『ふれる。』感想:ハリネズミのジレンマとサイバネティックス

ふれる。
星島てる
アニメ好きの20代。ライターで生活費を稼ぎながら、アニメ聖地の旅に出ている者です。アニメ作品の視聴数は600作品以上。

2024年10月4日、『あの花』や『ここさけ』を手がけた超平和バスターズの最新作『ふれる。』が上映された。ということで早速映画館で視聴した。

一応クレジットには超平和バスターズは記載されていなかったが、相変わらず”らしい”作品だった。

目次

『ふれる。』の評価

※ネタバレ注意!

作画85点
世界観・設定・企画87点
ストーリー88点
演出88点
キャラ85点
音楽82点
※個人的な評価です

作画

新海誠作品のような派手さはないかもしれないが、全体的に作画のクオリティは高く、隙が全くない。常に失敗しない感じで、見ていてストレスを感じなかった。これは、岡田麿里の脚本を引き立てるためだと思う。

世界観・設定・企画

これまでの『あの花』『ここさけ』『空青』は「自分の気持ちを正直に伝える!」というテーマを直球で描いていた。でも今回の『ふれる。』は一味違くて、一周回ってちょっとSFっぽい。サイバネティクスな感じがする。ミステリー要素を入れてたのもめちゃくちゃいい。

そして何よりも、なんと秩父じゃない!

多分、超平和バスターズをクレジットに入れなかったのも、秩父が舞台じゃないからだと思う。

ストーリー

さすが岡田麿里さん。超仕事人。ストーリーはほぼ完璧で、これまでの超平和バスターズ作品の中で一番面白かったかも。これはもしかしたらプロデュースの川村元気の力量もあるかもしれない。

話の内容的に終盤の展開がどうしても難しくなるけど、中盤までのヒューマンドラマは最高すぎた。

演出

映画的なカット割りが多いイメージ。作画でゴリ押しするわけではなく、あくまでもストーリーとかキャラクターへの感情移入のために映像を作ってる感じ。おかげさまで、ずっと作品に集中できた。

キャラ

今回の主人公3人は永瀬廉、坂東龍汰、前田拳太郎という芸能人が声を務めているのだが、演技がめちゃくちゃいい。特に永瀬廉が務める小野田秋は人気やばそう……。

実際に、キャラはいいところを突いていて、なんか個人的にはちょっと『天気の子』っぽさを感じた。

音楽

主題歌はYOASOBIの『モノトーン』ということで、それに伴って劇伴も電子音が多かった印象を受ける。これは推測だけど、本作のテーマはどう考えてもサイバネティクスだから、それを意識したものになっているのではないだろうか?

『ふれる。』の感想

※ネタバレ注意!

めちゃくちゃワクワクするストーリー

これまでの超平和バスターズ作品や『あの夏で待ってる』などの作品を見てきたこともあって、今回も「コミュニケーション」がテーマになっているのはわかる。問題はどう描くかだが、本作は「お互いの意思疎通がスムーズ」という全く新しい切り口で物語が始まった。

序盤は、とにかく幸せそうな生活が描かれる。コミュニケーションの齟齬がなく、3人はずっと仲良し。『新世紀エヴァンゲリオン』で描かれた「ATフィールドのない世界」とはこういうことなのだろうか?

でも、ヒロインの2人との同居生活が始まるところから、少しずつ不穏な空気が流れ始める。ここで、いくつかの伏線が見受けられたことから、少しずつ僕の頭の中で考察が始まっていく。映像もナチュラルな演出が多いから、作品にしっかり集中できる構造になっている。

そしてどうやら「ふれる」が、3人の悪意を完全に排除した上で意思疎通の媒介をしていることがわかった。真っ白のはずだった3人だが、実はちゃんと黒い部分もあったのだ。そこから人間不信が始まり、徐々に泥沼展開に陥っていく。この辺のくだりも『とらドラ!』らしさを感じる。正直、一番面白かったのは、この泥沼展開のヒューマンドラマだ。昼ドラを見る気分にさせられる。

しかし、こうしてストーリーを楽しむことができたのも、全ては「お互いの意思疎通がスムーズ」という状態から物語が始まったのが全てだと思う。これは一見すると「ATフィールドのない世界」であり、ちょっとSF的に言えばサイバネティックスに近い。

サイバネティックスとは人間を含めた動物と機械を並列に置いて、それぞれの意思伝達などの理論を研究する学問のことである。極論を言えば、人間と機械が融合し、言わば超能力のようにコミュニケーションを取れるようになったときに、どうなるのか、という学問だ。おそらく近い将来、僕たちの脳内にコンピュータが埋め込まれ、言葉にしなくても意思疎通できる未来がやってくる。もちろん、その過程で悪意を排除することもできるだろう。

そうなったときに、もしかしたら『ふれる。』のような問題が、社会問題になるのかもしれない。ATフィールドのない世界とまではいかない中途半端な状態は、かえって人間不信を加速させることになるのかも。まあ既にSNSが、人々を人間不信に落とし込んでる気もするが。

『ふれる。』のメッセージは「ふれる」に眠っている

『ふれる。』から得られる教訓は、いくつかあるだろう。

言葉にする必要のない世界はそんなに良くないとか、SNSにハマりすぎちゃだめとか、やっぱりプライベートな空間は必要とか、始まりのきっかけはなんでもいいとか、男はやっぱり馬鹿とか、とにかくたくさんある。

でも僕が思うに、『ふれる。』の最大の見せ場であり、最も難しい場面でもあったのが、終盤で秋が”ふれる”を助けようとするシーンである。物語的に”ふれる”を助けないといけないのはわかるが、このシーンに一体どういうメッセージ性があるのだろうか?

これも色々考えられる気がするけど、やっぱり過去肯定ということになるのだろうか。秋と諒と優太の3人が出会ったきっかけは、間違いなく”ふれる”で、その”ふれる”を助けることは、過去肯定ということになるだろう。

……

今、ふと思い出したのだが、そういえば”ふれる”はハリネズミだったではないか!

ハリネズミと言えば、僕が真っ先に思い出したのが「ハリネズミのジレンマ」である。ハリネズミのジレンマは「近づきたいのにお互いを傷つけてしまうために近づけない」というジレンマを表したものだ。当然、本作における重要なキーワードになっている。

んで、そのハリネズミである”ふれる”を助け出したということは(白くなってトゲ無くなったけど)、もしかしたら痛みを受け入れるということなのかもしれない。

さいごに

『ふれる。』は個人的にかなり好きな作品で、SF要素がちょっと入ってたのがよかったと思う。それにしても秩父が舞台じゃないのはちょっと驚きだが、舞台を変えるだけで、やはり作品の幅が広がる。次回作も多分あるだろうから楽しみだ。

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