【借りぐらしのアリエッティ感想】所有から共有の時代へ導いたアニメ

借りぐらしのアリエッティ

今回は『借りぐらしのアリエッティ』について語っていく。

『借りぐらしのアリエッティ』は、メアリー・ノートンの『床下の小人たち』を原作とした長編アニメーション映画で、アニメ制作はスタジオジブリが担当。また、監督は米林宏昌が担当している。

目次

『借りぐらしのアリエッティ』の評価

※ネタバレ注意!

作画92点
世界観・設定85点
ストーリー84点
演出86点
キャラ84点
音楽83点
※個人的な評価です

作画

作画のクオリティは相変わらず。『借りぐらしのアリエッティ』は、小人目線での人間社会が描かれるが、それも非常に丁寧に作られていた。

動物の動きも丁寧に描かれていて、個人的には昆虫の動きが印象的だった。「昆虫を小人目線で描く」というのも『借りぐらしのアリエッティ』でやりたかったことなのではないかなぁと思う。

世界観・設定

“借りぐらし”という一見ファンタジー感溢れる設定に、現代社会における人間の欲をミックスさせている。ジブリらしくないようで実はジブリらしい世界観になっていて、そこに少年少女の恋愛要素もミックスされていることもあり、独特な世界観になっている。

ストーリー

尺が94分ということで、全体的にスッキリしたストーリーになっている。ハッピーエンドともバッドエンドとも言えない終わり方も、心地よい印象を視聴者に与えている。

演出

やはり動きはめちゃくちゃいい。それと音の使い方もかなり秀逸。そもそも音の感じ方は、対象物の大きさによって、感じ取り方がまるで異なる。人間と小人では、当然のことながら、音の感じ方が異なるはずで、それを見事に再現していた。たしかに小人からしたら、人間の部屋はコンサートホールのように反響が強い空間に感じられるだろう。

キャラ

それぞれのキャラクターで、立ち位置がハッキリしている印象を受ける。メインキャラであるアリエッティと翔はもちろんのこと、家政婦のハルや、アリエッティの両親にも、それなりに明確な役割というか、動機みたいなものがあって、思うところがたくさんある。

音楽

音楽はぼちぼち。

『借りぐらしのアリエッティ』の感想

※ネタバレ注意!

借りぐらしは人間も同じだよ

『借りぐらしのアリエッティ』は、一見すると、ジブリらしくないように感じられる。僕が思うにジブリ作品(とりわけ宮崎駿作品)は、世界を変えるほどのエネルギーみたいなものが凝縮されていると考えている。『耳をすませば』『海がきこえる』のような恋愛モノですら、人生を変えるだけのパワーがあると僕は思っている。

でも『借りぐらしのアリエッティ』からは、そのようなパワーが感じられない……と思ったら大間違いで『借りぐらしのアリエッティ』にも、ジブリ作品で共通するメッセージが含まれている。そのヒントが「借りぐらし」にある。

『借りぐらしのアリエッティ』において、小人たちは、人間の住宅に居候する形で、人間が所有するモノを、人間にバレないようにこっそり借りながら生き延びている種族だ。それで”借りぐらし”が人間にバレてしまうと、もう安全に”借りぐらし”できなくなってしまうために、小人たちは命懸けで引越しすることになる。

でもこれは実のところ、人間も同じなのである。人間が生きるために必要は食料・服・家も、元はと言えば地球からの借り物であるはずだ。だから、地球が壊れてしまうほど、地球からモノを借り過ぎてしまうとマズいのである。これは『風の谷のナウシカ』から続く、ジブリ作品が提示し続けてきたメッセージそのものだ。

君たちは滅びゆく種族なんだよ

『借りぐらしのアリエッティ』で、とても印象に残ったセリフがある。

君たちは滅びゆく種族なんだよ

『借りぐらしのアリエッティ』より引用

『借りぐらしのアリエッティ』のもう一人の主人公である翔は、終始、優しくて穏やかな印象のあるキャラだった。このセリフを口にするまでは。

まあこのセリフには色々な意図というか気持ちがあるわけで、物語全体を見ると、アリエッティよりも翔の方が不幸なイメージがあるので、十分に同情できるシーンでもあった。

公式ホームページの説明にもあるのだけれど、人間と小人は、はたしてどちらが滅びゆく種族なのだろうか。それが『借りぐらしのアリエッティ』における最重要メッセージなのではないかと思う。ここで公式ホームページの説明文を引用しよう。

物質的に豊かになったけれど、心が貧しくなってしまった人間の生活とは対照的に、小人たちの貧しくても心豊かな家族の暮らしぶり。どちらもこの世に存在するとしたなら、どちらに共感できるのか。滅びゆく種族はどちらなのか。
この作品のテーマのひとつである「借りぐらし」という造語は、現代の気分にとてもあっていると、鈴木プロデューサーが気に入って映画のタイトルの中にも使いました。
人はいつからモノを所有するという感覚を身につけたのか。私たちの世界には、様々な生物が共存共栄しています。動物も虫も、そして、植物も。本来、生物が生きていく上で境界線など存在しなかったはずです。自分のものと他者のものを分けることはできなかったはずです。人間も動物も植物も所有できるものなどこの世にありはしない。全て自然の営みを借りて生活していました。自然に寄生して生きているのは人間も小人も同じだったはずなのです。

『借りぐらしのアリエッティ』の公式ホームページより引用

『借りぐらしのアリエッティ』は、公開時(2010年)の40年以上前から、宮崎駿と高畑勲が企画していたそうだ。そして2010年のタイミングで「今ならいける!」ということで、アニメ化されたらしい。

2010年というのは、2008年のリーマンショックによって”所有”の重要性が薄れていた時代だった。この時からミニマリズムというモノを最小限に減らすムーブメントが登場し、それにあわせてシェアリングエコノミーの重要性も高まる。このような時代背景の中『借りぐらしのアリエッティ』が公開されたのは、決して偶然ではないだろう。

『借りぐらしのアリエッティ』の根幹にあるのは”サバイバル”である。小人たちは、人間のモノを借りなければ、生きていくことができない。また、家を引越しするのでも命懸けだ。

そして何が起こるか全くわからない現代社会において、現在の人間社会も、まさにサバイバルである。僕たち人間は、様々な知恵を絞って、上手に生活する術を身につけなくてはならない。実際にもし日本で戦争があったとして、はたしてアリエッティのように、半ば命懸けで海外生活を実施しようとする人は、どれくらいいるだろうか。多分、大半の人は海外に拠点を移すことができず、日本に留まる道を選ぶのではないだろうか。

それで、幸せに生活するためには「冒険」と「安全」が適度にミックスされていることが大事なのかもしれない。

冒険と安全が混ざったもの――、それがいちばんほしい

『床下の小人たち』より引用

あまりにも安全だと、それこそ翔のように、毎日が暇で暇でつまらなくなる。一方で冒険しすぎると、命の危険がある。だから、冒険と安全が適度にミックスされているのが、一番楽しい。その具体例がキャンプを始めとしたアウトドアであり、旅しながら生きていくノマドなのだと思う。

さいごに

『借りぐらしのアリエッティ』は、視聴時はそこまで心に響かなかったけれど、こうして文章にして色々考えてみると、色々なメッセージを救い出すことができる作品だった。これが、アニメブログを運営する最大のメリットなんだよなぁ。

『借りぐらしのアリエッティ』とリーマンショックとミニマリズムは、絶対に繋がっている。そしてこれは、2020年に発生した新型コロナ禍に起因するキャンプブームとミニマリストブームにも絶対繋がっている。もっと言えば、これは『もののけ姫』や『風の谷のナウシカ』にも通ずる部分がある。

いつの時代にもジブリ作品は、僕たちに心地よい示唆を与えてくれる。近年注目を集める刺激的な深夜アニメだけではなく、やはりジブリ作品も定期的に見ないといけない、と考えさせられた。

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