今回は『コクリコ坂から』について語っていく。
『コクリコ坂から』は、佐山哲郎と高橋千鶴による漫画が原作で、これが2011年に劇場アニメーションで公開される。
アニメ制作はスタジオジブリ、監督は宮崎吾朗が担当した。
『コクリコ坂から』の評価
※ネタバレ注意!
作画 | 92点 |
世界観・設定 | 90点 |
ストーリー | 88点 |
演出 | 88点 |
キャラ | 89点 |
音楽 | 90点 |
作画
宮崎駿作品や高畑勲作品ほどの芸術性及びクリエイティブがあるわけではないけれど、やはりスタジオジブリ作品ということで、作品のクオリティは全体的にかなり高い。
世界観・設定
東京オリンピック直前の1963年が舞台。戦後になって日本が凄まじいスピードで成長している時代背景となっている。ということもあって、おそらく当時の日本は、個人による社会参加のモチベーションが凄まじく高く、その結果が学生運動なのだろう。カルチェラタンの保全のために、学生が反抗する様子は、個人的に「楽しそうだなぁ」と思った。
ストーリー
尺がもう少しだけ長くなってもよかったかもしれない。終盤が少し駆け足だったのではないかと思う。まあ「恋愛パートや感動パートを長くし過ぎてもしょうがない」という潔い判断だったんだと思うし、実際、全体的にスッキリしている印象を受ける。松崎海と風間俊の恋愛、風間俊の本当の父親、カルチェラタンを巡る運動の3つの軸でストーリーが進み、そこには「個人として強く生きる」というメッセージが込められている気がする。
演出
演出は、まあジブリ作品にしては普通という感じ。良くも悪くも「ジブリだなぁ」という感じで、宮崎吾朗の作家性みたいなものは、僕はほとんど感じられなかった。
キャラ
キャラデザは相変わらずジブリっぽいんだけれど、現代人でも耐えられるようなデザインになっていて、どのキャラクターも愛着が持てる。サブキャラにもしっかり存在感というかストーリーがあるみたいで、これもジブリ的だなぁと思う。
音楽
『コクリコ坂から』は、音楽がとても印象的だった。これまでのジブリ作品にはほとんど見られなかったジャズ系の音楽がたくさん挿入されていた。調べてみると1960年代から「フリー・ジャズ」というジャンルの音楽がメインストリームになったようで、多分、その影響を強く受けているんだと思う。
『コクリコ坂から』の感想
※ネタバレ注意!
カルチェラタンと京大吉田寮
『コクリコ坂から』と言えばカルチェラタンだが、僕はカルチェラタンを見て「これは京大吉田寮じゃん!」という第一印象を抱いた。
京大吉田寮は、築100年以上の日本最古の学生寮で、正直言ってめちゃくちゃボロボロだし汚いんだけど、今も何人かの学生が居住しているのだと言う。それで2024年2月現在、京大が京大吉田寮に居住する学生に対して「退去命令」を提示しているにもかかわらず、学生がそれを拒否していることから、訴訟問題に発展。京大が学生に退去命令を提示している理由は「安全上の理由」である。この状況がカルチェラタンに酷似している。
それで僕も実際に京大吉田寮(玄関前まで)に訪れたことがあるけれど、雰囲気とか文字のテイストとかが、めちゃくちゃカルチェラタンに似ている。ということで多分、カルチェラタンは京大吉田寮をかなり参考にしていると思う。
でも個人的に、僕は京大吉田寮の学生に対して「身勝手だなぁ」という印象を抱いている。京大の学風と言えば「自由」であり、京大吉田寮の学生も「我々は自由である!」ということで、京大の命令を完全無視して、吉田寮に滞在し続けているのだけれど、そもそも自由とは、責任が伴うものである。実際、京大吉田寮があまりにもボロボロ過ぎて、倒壊・火災の危険があるのは紛れもなく事実であり、この問題に対する解決策・責任を、吉田寮に住む学生は考えなければならないはずである。カルチェラタン保全のために奮闘した松崎海や風間俊のように。
だから「カルチェラタンは京大吉田寮に対するアンチテーゼ」という見方ができるし、少なくとも僕はそう見た。そしてこれはもっと大きくみると「自由を強く望む若者」に対するアンチテーゼなのだと思う。
自由を手に入れるには
「自由を強く望む若者」は、僕の周りにも何人かいる。実際、自由を強く望むことは、全く悪いことではない。それは京大吉田寮の人々に関しても同じことが言えるだろう。
だが、自由と責任は表裏一体である。自由は、自分で完全に責任が取れるからこそ自由なのであって、責任の伴わない自由は、ただの身勝手に過ぎないし、ただのワガママに過ぎない。
「自由を強く望む若者」に限って、実はあまり行動に移していないものである。京大吉田寮の人々も、僕が見る限り、問題を根本的に解決するアクションを実行しているように思えない。カルチェラタンのように、まずは掃除から始めて印象を良くするとか、OBと協力して補強工事をするとかして、責任の伴うアクションを実行しなければならないはずだ。
これは『コクリコ坂から』のテーマになっているように思える。カルチェラタンを守るために、そして自分の出自を明らかにするために、自らが積極的に行動し、それを掴み取るのだ。
2011年という年に『コクリコ坂から』が公開されたのは、タイミングとしてはかなりちょうどよかったと思う。たしかに僕みたいな世代の人にとって、1960年代は「時代遅れ」というよりは「ノスタルジック」というイメージが先行するから、一種の憧れのようなものを感じることができた。実際僕は『コクリコ坂から』で主体的にガンガン行動する学生たちに、憧れの気持ちを抱いた。こんな青春を送ってみたかったなぁ、って思えた。
ただの形式になってしまった学生総会も、昔はこんなに激アツだったんだなぁって思うと、現代人が社会参加にどれほど消極的なのかがわかるし、それはちょっとマズいことなんじゃないかなぁと思うようになってきた。
さいごに
個人的に「ジブリ×恋愛モノ」はめちゃくちゃ好きで『コクリコ坂から』に関しては、そこに学園紛争の要素が入ってくるから、なおさら刺激的で、おもしろかった。
2024年現在「ジブリ×恋愛モノ」の新作が出る気配が全くない。スタジオポノックあたりがやってくれないかなぁと思うんだけど、はたしてどうだろうか……。