今回は『天上人とアクト人最後の戦い』について語っていく。
『天上人とアクト人の最後の戦い』は京都アニメーションのオリジナル企画『MUNTOシリーズ』の作品の1つだ。OVA2作に新規エピソードを追加した『空を見上げる少女の瞳に映る世界』が2009年冬クールに放送された後、そのディレクターズカット版である『天上人とアクト人の最後の戦い』が2009年4月に上映された。
なお、本作が京都アニメーションの初めての劇場アニメ作品となっている。
『天上人とアクト人最後の戦い』の評価
※ネタバレ注意!
作画 | 85点 |
世界観・設定 | 80点 |
ストーリー | 80点 |
演出 | 80点 |
キャラ | 80点 |
音楽 | 80点 |
作画
新規カットが冒頭と最後に挿入されていただけで、基本的には『空上げ』と同じ。
あらためて視聴してみると、粉塵の描写がめちゃくちゃにすごいことになっている。と思っていたら、やっぱりクレジットに専用の作画監督を設けていたっぽい。
世界観・設定
実質的には2回目の視聴なので、世界観に対する理解がより深まった。『空上げ』を視聴していたときは「目に見えないもの」にフォーカスして視聴したが、今回は「心を見失わないこと」にフォーカスして視聴できた。この視点で見ると、グンタールがどれだけ愚かだったかがわかる。
ストーリー
『空上げ』の第6話Bパートからラストまでがもう1度描かれている。ぶっちゃけ、前半部分はちょっと退屈だったけれど、ユメミが自分自身を信じるようになってからの展開はやっぱり綺麗だった。
演出
2回目の視聴になってくると、クライマックスのシーンでちょっとうるっと来てしまう。素晴らしい演出だった。
実際のところ、絵コンテに関しては割とシンプルな構成が多い印象を受ける。その代わりに、キャラクターの動きの質が求められている感じがする。それに各カットごとで、キャラクターの描写に癖があるというか。多分、原画マンや動画マンが独自に色々なことを試したんだと思う。
キャラ
キャラクターはまずまず。2000年代の京アニって感じのキャラ。特に涼芽が。でも、ユメミも中々良いよね。
音楽
主題歌の『ユメミタソラ』も中々強力な楽曲だった。イントロの鉄琴の音がとても印象的で、その流れでAメロに入っていくのが綺麗。それとBメロからサビの入り方も綺麗すぎる。
あと、あのクライマックスの劇伴がめちゃくちゃ良いんだけど、あれは歌をつけてはくれないのだろうか?笑
『天上人とアクト人最後の戦い』の感想
※ネタバレ注意!
環境保全
1997年12月、京都市の国立京都国際会館でCOP3が開催。同月11日に採択された「気候変動枠組条約に関する議定書」は、通称「京都議定書」と呼ばれている。
今回の『天上人とアクト人最後の戦い』は、実質的に『空上げ』の2回目の視聴ということになるので、前回とは違った視点で作品を視聴しようと思った。ということで、今回は”環境保全”について考えながら見ることにした。アクトというエネルギーの存在や、アクトが枯渇している作中の状況は、現代社会のエネルギー問題に酷似している印象を受ける。多分、本作における”アクト”の概念に対して、多くの人が”エネルギー問題”を想起したはずだ。
このエネルギー問題に対する根本的な解決策は、主に2種類考えられる。1つめは新しいエネルギーを確保すること。もう1つは消費エネルギー量を抑える方法だ。本来であれば、消費エネルギー量を抑える方法の方が健全で優しいと思う。しかし、この選択が選ばれることはまずない。なぜなら、消費エネルギー量を抑える方法は、お金にならないからだ。一方で、新しいエネルギーを生み出す場合は、実に多くのお金が動くことになる。余裕で兆レベルだ。
『天上人とアクト人最後の戦い』で見ていくと、グンタールはどちらのアプローチも採用していない。最悪のアプローチとも言える現状維持を採用している。現実世界に当てはめると、いまだに石油に依存していくアプローチ。一方でムントとユメミのアプローチが非常に難しいところで、新しいエネルギーを生み出しているようにも見えるし、でもだからといって優しくないアプローチというわけでもない。とても暖かい選択を選んだように見える。
どちらにせよ、ムントとユメミは、問題に対して真摯に向き合ったのは間違いないと思う。何かを変えないといけない、と。問題解決の手段として、基本的に”現状維持”はあまりよろしくないアプローチだと思う。ベターな選択肢になる可能性はあっても、ベストになる可能性はゼロに等しい。
心を失わなければ何とかなる
2回目の視聴ということで、もう少し、ストーリーについて深く見ていこうと思った。そもそも、あのクライマックスは一体どういうことなのだろうか。
まず大前提として『天上人とアクト人最後の戦い』の世界では、アクトが枯渇する問題に陥っていた。世界が崩壊しかけるまでに。
その中でグンタールは、アクト人(人間)をアクトのエネルギー源に変換することを試みようとした。この選択肢を取ることで、グンタールはアクトを支配することができるし、天上世界もそれなりの時間は保つことができる。一方、ムントは、地上界と天上界を再び1つにして、アクトを循環させる方法を選んだ。この方法は、グンタールの時間稼ぎのアプローチとは異なり、根本的に問題を解決できるアプローチだと言える。ただし、このアプローチを採用した場合、アクト人に対する天上人の優位性がかなり損なわれると考えられるので、グンタールにとってはあまり望ましいものではない。
お互いに自分のアプローチを信じて、実際に実践するのだが、その際にグンタールがイチコとスズメを人質にしてしまったため、ムントのアプローチが実施できなくなる。その中でユメミは、新たなアプローチを思いついたのだ。それは、心を見失わないこと。最終的に2つの世界は一度滅びかけたのだが、心を失わなかったから、新しく世界を作り直す(再生させる)ことができたのだ。
この世界ではアクト人、つまり人間の心がアクトを生み出す。だから、心さえ失わなければ、アクトを作り続けることができる。人間らしさを手放さなければ、素晴らしい世界を作り出すことができる。ユメミが言ったように、この世界は人々の映し絵みたいなものなのだ。心の姿が変わっていけば、世界の形も変わる。世界が美しくなれば、心はもっと強くなる。
これは、先ほどの環境問題にも繋がってくる。私利私欲のためにガンガンエネルギーを使ってしまうと、結果として世界はどんどん汚くなっていく。逆に、人間らしさを保つことができれば、きっと世界はもっと美しくなっていくはずだ。もっとミクロな話に置き換えるのであれば、自分の部屋を見てみよう。心が整っていれば、きっと部屋も片付いている。逆に、心が乱れていれば、部屋も乱れている。
きっと、これはアニメにも通ずる部分があるのかもしれない。美しい心を持ったアニメーターが作る作品は、やはり美しい。京アニが労働環境の改善に力を入れるのも、こういった側面があるのかもしれない。命を削って1日14時間以上も働いて絵を描くのが楽しくなくなった人が作るアニメが、はたして本当に素晴らしいのだろうか。やはり、京アニイズムの原点は『MUNTOシリーズ』にある。
さいごに
結局、アニメスタジオを深く理解するには、やっぱり原点的な作品を視聴する必要があると感じた。『MUNTOシリーズ』は、間違いなく京アニの原点だ。京アニ作品に『MUNTOシリーズ』のメッセージが受け継がれているし、京アニに所属しているクリエイターも、ユメミの意志を継いでいることだろう。
おそらく『MUNTOシリーズ』はあまり視聴されない作品だと思うが、僕はアニメ沼にがっぽりハマっている人に対しては、ガンガンこのアニメをおすすめしていきたいと思う。