今回は『カンピオーネ! 〜まつろわぬ神々と神殺しの魔王〜(以下、カンピオーネ!)』について語っていく。
『カンピオーネ!』は丈月城によるライトノベルが原作で、2012年夏クールにTVアニメが放送された。
アニメ制作はディオメディアが担当している。
『カンピオーネ!』の評価
※ネタバレ注意!
作画 | 69点 |
世界観・設定 | 65点 |
ストーリー | 60点 |
演出 | 50点 |
キャラ | 50点 |
音楽 | 70点 |
作画
「意外に作画は悪くなかった」というのが僕の第一印象だった。割とマイナーな作品だと思うし、アニメスタジオもディオメディアだったから、作画が微妙なのかなぁと思っていたけど、普通に作画は安定しているし、見せ場ではフルアニメーションが用いられている。2012年という時代を考えると、十分に視聴に耐えられる作画だったと思う。
世界観・設定
神話がベースになっているありがちな設定。『とある魔術の禁書目録』を少し彷彿とさせる。『カンピオーネ!』がどこまで踏み込んでいるのかはわからないが、僕が視聴中にたまたま呼んでいた『ホモ・ルーデンス』と重なる部分もあり、もし『ホモ・ルーデウス』をベースに世界観を作ったのだとしたら、中々だと思う。
ただし、全体的に世界観がレトリックすぎる感じはある。
ストーリー
先ほども述べた通り、世界観がレトリックすぎることもあって、バトルのルールみたいなものもレトリックに頼っている部分があった。これは小説という文章メディアだったらそれなりにおもしろくなると思うけど、このおもしろさをアニメという映像メディアで表現するのは中々難しい。
とはいえ、全体的なストーリー構成は悪くなかった。「原作5巻分を1クールのアニメにする」という無茶なオーダーに対して、相当に上手くやれてたと思う。
演出
演出は普通。特別こだわりがあるわけではなく、強いて言うなら、ところどころで”さりげないエロ”を散りばめていたぐらいだ。
でも、それだけ細かい演出をこなすほどに、現場では最低限の余裕があったということなのだと思う。
キャラ
後述するけれど、結局ライトノベルはキャラが命で、その点で『カンピオーネ!』は相対的に微妙だと思う。やはり『とある魔術の禁書目録』などの作品に比べて、キャラが弱い。世界観を作り込むのと同じぐらい、キャラも作り込んでいく必要があるということなのだろう。
音楽
元々は小倉唯のタイアップ曲を聴くために『カンピオーネ!』を視聴した経緯がある。ということでEDの『Raise』は中々良かった。また、OPの『BRAVE BLADE!』も2010年代前半のアニソンって感じで中々にいい曲。
『カンピオーネ!』の感想
※ネタバレ注意!
キャラが世界観に負けてる
結局、こういうことなんだと思う。
『カンピオーネ!』を視聴しながら、僕は『とある魔術の禁書目録』のことを考えていた。『カンピオーネ!』と『とある魔術の禁書目録』はとてもよく似ている。神話と魔法を現実世界に落とし込んだ世界観、なんだかんだで最強な主人公、ヒロインがたくさん登場。そして何よりも、相手の正体やバックグラウンドを解き明かしながら戦っていくスタイルが非常によく似ていると思う。本当に『カンピオーネ!』と『とある魔術の禁書目録』は良く似ている。多分『カンピオーネ!』が『とある魔術の禁書目録』に影響された、ということなのだろう。
ただし、人気度で言えば圧倒的に『とある魔術の禁書目録』の方が人気だ。そしてぶっちゃけて言えば『とある魔術の禁書目録』の方が断然におもしろい。ではなぜ『とある魔術の禁書目録』の方が強いのか。『カンピオーネ!』をみながら色々と考えた結果、やはりキャラの魅力に尽きるのではないかと思う。
『とある魔術の禁書目録』は、キャラの魅力度がずば抜けている。主人公の上条当麻はもちろんのこと、ヒロインは御坂美琴とインデックスがいて、最強の敵役である一方通行もいて、サブキャラの土御門元春、ステイル=マグヌスも非常に魅力的だ。それぞれのキャラは”魔術”や”超能力”といった特別な設定があるけれど、それに負けないぐらい、きゃらの魅力度が高い。
一方の『カンピオーネ!』は、たしかに世界観はおもしろいけれど、キャラの魅力度が高いかと言われると、なんとも言えないところである。正直『とある魔術の禁書目録』における土御門元春にすら、太刀打ちできないレベルなのではないかと思う。
つまり『カンピオーネ!』のキャラは、魅力的な世界観に押しつぶされているのだ。もちろん、SF作品のように世界観でメッセージ性を打ち出していく作品なら「キャラ<世界観」でも成立するかもしれない。しかしライトノベルは、やはりキャラが命だ。最低でも「キャラ≧世界観」の図式に持っていく必要がある。『カンピオーネ!』は、その領域にまで持っていけなかったのではないかと思う。
『ホモ・ルーデンス』とまつろわぬ神々
僕は『カンピオーネ!』を視聴するのと同じタイミングで『ホモ・ルーデンス』を読んでいた。『ホモ・ルーデンス』はオランダの歴史学者・ホイジンガの書籍で、タイトルのホモ・ルーデンスは”遊ぶ人”という意味がある。ホイジンガは「遊びは常に文化を先行している」として、人間の「遊び」が文化の根源にあることを本書で主張している。
ホイジンガによれば、ルールに縛られている世の中のあらゆることが「遊び」なのだという。例えば、祭式、裁判、戦争、競技などが「遊び」に該当する。
そして『カンピオーネ!』に登場する神々は、”まつろわぬ”とタイトルにある通り、好き勝手やりたいように遊んでいるように見える。主人公の草薙護堂が「神様の方が人間らしいんじゃないか」と口にしていたのが、個人的に印象的だった。そして何よりも、草薙護堂自身が「神々との戦い」という遊びを最大限遊んでいるように見える。
先ほども述べた通り、ホイジンガに言わせてみれば、戦争は「遊び」なのだと言う。そもそもホイジンガは「遊び」の定義について以下のように述べている。
遊びは自由な行為であり、「ほんとのことではない」としてありきたりの生活の埒外にあると考えられる。にもかかわらず、それは遊ぶ人を完全にとりこにするが、だからといって何か物質的利益と結びつくわけでは全くなく、また他面、何かの効用を織り込まれているものでもない。それは自ら進んで限定した時間と空間の中で遂行され、一定の法則に従って秩序正しく進行し、しかも共同体的規範を作り出す。それは自らを好んで秘密で取り囲み、あるいは仮装をもってありきたりの世界とは別のものであることを強調する。
『ホモ・ルーデンス』より引用
特に注目すべきは「一定の法則に従って秩序正しく進行」という部分だ。仮に、もし本当に戦争で相手国を滅ぼしたいのであれば、奇襲などの手段を問わない方法で攻めてしまえばいい。だが不思議なことに、戦争には「戦時国際法」という国際法が存在し「民間人や病院を攻撃してはいけない」などのルールが定められている。そしてホイジンガは「ルールを破ると遊びが成立しない」とも言っており、つまり手段を問わない方法で相手国を滅ぼす行為は、遊びに該当しない。
話がごちゃごちゃしてきたが、この「戦争=遊び」の概念は『カンピオーネ!』でも同じことが言えるのではないだろうか。それこそ草薙護堂が神々と戦う時に”いい顔”をするのも、彼にとって神々との戦いが最高の遊びだからで、だからこそカンピオーネに相応しいのかもしれない。
さいごに
こういったマイナーな作品を掘り当てていくのもアニメ鑑賞のおもしろさの1つだ。
まあ、マイナーな作品を見るよりも、まずはメジャーな作品を見た方が期待値が高いのは間違いなく、ディオメディア制作だったら『侵略!イカ娘』を見る方が確実だろう。
ということで、当分はメジャーなアニメを可能な限り見ようと思うけど、たまにはこういった寄り道も悪くないものである。