【ディアルガVSパルキアVSダークライ感想】美術背景を追求せよ!

ディアルガVSパルキアVSダークライ

今回は『劇場版ポケットモンスター ダイヤモンド&パール ディアルガVSパルキアVSダークライ(以下、ディアルガVSパルキアVSダークライ)』について語っていく。

劇場版第10作目という記念作である『ディアルガVSパルキアVSダークライ』は、2007年に上映されたポケモン映画だ。アニメ制作はOLMが担当している。

目次

『ディアルガVSパルキアVSダークライ』の評価

※ネタバレ注意!

作画80点
世界観・設定70点
ストーリー70点
演出70点
キャラ78点
音楽75点
※個人的な評価です

作画

『ダイヤモンド&パール』になってから、作画のイメージが変わった。具体的にはキャラクターの色彩が明るくなり、背景の色彩が暗くなった。『アドバンスジェネレーション』はキャラクターの色彩が暗く、背景の色彩が明るかったため、キャラクターと背景がマッチしていなかった、と僕は考えていた。けれどもそれが改善されていて、やっと現代アニメの雰囲気を帯びるようになってきた感じだ。

ただし、ポケモンの動きがそれなりに劣化している気はする。戦闘シーンも、特別ダイナミックに描かれているわけではない。

世界観・設定

スペインがモデルとなった舞台設定だ。アラモスタウンの街並みはアンダルシア州のロンダ。時空の塔のモデルは、バルセロナのサクラダファミリアだ。建物自体が楽器になっている部分がサクラダファミリアそのもの。また、アラモスタウンの有名な建築家だったゴーディは、ガウディがモデルとなっている。

一応これまでのポケモン映画も、世界各地の観光地や神話がモデルになっていた。だが、これほど寄せている作品はほとんどない。
ただし美術背景の作り込みは微妙で、新海誠作品のように「現実世界よりも美しい背景」の領域には全然至っていない。特に時空の塔の作り込みはかなり微妙で、もっと作り込んで欲しかった。街並みも、バルセロナの明るい雰囲気を強調したら面白くなりそうなのに。

ストーリー

ストーリーの質もちょい微妙。そもそもディアルガとパルキアが、これまでのポケモンとは次元が違うくらい別格の設定なので、基本的にサトシたちはただ見てるだけになっていた。そこで時空の塔の設定をストーリーに組み込んだのは良かったけれど、クライマックスはいまいち盛り上がらなかったと思う。

また、パルキアがサクッと世界を元通りにしたり、ダークライが復活したりするシーンも、これまで以上にご都合主義感が強い。もう少し工夫できたんじゃないかなあと思う。

演出

これまでのポケモン映画は「ポケモンの演出はいいけれど人間の演出が微妙」というのが僕の考えだった。けれども『ディアルガVSパルキアVSダークライ』は、ポケモンの動きも微妙だった。それに人間の感情表現も微妙で、やっぱりもっと柔らかくした方がいいと思う。

その一方で、ダークライのカッコ良さはいい感じに演出できていた。

キャラ

本作もかなりゲストキャラが多い。特に当時は『ポケモンサンデー』が放送されていたので、そのメンバーである中川翔子とロバートの3人がゲスト声優を担当していた。てかロバートの3人、演技上手い。笑

肝心のポケモンだけれど、『ダイヤモンド&パール』のポケモンは、そんなに登場しなかった感じはする。そしてやはりダークライがカッコいいし、ディアルガとパルキアの神々しさもしっかり表現されていたと思う。

音楽

音楽は良いのか悪いのかよくわからない。ただ主題歌にはサラ・ブライトマンが起用されていて、海外にもしっかり焦点を当てているのがわかる。

一応本作は音楽がキーテーマになっているけれど、肝心のその音楽が普通すぎた。

『ディアルガVSパルキアVSダークライ』の感想

※ネタバレ注意!

誤解されたダークライ

これまで数多くのポケモンが登場したけれど、その中でもダークライはかなり印象の強いポケモンだ。フォルムが非常にカッコいいし、原作ゲームでも命中度の高い眠り技を使えるのが凶悪だった。そう、ダークライは一見すると悪役っぽいポケモンなのだ。

だが基本的に、アニポケにおいて完全悪のポケモンは存在しない。ダークライも全然悪役ではなく、むしろ街を守ろうとする正義のポケモンだ。

しかし、ダークライはおそらく不器用な性格で、街の人々に誤解されてしまう。本当はディアルガやパルキアを止めるためにダークライが登場したのだけれど、ディアルガやパルキアの争いの跡にダークライが居合わせたことで、誤解されたのだ。

そしてこれは、実は現実世界でもよくあることなのではないかと思う。例えば、何かしらのトラブルが発生し、僕がそれを解決するために現場に向かうとする。そして結局、トラブルを完全に解決することができなかったとしよう。ただし僕が現場に向かったおかげで、被害は最小限に抑えることができたとする。

この場合、少なからず被害が出ており、そしてその現場には僕がいる。そのうえ、実際に対処したのは僕なので、一見すると僕が問題を起こしたように見えてしまうのだ。

だから多くの人は、何かしらの問題に気づきはするけれど、自分のせいにされたくはないから、無闇に手を出さなくなる。結果として問題が解決することはなく、全員が被害を受けてしまう。

『ディアルガVSパルキアVSダークライ』も、もしダークライが街の人々に失望して何もしなくなったら、おそらくアルモスタウンは別次元の彼方へ消えてしまっただろう。しかしダークライは悪役を演じることになってしまうとしても、街を救う決断をしたのだ。

このことから学べることは、それなりにあると思う。

美術背景で絶対に損してる

ここ最近はポケモン映画を視聴しまくる日々を送っている。そうすると、意外にもポケモン映画の舞台が世界各地の観光名所になっていることがよくわかる。『ディアルガVSパルキアVSダークライ』もスペインが舞台となっていた。

だがしかし、とてもじゃないけれど、美術背景の質が高いとは言えない。時空の塔は実在するサクラダファミリアの方が圧巻だと思うし、街並みもスペインらしさが微塵もない。アニメ作品における美術背景は、新海誠作品のように、現実ではあり得ないぐらいに美化するのがちょうどいいのではないだろうか。もしポケモン映画が美術背景にも力を入れるようになったら、相当化けていたと思う。

せっかく世界各地を舞台にしていて、海外ウケも見込めるコンテンツなのに、変にケチって損している気がする。おそらく現地に赴いて取材もしたのだろうから、それを最大限活用すべきだと思う。

そしてこれは一体何が原因なのだろう。まず間違いなく、予算が出ない問題があるだろう。しかしこれほど成功が間違いないコンテンツで、予算が出ない理由は一体なんなのだろうか。それに、美術背景を作り込むことの重要性に気づいていない可能性もある。もしくは美術背景を作り込む以上は、キャラの表現も相当作り込まなければいけないだろうから、そこを妥協したのだろうか。

どちらにせよ、ポケモン映画は美術背景で相当損していると僕は思う。

さいごに

2007年というと、僕が小学2年生の頃だ。つまり例外なく、僕のポケモン人生全盛期である。小学校低学年でポケモンに触れてこなかったという人は、少なくとも僕の周囲にはいなかった。

そしてやはりダークライがカッコよかった。個人的にダークライはめちゃくちゃ好きで、ダークホールとか特性:ナイトメアとか、とにかく卑怯。やばい、久しぶりにポケモンやりたくなってきた。でも育成に時間かかるんだよなぁ。

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