かれやすいキャラだと思う。
そして何よりも杏奈が良い。何が良いかというとぽっちゃり体型である点だ。『Buddy Daddies』は明らかに体型を意識している。ミリの母親である海坂美咲が痩せ型だったのに対し、JKになったミリはちょっとムチっとしていた。こういう魅せ方もあり。
音楽
OPとEDはまずまず。それよりも劇伴が印象的で、まるで『ルパン三世』のようだった。
『Buddy Daddies』の感想
※ネタバレ注意!
家族の”血”より大事なもの
『Buddy Daddies』が家族をメインテーマにしているのは、ほぼ間違いないだろう。「家族の在り方」みたいなものを問題提起していると思う。それを”殺し屋”と組み合わせるのは相当なファンタジーだが、まあ、見ていて楽しい。
さて、『Buddy Daddies』では様々な家族が登場した。ザッと以下の通りだ。
- 一騎と零とミリ
- 零と諏訪家当主
- ミリと美咲
ここで注目したいのは、やはり「一騎と零とミリ」だ。「零と諏訪家当主」と「ミリと美咲」は血縁関係にあるが、「一騎と零とミリ」は血縁関係にない。
これは『SPY×FAMILY』と同じような家族構成だ。ここ最近は「血縁関係を超えた家族愛」を描く作品が多くの人に受け入れられているように感じられる。それはつまり、社会全体(特に若者)が、家族の在り方について深く考えるようになったということでもある気がする。ただなんとなく結婚して子どもを作るのではなく、結婚しなかったり子どもを作らなかったりする選択肢もあるし、養子を受け入れてもいいはずだ。実を言うと、日本(というより日本人)は他国に比べて養子制度が受けいれられていない。様々な理由が考えられるが、その理由の1つに、血縁関係を重視する国民性があると思う。
そんななか登場したのが『SPY×FAMILY』であり、『Buddy Daddies』だ。『Buddy Daddies』は明らかに『SPY×FAMILY』を意識しているが、『SPY×FAMILY』よりもメッセージ性のある内容となっている。最終的なラストが「一騎と零とミリ」の3人だったのも印象的だ。ストーリーの流れで見ると、あえて別れ離れにして感動を誘うという展開も考えられたけれど、それでも「一騎と零とミリ」のラストを選んだということは、そういうことだと思う。
なぜ殺し屋の世界を描いたのか?
『Buddy Daddies』が家族愛の在り方をテーマにしているのはなんとなくわかるとして、なぜ殺し屋の世界を描いたのだろうか。僕はこの問題について、少し深く考えた。
単純に「企画が面白そうだから」というのが最も考えられる例だ。たしかに「イクメン×殺し屋」の組み合わせは中々強烈。
でも、それだけじゃないと思う。僕はちょうど『文豪ストレイドッグス』を視聴していたので、太宰治のこんなセリフを思い出してしまった。
表の世界、光の世界では、死は日常から遠ざけられ隠蔽されるのが普通だ。忌まわしいものだからね。
『文豪ストレイドッグス』より引用
でもマフィアの世界では違う。死は日常の延長線上であり、一部だ。
そして僕は多分、そっちの方が正しいんじゃないかと思う。何故なら、『死ぬ』は『生きる』の反対じゃなく、『生きる』に組み込まれた機能のひとつに過ぎないからだ。
息をし、食事をし、恋をし、死ぬ。
死を間近で観察しなくては、生きることの全体像は掴めない。
『Buddy Daddies』も、これではないだろうか。殺し屋の世界では「死」が日常にある。だからこそ、より「生」が強調される。『Buddy Daddies』ではミリが「生」の象徴的存在だった。ミリを健やかに育てるために、一騎と零はもちろんのこと、ミリの母親の美咲も命を懸けていた。
そう考えると、最強の殺し屋として登場した小木埜了が、物語において非常に重要なキャラクターだったことがわかる。小木埜は、標的が死ぬ直前の言葉を収集するというとんでもない趣味を持つ。彼は、人生の最期に放った言葉に魅力を感じているのだ。だがこれは言い得て妙で、たしかに人生の最期に放つ言葉というものは、その人の人間性をよく表していることが多い……と思う。これほどまでに「死」との距離が近いからこそ、「生きる」ことを実感できるのかもしれない。
そして基本的に「生」と「死」を見届けることができるのは、大抵の場合、家族だけだ。家族とは「生」と「死」を凝縮した共同体なのかもしれない。その点が組織とか企業とかとは明らかに違う。たしかに葬式は色んな人を巻き込むケースが多いが、”死ぬ瞬間”に立ち会うことができるのは、やはり家族だけだと僕は思う。
おそらく今後は、家族の在り方や「死」についての考え方を改めなければいけない時代が到来すると、僕は強く思う。なぜなら、テクノロジーの発展によって、寿命格差が起こる可能性があるからだ。そういったときに『Buddy Daddies』や『SPY×FAMILY』を通じて深く考えることは、大切なことのように思える。
さいごに
ここ最近のP.A.WORKSは、少しずつではあるが、女性ファンにシフトしていっているような気がしている。全盛期である2010年代は、明らかに男性ファンがメインターゲットだった。しかしここ最近は『A3』のように、男性ファンよりも女性ファンに焦点を当てた作品を展開している。
しかしP.A.WOKRSの根幹部分が変わることはない。たしかにここ最近は強烈な企画が多いものの、安っぽい感動ではなく、アニメーションだからこそできる感想を追求し続けていると思う。
2023年春クールからは『スキップとローファー』が放送される。こちらもとても楽しみだ。