今回は『ルックバック』について語っていく。
『ルックバック』は藤本タツキによる漫画(少年ジャンプ+)が原作で、143ページからなる全編読み切りとなっている。そのうえ、完全無料で公開したこと、Web漫画ならではの大胆なコマ割り、京アニ放火殺人事件を彷彿とさせるシーンなど、様々な点で話題になり、その年の話題を掻っ攫った漫画だと言っても過言ではなかった。
そして2024年6月に『ルックバック』は劇場アニメとして公開される。アニメ制作はスタジオドリアン、監督は押山清高が担当した。
『ルックバック』の評価
※ネタバレ注意!
作画 | 91点 |
世界観・設定・企画 | 90点 |
ストーリー | 92点 |
演出 | 88点 |
キャラ | 88点 |
音楽 | 88点 |
作画
藤本タツキの独特の画をキープしながら、アニメーションとして動かせる絶妙なラインまで画を標準化し、ダイナミックな動きを見せることに成功している。3DCGには頼らずに、3DCGには難しい表現をしっかり追求しているのも現代的だ。
予算がしっかり投下されているのもわかる。
世界観・設定・企画
原作漫画そのものが強烈であり、それでいて大きなムーブメントを起こしたことから、アニメ制作者には凄まじいプレッシャーがかかっていたのは間違いない。原作漫画の雰囲気をキープしながらも、意欲的な映像表現をしっかり取り込むことで、原作漫画に負けない挑戦的な表現を維持することに成功している。そして結果として、ちゃんとヒットしている。
ストーリー
そもそも、原作漫画そのものが極めて映画的な表現を多用していたこともあり、それをそのまま映画にするだけで済んだのがよかった。テロップの演出など、何もかもを原作に沿わせている。
一方で、藤野や京本の書いた4コマ漫画を深掘りするなど、映像だからできるシーンがしっかり追加されていた。
演出
とにかく”無音”が作り出す”間”が凄かった。原作漫画の絶妙な”間”を完全に表現し切ったと思う。
それに加えて『ルックバック』において重要な要素の1つである「背中」を使った演出にもこだわりが感じられた。その真骨頂が、ラストのエンドロールだろう。
キャラ
藤野も京本も、藤本タツキ作品らしい狂気が感じられるキャラに仕上がっている。あの絶妙なキャラデザがいいし、演技の「ちょっとだけ棒読み感」がベストマッチしていた。
音楽
主題歌と劇伴はharuka nakamuraが担当。個人的には、ピアノサウンドを中心としたアンビエントのイメージが強く、実際に劇伴の大半で、ピアノサウンドが前面に出ていた。
また、先ほども述べた通り、意図的に”無音”を活用している印象がある。
『ルックバック』の感想
※ネタバレ注意!
『ルックバック』における過去の在り方
『ルックバック』は2021年にWeb漫画が公開されてから、数多くの人が考察してきた。だから本記事では、可能な限り、被りのないような感想を書いていきたいと思う。
一方で、『ルックバック』において最も重要なメッセージである「過去を振り返る」ということについては、自分の頭で考えて、自分で文章にする必要があると考えた。
基本的に、藤野や京本のようなクリエイターは、過去を振り返ることはほとんどない。未来へと続く現在に集中している。これは、多くの著名クリエイターで同じことが言える。先進的なクリエイターは、自身の過去の代表作に囚われることなく、新しい表現や自己成長を追求する。週刊漫画を連載していた藤野も例外ではない。
では、このような「半ば狂ったクリエイター」が過去を振り返るときとは、どのような時なのだろうか。それは、悲劇に他ならない。
『ルックバック』で描かれた殺人事件は、京アニ放火殺人事件を彷彿とさせる。たしかに、この放火殺人事件があったときに、多くのアニメファンが、京アニの栄光の歴史を振り返ったはずだ。同じく、有名人が死去するたびに栄光が語られるし、親族が亡くなった際も、やはり過去を振り返らざるを得ない。
ここで重要なのは、過去をどのように捉えるかだ。過去を悲観的な視点で見るのか、それとも楽観的に捉えるのかで、現在と未来が変わる。
当初、藤野は京本の訃報を受けて「自分のせいで京本が死んだ」と考え、悲観に暮れていた。だが「京本の部屋から、この世界に存在しないはずの4コマ漫画が吹き込んでくる」という実に不思議な出来事に遭遇した藤野は、京本の部屋に入り、京本の半纏の背中に描かれた「藤野歩」を見て、藤野は再び作業机に座った。
僕たち人間は、身体の構造を考えても、前を見ながら歩くようにできている。後ろを見ながら歩くようにはできていない。「過去を振り返る」という動作は、それ以前に前を見続けていたからできる動作である。そして、過去を振り返った後に、もう一度前へと向き直す。
「過去の肯定」を、これほどまで美しく、かつ現代的に描いた作品は『ルックバック』を除いて存在しないのではないだろうか。
藤野は、もう1つの世界でも、漫画を描く決断をしていた
『ルックバック』の数少ないファンタジー要素が、”もう1つの世界”の存在だ。この世界は、藤野によって作られた世界なのは、ほぼ間違いないだろう。この世界では「藤野が京本に出会わなかったら」というifの世界が描かれている。この世界では、藤野が空手家になっていて、京本を襲うはずだった殺人犯を撃退するような物語になっている。
ここで重要なのは、もう1つの世界でも、藤野と京本は出会っていて、しかも京本は美術大学に進学していて、そして何よりも尊いのは、藤野は「漫画を描くこと」を決断していたことに尽きる。
思えば『ルックバック』の作中で初めて登場する4コマ漫画「ファーストキス」は、生まれ変わっても彼氏と彼女が出会い、キスをするというものだった(彼氏が隕石だったけど)。藤野と京本は、仮に違う世界線でも、実際に2人は出会い、そしてそれぞれが自分の好きなことに熱中していたのである。
藤野「だいたい漫画ってさあ…、私、描くのはまったく好きじゃないんだよね。楽しくないしメンドくさいだけだし超地味だし、一日中ず〜っと絵描いてても全然完成しないんだよ? 読むだけにしといたほうがいいよね、描くもんじゃないよ」
京本「じゃあ藤野ちゃんはなんで描いてるの?」
『ルックバック』より引用
これは藤野が「漫画を描くこと」が好きだからに他ならない。作中で、藤野が何度も嘘を重ねていたことから分かる通り「私、描くのはまったく好きじゃないんだよね」は嘘である。
それと同時に藤野は「京本と一緒に漫画を描いていた日々」も、とにかく楽しくて、最高の思い出だったに違いない。この過去を否定するわけにはいかなかったのだ。
だから、あの「もう1つの世界」も4コマ漫画の虚構の中に留めておいて、藤野はひたすら漫画を描き続ける道に戻った。
「もう1つの世界」でも、藤野は漫画を描き始める決断をしていたことから、やはり藤野は漫画家になるべくして生まれた狂人だったのである。そしておそらくは藤本タツキも。
『ルックバック』を読んだクリエイターの卵が、藤野のように超人的な意志を持って、自身が持つ創造性を発揮することを心から望む。
さいごに
『ルックバック』がヒットした最大の理由は、僕は上映時間にあると思う。もう人々は、90分も集中できなくなったのだ。それに対して『ルックバック』は1時間を切っており、人々の集中力が持続するレベルの上映時間だったのではないかと思う。
だから『ルックバック』のように、やや難しい作品でも、多くの人がそれなりに内容を理解する。考察も捗る。
『ルックバック』の革命は、僕は上映時間に尽きると思う。映像表現はたしかにすごいが、それよりも上映時間を短くしたことが、結果として大衆性と芸術性の両立に繋がっていると考える。
今後、上映時間を45分ほどにする劇場作品が増えてくるのではないかと思う。