【機動戦士ガンダムSEED感想】キラ・ヤマトの決断が1つの答え

機動戦士ガンダムSEED

今回は『機動戦士ガンダムSEED HDリマスター版(以下、機動戦士ガンダムSEED)』について語っていく。

『機動戦士ガンダムSEED』は2002年から2003年まで放送されたTVアニメで、2011年にHDリマスター版が公開された。

どちらもアニメ制作はサンライズが担当している。

目次

『機動戦士ガンダムSEED』の評価

※ネタバレ注意!

作画87点
世界観・設定90点
ストーリー88点
演出85点
キャラ85点
音楽93点
※個人的な評価です

作画

今回はHDリマスター版を視聴ということだけれど、戦闘シーンがかなり綺麗になっていて、たしかに高画質だった。日常シーンは、まあ普通という感じ。基本的に作画は文句ないけれど、唯一不満があるのが主題歌の映像だ。EDで止め絵を用いるのはまだ良いとして、OPでカットを使い回すのはなんだかなぁという感じである。あれだけ主題歌が強力なのだから、HDリマスターの段階でOP映像を丸ごと作り替えても良かったのではないかと思う。

世界観・設定

『SEED』に限った話ではなく『機動戦士ガンダム』は、やはり世界観・設定が素晴らしいと思う。圧倒的に作り込まれた世界観(OS)があるからこそ、その上に濃密なストーリー(ソフト)を構築することができるのだ。

宇宙世紀のガンダム(と言っても僕は宇宙世紀をほとんど視聴できていない)の世界観に加えて、この『機動戦士ガンダムSEED』では”種(遺伝子)”がテーマになっていて、それに加えて若年層に受けるためのエンタメ要素が散りばめられている。

ストーリー

やっぱりSFロボット系アニメは序盤がちょっと入りづらいけれど、10話ぐらい視聴したところで一気にストーリーに引き込まれる。個人的には、フレイが地球軍に入るところを決めたあたりから、一気に引き込まれていった感じがする。

演出

演出はぼちぼち。戦闘シーンの迫力とか、ロボットの動きとかはやっぱり良い。一方で戦闘シーン以外の部分の演出は、めちゃくちゃ良いというわけではないけれど、でも普通に感情移入できるぐらいに作り込まれていると思う。

キャラ

なんだかんだでキャラクターがいい。というか『機動戦士ガンダムSEED』の最大の特徴と言ってもいいかもしれない。上手い具合に萌え要素が取り入れられていて、ガンプラだけでなく、キャラクターグッズでも十分な利益が見込めそうなキャラだ。特にキラ・ヤマトとアスラン・ザラは、女性人気が高そうである。

音楽

名曲が多すぎる。個人的にはOPの『INVOKE -インヴォーク-』『Believe』『Realize』が大好き。あと挿入歌の『Meteor -ミーティア-』も一番いいところで流れたし、ラクス・クラインの『静かな夜に』と『水の証』もよかった。もちろんEDの『あんなに一緒だったのに』もよき。

それと全体的に、劇伴も良かった。主題歌をアレンジして劇伴に用いる体制が個人的に好き(アニメ制作と音楽が連動しているため)なので『機動戦士ガンダムSEED』の音楽にはかなり好感を持てる。

『機動戦士ガンダムSEED』の感想

※ネタバレ注意!

語りたいことはいっぱいある

流石に全48話のTVアニメを見せられると、このブログ1記事だけでは語りきれないぐらいの感想を抱いてしまう。『機動戦士ガンダムSEED』の世界観・設定は、現実世界とかなりリンクしている。戦争において「誰と戦っているのか」とか、平和国家の怠惰っぷりとか、現実と理想のズレとか。あと『機動戦士ガンダムSEED』で言えば、”遺伝子操作”とか、それこそ”コーディネーター”とかは、2020年代に入ってから、いよいよ現実性を帯び始めているように思う。これらの中の一要素だけでも、色々と語れてしまう。

また、この世界観・設定というOSの上に、人間臭いキャラクターが乗っかっていて、人間の欲望や愚かさが詰まったストーリーが展開されるのも『機動戦士ガンダムSEED』の魅力だ。そりゃあ『ファーストガンダム』に比べたらショボいのかもしれないけれど、しかし若者向けにメッセージを送るという意味では、十分に成功しているように思える。『機動戦士ガンダムSEED』の放送当時の世界情勢を考えても、やはり戦争はメインテーマだったように思うし、僕が本作を視聴し始めた2023年も、東欧と中東で未だに人間同士が戦っている。そして実際に僕は『機動戦士ガンダムSEED』を視聴していて戦争について深く考えさせられた。それぐらいに『機動戦士ガンダムSEED』は大きねパワーがあるのである。

より良い社会が軋轢を生む

さて、本当にマジで語りたいことがたくさんあるのだけれど、その中で1つだけ選ぶとしたら、やはり”ナチュナル”と”コーディネーター”の関係性になるだろう。これが『機動戦士ガンダムSEED』の最大の特徴だと言えるからだ。

ナチュナルは「僕たち人間とほとんど変わらない存在」という認識で間違っていない。一方のコーディネーターは「遺伝子操作された人間」という認識でいいだろう。そのため、一般的にナチュラルよりコーディネーターの方が、能力が優れているのである。そしてこの結果、ナチュラルはコーディネーターに嫉妬し、コーディネーターがナチュラルを見下すようになり、これが戦争に繋がってしまうのである。

『機動戦士ガンダムSEED』が放送されていた2002年から2003年は、ちょうどヒトゲノム計画が話題になっていた頃である。1953年にDNAの二重らせん構造が発見されてから、ヒトゲノムの解析に関心が集まるようになり、1990年にアメリカが、ヒトゲノムの全塩基配列を解析するヒトゲノム計画を開始。そして『機動戦士ガンダムSEED』が絶賛放送中の2003年4月に、ヒトゲノム解析の完全版が公開された。

そして2024年現在、ヒトゲノム解析は新たなステージに入ろうとしている。当時のヒトゲノム計画は3,000億円以上の費用で1人分のヒトゲノムを解析するのが精一杯だったが、現在、約10万円程度で、1人分のヒトゲノムを解析できる時代になっている。

このヒトゲノム解析には「光」と「闇」の2つの側面がある。まず光の側面で言えば、ヒトゲノム解析がほぼ間違いなく医療で活用されるようになる。ヒトゲノムを解析することで、病気の発症リスクなどがわかるようになるため、予防医療どころか予測医療ができてしまうのだ。自分の遺伝子にあったライフスタイルを取り入れることで、寿命が大幅に伸びるだけでなく、日々のパフォーマンスが大きく向上する可能性まである。これは、実に素晴らしいことだろう。

一方で「闇」の側面で言えば、遺伝子操作が挙げられる。このヒトゲノム解析を受精卵に適用することで、遺伝性の病気を回避できたり、目の色を変えたりすることが可能になってしまうのだ。百歩譲って、遺伝性の病気を回避できるのは良いとしても、目や肌の色、運動能力、情報処理能力を書き換えてしまうのは、一般的な解釈では倫理的に問題があると言える。

しかし、このゲノム編集は、方向性だけで言えば「more better」を追求した結果であり、それが良いことか悪いことかはさておいても、やはり社会的に普及するようになってしまうのだと思う。それこそ『機動戦士ガンダムSEED』における”コーディネーター”が、本当に誕生する時代が、ここ数十年で訪れるのではないかと僕は考える。

そうなった時に『機動戦士ガンダムSEED』のように、ナチュナルとコーディネーターが対立することになるのだろうか。『機動戦士ガンダムSEED』を見ていると、いろいろなことを考えてしまう。コーディネーターが宇宙空間にプラントを建設して居住しているのも、身体能力と情報処理能力が高いからだと思うし、この戦争は国家というスケールを超えた規模であることがよくわかる。

人々が皆、キラ達のようにナチュラルとコーディネーターの垣根を越えてくれればいいのだけれど、クルーゼが言うように、社会はそうなってくれないだろう。白人と黒人の軋轢が未だに無くならないのと同じように、ナチュラルとコーディネーターの軋轢をゼロにするのは極めて困難だと思う。このような状況下に陥ってしまった時に、僕達はどのように立ち振る舞えば良いのか。それを体感できるのが『機動戦士ガンダムSEED』のSF的な魅力だ。

そして、キラ・ヤマトの「地球軍にもザフトにもならない」という決断が、1つの答えのように思える。それは最も苦しい決断なのだけれども、でも僕が思うに、最も幸福になれる道なのではないかなぁとも思う。

さいごに

なんだかんだであっという間に4クール分のアニメを視聴してしまった。体感として短いぐらいである。

続編『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』もめちゃくちゃ楽しみだ。

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