【アラーニェの虫籠&アムリタの饗宴の感想】個人が長編アニメ作品を作る時代

アラーニェの虫籠アムリタの饗宴

今回は『アラーニェの虫籠』と『アムリタの饗宴』について語っていく。

両作品とも坂本サクの個人制作によるアニメーション作品で『アラーニェの虫籠』は2018年、『アムリタの饗宴』は2023年に劇場公開された。

目次

『アラーニェの虫籠&アムリタの饗宴』の評価

※ネタバレ注意!

作画80点
世界観・設定80点
ストーリー75点
演出75点
キャラ70点
音楽75点
※個人的な評価です

作画

個人でここまでのクオリティに仕上げているのが驚き。おそらく3DCGやモーフィングを用いることで、作画作業を省力化していると考えられる。特に『アムリタの饗宴』の仕上がりが素晴らしい。一般的な手描きアニメとほとんど遜色がないレベルに到達している。

実際、キャラの動きは本当に商業アニメに太刀打ちできるレベルだった。あとはキャラクターデザインだけれど、これは純粋に個人のスキルが求められる分野である。そういう意味では、外注などで普通にクリアできる課題だ。

世界観・設定

そういえばアニメ作品においてホラー作品はほとんど存在しない。ということで僕自身、久しぶりにホラー作品を視聴した。

設定に関しては個人的に好きではないのだけれど、ホラー作品としては普通に面白かった。

ストーリー

ホラー作品は、なんだかんだでミステリー要素やサスペンス要素が含まれるものである。『アラーニェの虫籠』と『アムリタの饗宴』も、どちらも謎解き要素が含まれていて、その内容が割とSFチックだった。

特に『アムリタの饗宴』のストーリーの作り方は個人的に好き。タイムリープ×ホラー×青春をミックスさせている。

演出

どちらも視聴者を驚かせる(怖い意味で)演出が多用されていた。映像を手ぶれさせたり、視線誘導を用いたりなど。ホラー作品は、映像の構図を工夫することで恐怖を演出しなければならないジャンルであることを学べた。また、音楽の使い方も良い。

それに3DCGを活用しているため、カメラワークの柔軟性が高かったのも印象的だった。『アムリタの饗宴』の冒頭のようなカメラワークは、一般的な手描きアニメーションには難しい。

キャラ

キャラはぶっちゃけ普通。個性が強いというわけではない。まあ、こんなものだろう。『アラーニェの虫籠』も『アムリタの饗宴』も、ストーリー・設定・映像演出に重きを置いた作品だった。

音楽

作画・脚本を両立させるクリエイターは数多いが、音楽までこなすクリエイターはほとんどいない。そう考えると坂本サクが非常にポテンシャルのあるクリエイターであることがわかる。

それで、なぜこれまでのアニメでホラー作品が少なかったと言われれば、音楽と映像をしっかり連携させなければならなかったからだ。これは、従来のアニメ制作では対応できない。音楽と映像を作る人が分けられているからだ。

そう考えると『アラーニェの虫籠』も『アムリタの饗宴』も、個人だからこそできるアニメだと言えるかもしれない。

『アラーニェの虫籠&アムリタの饗宴』の感想

※ネタバレ注意!

個人で長編アニメ作品を作れる時代

僕は現在、ANITABIというメディアを運営している。このANITABIは「アニメの民主化」と「生産的なヲタク文化の醸成」をミッションにしているのだが、まさに『アラーニェの虫籠』と『アムリタの饗宴』が、「アニメの民主化」と合致している。

現在は誰もが高品質の動画を撮影・編集することができる時代だ。今となっては、卒業ムービーや結婚式の動画を個人で制作するのは当たり前になっているが、これは従来では考えられないことだった。

また、iPhoneでも4K動画を撮影でき、家電量販店で販売されているカメラがシネマカメラに引けを取らないぐらいの性能が向上しているため、個人でハリウッド並みの映画を制作することも可能になっている。

そして、これと同じようなことがアニメにも起こるのではないかと僕は考えている。個人(またはチーム)で制作するアニメが、商業アニメに太刀打ちできる時代だ。

実は個人によるアニメ制作は2002年に公開された『ほしのこえ(新海誠作品)』から始まっている。たしかに『ほしのこえ』は素晴らしい作品だったが、結局、新海誠は大規模なリソースを用いて作品を制作している(もちろん、これも素晴らしいことだが)。

だから今回の『アラーニェの虫籠』と『アムリタの饗宴』は、僕としては非常に印象的な作品だった。どちらもホラー作品であり、先ほど述べた通り、ホラー作品は個人制作だからこそできるジャンルと言える。

それでいて、クオリティもかなり高い。おそらく『アラーニェの虫籠』と『アムリタの饗宴』は、一般的な作画作業をあまり用いず、2Dモーフィングなどの技術を活用したのだと考えられる。特に『アムリタの饗宴』に関しては、違和感をほとんど感じなかった。

『アラーニェの虫籠』から『アムリタの饗宴』までで5年の月日が経過している。もちろんこの5年の間に坂本サクの技術力が向上したのだと思うが、それ以上に、テクノロジーがしっかり進化しているのが大きいと思う。コンピュータを用いる作画作業は、コンピュータの進化に比例する形で、生産性が向上する。

このペースでコンピュータが進化していくと、2030年ごろには商業アニメに太刀打ちできる個人制作アニメが登場するのではないだろうか。

考察しがいのあるホラー

『アラーニェの虫籠』も『アムリタの饗宴』も、考察のしがいがあるストーリーだった。ハリウッド映画のようなシンプルさはなく、非常に複雑で、様々な視点で物語を追わなければ、完全に理解することはできないだろう。実際、僕もあまりよくわかっていない。笑

『アラーニェの虫籠』に関しては、りんが”どっちのりん(以下、黒髪りんと金髪りんに略す)”なのかという点が気になるところである。とりあえず、あの回想シーンは全て真実だと考えた方がいい。そうすると、過去に黒髪りんが金髪りんを階段から突き落とし、昏睡状態にさせてしまったのだと解釈できる。その影響で黒髪りんが自己嫌悪的な状態に陥り、金髪りんになりすますようになる。メインヒロインのりんの正体は黒髪りんであり、ラストで昏睡状態から目覚めたのが金髪りんなのではないだろうか。だから『アラーニェの虫籠』は、決して夢オチなんかではない。

そう考えると、あのベビーカーを引いている長髪の女性は黒髪りんの母親だと解釈できる。ラストで黒髪りんが長髪の女性を刺しているのも、過去からの脱却だと解釈できるのではないだろうか。

『アラーニェの虫籠』の重要人物である奈澄葉は、りんによる幻想の可能性が高い。というか、ストーリーの大部分はりんの幻想なのだと思う。これは、精神薬を常飲していることから推察できる。個人的には、手ぶれの演出が用いられているシーンのほとんどが、りんの幻想なのではないかと考えている。

……まあ、ざっくりと考察してみたが、『アラーニェの虫籠』も『アムリタの饗宴』も『ひぐらしのなく頃に』を彷彿とさせるストーリーだった。日本式のホラーアニメ作品は、考察しがいがあるのが面白い。

さいごに

今後は個人制作による芸術的なアニメーション作品もガンガン視聴したいと思っている。それこそアニメーション映画祭でグランプリを受賞するような作品だ。これらの作品に「アニメの民主化」のヒントが落ちているような気がしてならない。

もちろん坂本サク監督の次回作も、心待ちにしたいと思う。

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