『機動戦士ガンダム』感想:ニュータイプとヒッピームーブメント

機動戦士ガンダム
星島てる
アニメ好きの20代。ライターで生活費を稼ぎながら、アニメ聖地の旅に出ている者です。アニメ作品の視聴数は600作品以上。

今回は『機動戦士ガンダム』について語っていく。

もはや説明不能かもしれないが、『機動戦士ガンダム』は1979年から放送されたテレビアニメで、富野喜幸が監督を担当している。

アニメ制作はサンライズが担当した。

目次

『機動戦士ガンダム』の評価

※ネタバレ注意!

作画78点
世界観・設定・企画93点
ストーリー87点
演出85点
キャラ88点
音楽85点
※個人的な評価です

作画

1979年のテレビアニメということで、流石に現代アニメよりクオリティが低い。動きは単調だし、セル画の汚れが目立つ。でも、良い意味で言えば、味がある。実際、映像を見ていて飽きることはなかった。

世界観・設定・企画

本作では、地球連邦軍とジオン軍に勢力が別れていて、この2つの勢力が戦争をしている。僕は『機動戦士ガンダムSEED』だけ見たことがあって、やはり基本的には地球軍VS宇宙軍の構図。宇宙軍は、科学技術に優れていて、選民思想に偏る傾向もある。

一方で本作においてめちゃくちゃおもしろかったのが、ニュータイプだ。モビルスーツを始めとする科学技術は西洋的なものだと思うが、ニュータイプは内的な進化で、これは東洋的な要素が強い。映像も、70年代のヒッピームーブメントに繋がるサイケデリックなものだった。西洋文化と東洋文化が融合した世界観だと思う。

ストーリー

全体として、そして1話単位でも非常におもしろいが、やはりリュウが死亡するところから、劇的に面白くなる。単純な1対1の構図ではなく、複雑な人間関係を描いているのも特徴で、これが後のシリーズ作品に繋がる。

演出

「デジタル」と言う概念が存在しなかった時代で作られたアニメなので、手作業な雰囲気を感じさせられる。だからなのか、本作を見ていると、なんだか自分でもアニメが作れそうな気がしてしまう。実際はとても難しいのだけど、ガンダムをきっかけにアニメ業界に入った人が多いのも頷ける。

キャラ

ほぼすべてのキャラクターに人間味が感じられる。アムロに共感する若者が多いのも、なぜかシャアに憧れてしまうのも、よくわかる。

また、先ほども述べた通り、本作は複雑な人間関係が見どころだ。恋愛でノロケることはないのだが、片想いが垣間見えるシーンなど、ちょっとしたセリフの変化で色々な気づきがある。

音楽

OPの『翔べ!ガンダム』とEDの『永遠にアムロ』は名曲だし、挿入歌の『いまはおやすみ』も個人的にめちゃくちゃ好きだ。流石にメロディーラインが現代的ではないので、心にガツンと響くわけではないけれど、当時の人からしたら相当にエモいのだと思う。

『機動戦士ガンダム』の感想

※ネタバレ注意!

ニュータイプは内的進化

本作は、非常に多くの方々が色々な考察をしているので、作品の世界観や設定に対する深掘りは、このブログでは行わない。その代わりに、本作から感じ取ったことを書きたいと思う。

『機動戦士ガンダム』が放送されたのは1979年だ。当時は、パソコンがほとんど流通していなかったはずなので、人々にとって「コンピューター」は非日常的なものだった。

その頃、米国ではコンピューター革命が起こっていた。1960年代から続くヒッピー・ムーブメントを引き継いだスティーブ・ジョブズを始めとするハッカーが、パーソナル・コンピューターの開発に着手していたのだ。

そもそもパソコンは「政府や大企業が保有するコンピューターを民主化し、誰もがコンピューターを扱えるようにする」という思想によって生まれたガジェットである。これは、政府に対するカウンターであるヒッピー・ムーブメントによる影響が大変大きい。

ヒッピーたちは、LSDを摂取したり、東洋の瞑想やヨガを取り入れたりすることで、トリップを楽しんでいた。常に新しい感覚を求めるために、ヒッピーたちは世界を旅するだけでなく、内的な世界へと潜り込んだ。その際に見られるサイケデリックな光景は、コンピューターの画面に映し出される光景に近いものがあると言う。たしかに、Macの標準の壁紙は、どこかサイケデリックな雰囲気を感じさせられる。

つまりパソコンは、西洋的なテクノロジーと東洋的なカルチャーが融合したことで、1970年代から80年代で誕生するわけだが、それと同時期に『機動戦士ガンダム』という作品が放送されていた点に、僕は改めて衝撃を受けた。

富野監督が、当時の米国事情を知っていたのかはわからないが、テクノロジーの進化系であるモビルスーツと、内的進化を極めたニュータイプが登場する『機動戦士ガンダム』が1979年に放送されているのは、偶然ではないと思うのだ。

ニュータイプになるには?

富野監督は、この『機動戦士ガンダムシリーズ』を通して、人々に「ニュータイプになる方法」を広く伝えることが自分の使命なのだと、様々なメディアで述べていた。

たしかに本作を見ていると、やはり「ニュータイプになること」に大きな意味があると感じさせられた。ニュータイプによるテレパシーのようなコミュニケーションは、共同体感覚に近しいものがある。それに、アムロの超人的な動きを見ると、どういやらニュータイプは、人間の1つの進化系のようにも思える。

では、ニュータイプになるにはどうすべきなのか?

その答えは、本作だけで完全に示されなかったと思うが、ヒントはいくつかあった。

まず、先ほども述べた通り、ニュータイプは内的進化である。『ガンダムSEED』のコーディネーターとは異なり、科学技術に頼っているわけではない。『機動戦士ガンダム』の魅力はモビルスーツにあるが、終盤でアムロとシャアがモビルスーツから降りて、生身の身体で戦っていたのが印象的だった。これも、ニュータイプの進化は決して外的なものではないことを示唆しているように思う。

また、ニュータイプの能力として、非常に優れた直感力や意思疎通力が挙げられる。これは、脳の部位で言えば右脳によるもので、いわゆる感覚派だ。「理屈ではない」というのがポイントだと思う。

フランスの人類学者クロード・レヴィ=ストロースは、自著『野生の思考』で「未開人の野生の思考は、文明人の科学的な思考より確実性は低いが、先見性に優れていることがある」と指摘した。今から数千万年前の世界にはインターネットどころか辞書すら存在せず、そこら辺にある草木がはたして安全なのかどうかがわからなかった。だから未開人は、度重なる実験と直感を頼りに、その草木が食べられるものなのかを判断していた。

そしてシャアは作中で、「宇宙戦争という環境が、ニュータイプを目覚めさせたのではないか」と推測していた。これは、人類が科学技術を持って宇宙に飛び出したことで、人類に秘められた新たな可能性が目覚めたということなのだと思う。

それでいけば、現代社会のテクノロジーの進化は『機動戦士ガンダム』に匹敵するものである。近い将来、宇宙に進出するようになるだろう。そのときに、直感を頼りにした新人類「ニュータイプ」が登場するのだと思う。この世界を生き残るために、ニュータイプを目指さないといけないのだ。

さいごに

正直、最初は少し退屈だったし、実際、1年以上かけてチビチビ見るはめになったけど、結果としてめちゃくちゃ楽しめた。もう多分、このあとのガンダムシリーズも充分に楽しめると思う。ひとまず劇場版三作を見よう!

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