今回は『鬼滅の刃 柱稽古編』について語っていく。
『鬼滅の刃』は吾峠呼世晴による漫画(週刊少年ジャンプ)が原作で、2019年春クールからTVアニメが放送開始。ご存知のように、社会現象を巻き起こすほどの大ヒットとなった。
そして2024年5月から6月で『柱稽古編』が放送される。アニメ制作はufotableが担当した。
『鬼滅の刃 柱稽古編』の評価
※ネタバレ注意!
作画 | 93点 |
世界観・設定・企画 | 83点 |
ストーリー | 85点 |
演出 | 89点 |
キャラ | 88点 |
音楽 | 85点 |
作画
全体的に戦闘シーンが少ないが、ラストで鬼舞辻無惨が登場してからのシーンは圧巻だった。また、コンピュータの進化により、背景の3DCGが大幅に強化されており、一段と大胆なカメラワークが可能になっている。
一方で手描きアニメは、品質自体は変化ないが、以前より漫画的な表現が増えた気がする。日常パートが多かったからか?
世界観・設定・企画
今回の『柱稽古編』は、ほかのエピソードに比べると見どころは少ない。ということで、全8話の中でも、終盤にリソースを集中させており、これはいい戦略だと思う。
それと、EDでHYDEを起用するなど、全体的に30代から40代の女性をメインターゲットに据えているような気がした。
ストーリー
日常パートが多かったが、テンポよく柱を紹介してくれるので、退屈はしなかった。全8話という構成は『鬼滅の刃』というビッグタイトルだからこそできたことで、このメリットは計り知れない。
演出
多分『鬼滅の刃』では初めて「主題歌を使った演出」が用いられていたと思う。そのためだけにHYDEを起用したのかもしれない。たしかにHYDEと鬼舞辻無惨って、ちょっと似てるかも。笑
キャラ
『柱稽古編』で一気に柱を深掘りしている。最終章となる『無限城編』に備えてだろう。個人的には悲鳴嶼のエピソードが好き。
あと、やたらと煉獄さんを引きずってくるけど、まあそれだけ劇場版の衝撃が大きかったということだろう。
音楽
OPとEDは、どちらもMY FIRST STORYとHYDEが担当。ただし、EDに関しては作曲と編曲に梶浦由記が参加しており、これが終盤の演出に繋がっている。
『鬼滅の刃 柱稽古編』の感想
※ネタバレ注意!
永遠とは?
『柱稽古編』のテーマの1つが「永遠」だ。
不老不死を求める鬼舞辻無惨は、まさに「不老不死」こそが「永遠」だと解釈していた。無惨としては、自分が実力で殺されることはないと考えており、ただし太陽が唯一の弱点だった。そこで、太陽を克服した禰豆子を奪還しようとする。
一方で産屋敷家が定義する「永遠」は「意思」や「想い」の類だ。産屋敷家は短命の一族であり、身体も弱い。一方で、直感には優れており、その直感で財をなし、ピンチを何度も乗り越えてきた。また、鬼舞辻無惨を倒すために鬼殺隊を作り出し、この鬼殺隊は1000年の歴史がある。
この間に多くの命が失われたが、鬼舞辻無惨を倒すという想いだけは、途切れることはなかった。これこそが産屋敷家が定義する「永遠」だった。
産屋敷家が定義する「永遠」は、結果的に家族愛に繋がってくる。当主の産屋敷輝哉は、鬼殺隊の隊員を「子どもたち」と呼ぶ。「思想を継いでいる」という意味では、たしかに鬼殺隊員は産屋敷耀哉の「子どもたち」と言えるかもしれない。
例を挙げるなら『ONE PIECE』の「Dの意志」が、その典型例だろう。
人類は、子どもを産み続けることで、種としての「永遠」を紡ぐことができた。僕には子どもはいないけど、どうやら親にとって子どもは「自分の命よりも大切なもの」らしく、これこそまさに最上級の愛(つまり家族愛)なのではないかと思う。
子どもとは?
個人的に印象に残っていたのが、悲鳴嶼行冥のエピソードだった。
悲鳴嶼はかつて、とある寺に住んでいて、そこで身寄りのない子どもたちと一緒に生活していた。だがある日、言いつけを聞かなかった孤児の1人が、鬼と遭遇。そしてその子どもは、悲鳴嶼やほかの孤児を差し出すことで、自分だけ助かろうとしたのだ。その結果、鬼はたくさんの孤児を殺すも、悲鳴嶼は持ち前の強さで鬼をボコボコにする。その際に1人だけ孤児を助けることができたのだが、その孤児はあまりの恐怖で記憶が欠落し、悲鳴嶼のことを「あの人は化け物」と証言。鬼は太陽光で粉々となり、現場には惨殺死体が残されていたことから、悲鳴嶼は死刑囚扱いになってしまう。
無邪気で無垢だからこそ、無情で無慈悲である
『鬼滅の刃 柱稽古編』より引用
このエピソードを見て、僕はあらためて、この作品が女性作者によるものだと思い知らされた。
子どもが「純粋だからこそ無情」なのは正しい考えだと思う。だからいじめがあるし、ときに子どもは悪気もなく残酷なことをしてしまうことがある。だが、そこに着眼するのは、男性には難しい。僕も、あまりそういう視点で「子ども」について考えることは少ない。
脳科学的に言えば、子どもは大人に比べて大脳が未発達なので、生存本能が優位になり、だから「悲鳴嶼やほかの孤児を差し出したり」する。
でもそれ以前に、女性は子どもに対して、科学とは全く関係のない直感が強く働くのではないか。だから女性は男性に比べて保育士志望が多いし、そういう風に遺伝子がプログラミングされているのだと思う。
そしてそれが、こうして『鬼滅の刃』という作品において、クリエイティビティとして働く。だから『鬼滅の刃』の女性ウケがいいのは当然で、また、感性の強い男性にもウケるんだと思う。
さいごに
『柱稽古編』が放送されたあと、『無限城編』が劇場三部作で公開されることが発表された。まあ、それが妥当だと思う。『無限城編』をTVアニメでやるのはもったいないのは間違いない。それに『無限城編』は、ほぼ間違いなく3DCGのゴリ押しになるから、絶対に劇場版の方がいい。
ということで『無限城編』を楽しみにしようと思う。