【結晶塔の帝王エンテイ感想】子どもの孤独を親に伝えるポケモン映画

結晶塔の帝王ENTEI
星島てる
アニメ好きの20代。ライターで生活費を稼ぎながら、アニメ聖地の旅に出ている者です。アニメ作品の視聴数は600作品以上。

今回は『劇場版ポケットモンスター 結晶塔の帝王 ENTEI(以下、結晶塔の帝王エンテイ)』について語っていく。

『結晶塔の帝王エンテイ』は劇場版第3作であり、2020年夏に上映された。アニメ制作はOLMが担当している。

目次

『結晶塔の帝王エンテイ』の評価

※ネタバレ注意!

作画80点
世界観・設定80点
ストーリー75点
演出70点
キャラ75点
音楽75点
※個人的な評価です

作画

作画はあいかわらず良い。そういえばエンディングのクレジットには動画工房や京都アニメーションの名前があった。よくよく考えてみたら、これらのアニメスタジオの影響も大きい気がする。

『結晶塔の帝王エンテイ』でも、ポケモンの動きが実に滑らか。特にエンテイが素晴らしい。マントみたいなやつもしっかりなびいている。

また、『結晶塔の帝王エンテイ』ではアンノーンが3DCGで描かれている。ポケモン自体を3DCGで表現するのは『結晶塔の帝王エンテイ』が初めてかも。

世界観・設定

『結晶塔の帝王エンテイ』のゲストヒロインであるミーの空想をアンノーンが具現化してしまったという世界観。ジョウト地方で最も美しい場所とされるグリーンフィールドが、アンノーンの力による結晶で埋め尽くされてしまう。アンノーンってこんなに危険なポケモンだったのか。

そして『結晶塔の帝王エンテイ』はミーの空想が具現化しただけでなく、シュリー博士の想いも具現化したのではないかと僕は考えている。これについては御述。

ストーリー

『結晶塔の帝王エンテイ』の上映時間は約70分。『ミュウツーの逆襲』『ルギア爆誕』と比べても尺が短めだ。でもストーリーは十分面白く、テンポ感もいいし、アクションシーンの比率も大きかった。それでいて大人でも考えさせられるストーリーだったと思う。

演出

ポケモンの細かい動きが見れるのがポケモン映画のいいところ。冒頭のポケモンバトルが終了した後のランチで、ポケモンの微笑ましい姿が見れた。これを実現させるのにそれなりの労力が必要なはずだけれど、なんだかんだで余念がないのがポケモン映画だ。

キャラ

『ルギア爆誕』とは正反対で、『結晶塔の帝王エンテイ』はゲストキャラクターがかなり深掘りされていたのが良かった。思わず感情移入してしまうほどに。

音楽

主題歌は森久美子の『虹が生まれた日』だ。小林幸子や安室奈美恵ほどではないにしても、インパクトの大きい歌手起用だったと思う。

『結晶塔の帝王エンテイ』の感想

※ネタバレ注意!

アンノーンは誰の想いに応えた?

『結晶塔の帝王エンテイ』のメインポケモンはエンテイだけれども、諸悪の根源はアンノーンだ。アンノーンといえば、言わずと知れた”文字のポケモン”で、アルファベットの形をしているのが特徴。アンノーンは伝説や幻枠ではないのだけれど、シリーズで一貫して謎の多いポケモンとして扱われている。

そんなアンノーンが良い意味でも悪い意味でも大活躍するのが『結晶塔の帝王エンテイ』だ。『結晶塔の帝王エンテイ』でアンノーンはシュリー博士を別空間に連れ込み、ミーの空想を具現化することでグリーンフィールドの景観を台無しにし、結果的にサトシのママ誘拐事件まで発生させてしまった。というか、アンノーンが大量に存在するとここまでの力を発揮するようになるとは思わなかった。

おそらくアンノーンは、物語を生み出す力があるのだと思う(もちろん、そんな設定はない)。姿形がアルファベットの文字になっているのも、物語を作り出すためだと考えられる。

そして一般的な見方でいけば、アンノーンがミーちゃんの空想を具現化したのだろう。実際にエンテイが具現化したのも、ミーちゃんが大好きな絵本にエンテイが登場するからだ。

ミーちゃんの両親はどうやら多忙らしく、ミーちゃんは普段、ひとりぼっちで生活していた。そこでアンノーンが登場した。アンノーンが生み出した結晶塔はミーちゃんが引きこもるには最適な場所だ。お父さんもお母さんも手に入るし、好きなポケモンに囲まれることもできる。アンノーンはミーちゃんのために空想を具現化したのだ。

しかし物語をちゃんと振り返ってみると、少し違う見方ができる。そもそもミーちゃんとアンノーンを引き合わせたきっかけを生み出したのは、ミーちゃんのお父さんのシュリー博士だ。物語冒頭で、シュリー博士は自分の仕事のせいでミーちゃんをひとりぼっちにしてしまうことを懸念していた。それでアンノーンの別空間に取り込まれた際、シュリー博士の「ミーちゃんのやりたいことをやらせてあげたい」という想いに、アンノーンが応えたのではないか。

つまり流れとしては「アンノーンがシュリー博士の想いに応えたことで、ミーちゃんの空想を実現化するようになった」という具合になる。そう考えると物語の本質は、ミーちゃんではなくシュリー博士の方にあるのではないだろうか。

たしかに親というものは、子どもを大事にする一方で、自分の仕事に集中しなければいけない時期を必ず迎えることになる。そのバランスは非常に難しいところだ。でもやはり「仕事<家族」であるべきで、そういった問題提起が『結晶塔の帝王エンテイ』のやりたいことだったのではないかなぁと思う。

ポケモン映画は例外なく、子どもだけでなく親御さんも鑑賞することが多い作品だ。大人でも学べることが多い作品なのである。

さいごに

僕が生まれたのが2000年3月で、『結晶塔の帝王エンテイ』が上映されたのが2000年夏。まさに僕が生まれた頃の映画ということで、少々感慨深いものがあった。

さて、次は『セレビィ 時を超えた遭遇』だ。あいかわらず、物語のほとんどを忘れてしまっているけれど、思い出しながら楽しく視聴したいと思う。

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