【ギラティナと氷空の花束シェイミ感想】良くも悪くも平均的なポケモン映画

氷空の花束シェイミ
星島てる
アニメ好きの20代。ライターで生活費を稼ぎながら、アニメ聖地の旅に出ている者です。アニメ作品の視聴数は600作品以上。

今回は『劇場版ポケットモンスター ダイヤモンド&パール ギラティナと氷空の花束 シェイミ(以下、氷空の花束シェイミ)』について語っていく。

劇場版第11作目となる『氷空の花束シェイミ』は、2008年に上映されたポケモン映画だ。アニメ制作はOLMが担当している。

目次

『氷空の花束シェイミ』の評価

※ネタバレ注意!

作画80点
世界観・設定75点
ストーリー70点
演出70点
キャラ75点
音楽75点
※個人的な評価です

作画

2008年というと『とある魔術の禁書目録』や『とらドラ!』の時期だ。ポケモン映画が潤沢な予算に恵まれていて、かつ劇場版提供であることを考えると、『禁書』や『とらドラ!』と同じレベルの作画クオリティなのではないだろうか。

そして今回の『氷空の花束シェイミ』は、シェイミの動きが良かった。めちゃくちゃ細かく動くので可愛らしい。その一方で、他のポケモンの動きは以前よりもイマイチになっていて、人間の動きもなんとも言えない。

世界観・設定

今回はノルウェーが舞台となっている。北欧らしい風景がしっかり表現されていて、やはりポケモン映画は自然背景の方が強いのかもしれない。前作の美術背景よりは遥かにマシだと思う。

また、ギラティナが生み出す反転世界と、現実世界の繋げ方も面白かった。

ストーリー

ストーリーは、ポケモン映画の中でも平易で味気ないものだった。なんというか、悪い意味でシンプルだったと思う。起伏が感じられないので、エモーショナルな気持ちになれなかった。

なお『氷空の花束シェイミ』の特徴として、前作の『ディアルガVSパルキアVSダークライ』のストーリーを引き継いでいることが挙げられる。これまでのポケモン映画で、前作とストーリーが繋がっていたことは一度もなかった。

演出

演出はなんともいえない。今回も感動系のエンディングだったけれど、そこに十分な尺が投下されていない。

ただ先ほども述べた通りシェイミの動きはいい感じで、シェイミの可愛さとか生意気な感じはよく伝わってきた。

戦闘シーンは、一応迫力があるものの、ギラティナらしさとかシェイミらしさみたいなものがちょっと欠けていた気がする。あと『氷空の花束シェイミ』から積極的にエフェクトを活用するようになった、シェイミのシードフレアとかまさにその典型例。

キャラ

『氷空の花束シェイミ』は正直なところ、ゲストキャラ及びゲストポケモンの印象度が薄かった。これまでのポケモン映画と違ってシェイミの可愛さを強調したと言うのもあるけれど、信念みたいなものが、やはり薄い。ゲストキャラのムゲンやゼロも、僕の中でいまいちピンと来ていない。

音楽

主題歌はクリスタル・ケイの『ONE』で、これはまあぼちぼち。そして劇伴は、特別こだわっているようには思えなかったけれど、元々存在していたポケモンのBGMと、北欧風の風景との相性が良い。

『氷空の花束シェイミ』の感想

※ネタバレ注意!

ポケモンの性格が強く反映されるようになった

『氷空の花束シェイミ』に限った話ではなく、『ダイヤモンド&パール』全体を通して言えることなのだが、ポケモンの性格が強く反映されるようになった気がする。例えばこれまで、アニポケの代表的なポケモンといえばピカチュウとニャースだった。けれど『ダイヤモンド&パール』からポッチャマもピカチュウと同じ立ち位置で活躍するようになり、ミミロルはピカチュウに恋までしている。

そして『氷空の花束シェイミ』では、ツンデレで生意気なシェイミが登場した。これまでのポケモンは、あくまでも種としての特徴が押し出されていたけれど、『ダイヤモンド&パール』では個体としての特徴が押し出されている気がする。

とにかく平易

『氷空の花束シェイミ』は、とにかくシンプルで起伏のないストーリーだった。なんというか、まったく尖っていない。初期のアニポケはセリフにスパイスが効いていたし、人間の悪を全面に出すなどして、皮肉を効かせたストーリーとなっていた。

でも今回の『氷空の花束シェイミ』は、なんかよくありがちなアニメ映画になってしまっている。一体何を伝えたいのかが見えてこない。強いて言えば、かんしゃポケモンのシェイミのごとく「これまでお世話になった人に感謝の気持ちを伝えよう」みたいなメッセージ性があるけれども、やはりそれは皮肉が効いていない。

別に「皮肉が効いていないとダメ!」ということではないけれど、しかしやはり見応えに欠けるものだ。良くも悪くも平均点をしっかり取りに来たというのが『氷空の花束シェイミ』に対する僕の印象である。たしかに2008年ぐらいからテレビのコンプライアンスが厳しくなっていて、そのうえアニメのデジタル制作もある程度フォーマットが固まってきた頃合いだった。そういった背景もあって、角が取れて丸くなってしまったのかもしれない。

さいごに

2008年ということになると、さすがにその他深夜アニメのクオリティも高まってきた時代である。つまりクオリティが相対的に低下しやすいフェイズということだ。1998年に公開された『ミュウツーの逆襲』は、間違いなくクオリティは相対的に高かった。しかしそれ以降、ポケモン映画のクオリティが特別高まることはなく、他のアニメ作品のクオリティが平均的に高まった。

そして2010年代になって、その傾向は顕著なものになる。『氷空の花束シェイミ』は、そのきっかけになった作品な気がする。

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