『マインド・ゲーム』感想:僕たちの人生は、いつまでもマインド次第

マインド・ゲーム
星島てる
アニメ好きの20代。ライターで生活費を稼ぎながら、アニメ聖地の旅に出ている者です。アニメ作品の視聴数は600作品以上。

今回は『マインド・ゲーム』について語っていく。

『マインド・ゲーム』は、『クレヨンしんちゃん』のアニメーターとして活躍していた湯浅政明さんの劇場アニメ監督デビュー作品で、2004年に公開された。

アニメ制作はSTUDIO 4℃が担当、キャスト陣は吉本興業のコラボで今田耕司、坂田利夫、藤井隆などが起用されている。

目次

『マインド・ゲーム』の評価

※ネタバレ注意!

作画95点
世界観・設定・企画93点
ストーリー92点
演出94点
キャラ87点
音楽88点
※個人的な評価です

作画

湯浅政明監督らしい強烈な作画が終始続く。キャラクターだけでなく背景も動く。色々な動きがあって、ずっと面白かった。僕は24インチのiMacで視聴したのだけど、できれば映画館で見たかったなぁと思う。

初期の湯浅作品ということもあり、『クレしん』のエッセンスも随所で感じられた。

世界観・設定・企画

Wikipediaによると、作品の内容や知名度がアレだから、資金調達に苦労したらしい。だがその割には、とてつもないクオリティで制作されているように思う。作画はヤバいし、声優で大物芸人を起用しているし、ピアノソロだけで菅野よう子さんが参加してるし、妥協は一切感じられなかった。

作品のメッセージはとてもシンプルで「自分の人生は、自分のマインド次第」というもの。だが、そのメッセージを描くためのやり方が凄まじすぎて、だからめちゃくちゃ面白い。

ストーリー

本作のキャッチコピーは「その男、気合いだけで生還。」だが、中盤までは主人公・西が気合いだけで壁を突破していく様子が描かれる。序盤でいきなりとんでもない死に方をして、中盤は『クレしん』並みにハチャメチャで、終盤はちょっと小難しい感じになっていて、どちらにせよ常に注目せざるを得ない刺激的なストーリーだったと思う。

演出

湯浅政明監督らしい演出が盛りだくさん。基本的に「手描きアニメにしかできない演出」のオンパレードだし、ごくたまに使われる3DCGの使い方が秀逸。そのうえ、背景だけでなくキャスト本人の顔画像を合成するという離れ技をやってのけた。実写・手描きアニメ・3Dが融合することで、現実と虚構の境目が無くなり、それが『マインド・ゲーム』のメッセージ性に繋がっているように思う。

キャラ

今回は男性キャラは吉本所属の芸人、女性キャラは声優が担当する形になったけれど、吉本芸人の演技が想像以上に上手い。というか、どちらかと言えば「作品の雰囲気にマッチしたキャスティング」や「演技に合わせた作画」がポイントだったのだと思う。それでいてヒロインの2人もなんかちゃんと可愛い。

正直に言えば、僕は思わず主人公の西に共感してしまった。具体的には、あの衝撃的な臨死体験(?)を目の当たりにしたときに、「一度きりの人生を無駄にしてはいけない!」と強く思い込んでしまった。

それもこれも『マインド・ゲーム』のキャラクターに人間味があるからだと思う。

音楽

テーマソング『MIND GAME』や、ほかにも『VIVA!』や『最初で最後の恋』は、『マインド・ゲーム』のグルグルな映像にピッタリあっていて、これを映画館で聴いたら、なんかどこかにトリップしそう。

『マインド・ゲーム』の感想

※ネタバレ注意!

僕たちの人生は、いつだってマインド・ゲーム

『マインド・ゲーム』の衝撃的な臨死体験を見て、思わず「他人事じゃない」と色々と考えてしまった。たしかに「ヤクザもどきに肛門から銃を撃たれ、そのまま頭を撃ち抜かれて死ぬ」というのは現実的ではないかもしれないが、しかし「1度きりの人生を全力で思う存分に生きていない」というのは、おそらく99%の人が思っていることかもしれない。

実のところ、湯浅監督は『マインド・ゲーム』に近いメッセージ性を『四畳半神話大系』や『映像研には手を出すな!』でもやっている。「なんか勇気が出なくて……」とか「今じゃないんだ……」とか色々と言い訳をつけて、結局やりたいことができず、人生を終えてしまう。流石に肛門から銃を撃たれることは無くても、予想外の出来事で、いつ何が起こるのかわからないのだ!

じゃあ何を変えるべきか? それは決まっている。マインドだ。

僕たちの人生は、いつだってマインド・ゲームなのである。マインドさえ変えられれば、何にでもなれる時代に、僕たちは生きている。

クジラからの脱出と共同体感覚

衝撃的な臨死体験を経た西は、思う存分生きるようになり、激しいカーチェイスの末、みょんとヤンと共にクジラに飲み込まれる。が、クジラの胃袋の中で30年間生き続けた”じーさん”と出会い、一度はホームシックになったものの、クジラの胃袋での生活を満喫できるように「マインド」が変わった。クジラに飲み込まれてしまっても、マインド次第で人生は楽しくなる。芸に打ち込むこともできるし、恋人が近くにいるなら性生活を謳歌できる。

でもわたし、生きてきちゃいました!わたしまだこうして泳げる。こうして物掴むこともできる。歩ける。見ることもできる!楽しくないですか!海はしょっぱいです!ここは臭いデース!でもそれがうれしーい!何もしないで寝ていますか?それとも何か感じていますか?どっちが楽しいですかぁー!!?

『マインド・ゲーム』より引用

しかしクジラの寿命が近づいたこともあり、西はクジラからの脱出を企てるようになる。その際の西のセリフがとても印象的だった。

外にはいろんな世界があっていっぱい色んな人らが自分らの思い思いの時間をいきてて、信じられへんぐらいいい奴とか悪い奴とか、自分と全く違う人間がごちゃまんとして世界をつくっとるんねや。成功するとか野垂れ死ぬとかどっちが上とか下とかそんなんは問題じゃなくて、俺そん中にいたいんや!
俺わかったんや。コネも金も才能がなくても、かっこわるくても惨めでも、俺は自分の手で足で考えて動いて自分の人生を手にいれたいんや!ここで何もせんで死んでいく?それとも俺たちだけでやってみる?!俺たちの力で漕いでみるかぁ!

『マインド・ゲーム』より引用

重要なのは「俺そん中にいたいんや!」というところ。

この世界には、本当にいろいろな人がいて、本気で世界平和を望む聖人もいれば、ケツの穴から銃を撃ち込んでくるヤツまで様々である。そんな人たちによって世界は作られている。そして、この世界を生きる上で重要なのは、上とか下とか成功とかそういうのではなくて、「社会の中で生きて、自分の力で生き抜く」というマインドなのである。

最近、やっと『嫌われる勇気』を読んだのだけど、アドラー心理学において「共同体感覚」というものがある。「自分はあくまでも大きい共同体の一部である」という感覚が重要で、この感覚があれば、自己中心的になりすぎることがなく、疎外感も感じなくなるらしい。

だから傷つくのを恐れて、孤独になったり、引きこもりになったりするのはもったいないのだと思う。1度きりの人生、いろいろな人が生きる世界に1人で飛び込んで、自分だけの人生を生きる。それが、神様が僕たちに与えてくれたチャンスなのかもしれない。

さいごに

サイエンスSARU作品を全部見ようと思ったことをきっかけに、せっかくだから湯浅作品を全部視聴しようと思い、まずは初期作品となる『マインド・ゲーム』を視聴した。この流れでいくと次は『カイバ』かな? あと、久々に『クレしん』も見てみようかなぁと思う。

この記事をシェア
目次