今回は『劇場版ポケットモンスター 水の都の護神 ラティアスとラティオス(以下、水の都の護神)』について語っていく。
劇場版第5作目となる『水の都の護神』は、2002年に上映されたポケモン映画だ。アニメ制作はOLMが担当している。
『水の都の護神』の評価
※ネタバレ注意!
作画 | 80点 |
世界観・設定 | 82点 |
ストーリー | 75点 |
演出 | 70点 |
キャラ | 75点 |
音楽 | 83点 |
作画
本作からデジタル作画となった。OPの水上レースのアクションシーンは圧巻だ。ただしセル画の頃と比べて、少々雑な作画も増えた印象がある。特に登場人物やポケモンの細かい動きが、だいぶ失われた。
それと3DCGがかなりパワーアップしている。冒頭でタイトルが登場する部分や、海のシーンは迫力があった。
ちなみに個人的に、冒頭のフラッシュアニメーションが好み。
世界観・設定
ヴェネチアがモデルとなっている水の都・アルトマーレが舞台。ポケモン映画の中で本作が人気である理由の一つに、この”水の都”が挙げられるだろう。音楽の雰囲気がいいこともあって、たしかに世界観は良い。
その一方で「なぜ緑を中心にした配色なのだろう」という部分が気になった。本来のヴェネチアは水の都らしく青い海が広がっていて、建物の屋根は赤レンガだ。ただし本作で描かれたアルトマーレは、水の色がグリーンなのはまだしも、建物まで緑が多かった。
まあでもたしかに、緑を中心にした方が、あの秘密の公園に繋げやすいというのがある。自然豊かなイメージが出るし。
ストーリー
本作は、これまで公開されたポケモン映画の中でも、サトシがほとんど活躍しないストーリーだった。いや、もちろんサトシも奮闘するのだけれど、基本的には水の都のラティアスとラティオスの物語だった。本質的な部分でサトシは何もやっていない。
おそらく本作は、サトシの物語というよりは、水の都で物語を描くことがテーマになっていたと思う。
演出
演出のクオリティは、まずまず。本作は、ポケモン映画屈指の名作とされているけれど、だからといって演出のクオリティが特別高いわけではない。本作もクライマックスの盛り上がり方はなんとも言えない感じだった。
そのうえ本作は、ポケモン映画初めてのデジタルということもあり、細かい動きによる演出の魅力がかなり損なわれてしまった印象がある。とはいっても、アニメ業界全体で見れば高水準の演出だったとは思う。
キャラ
先ほども述べた通り、本作は水の都の物語だった。そのためサトシ一行やロケット団は、基本的に観測者の立場だったと思う。
ちなみに今回のゲストキャラである怪盗姉妹はなかなか印象的。声は神田うのと釈由美子が担当していたようだ。なんだか時代を感じさせる……。
音楽
本作の最大の魅力は音楽だ。数あるポケモン映画の中でも本作は音楽にかなり力を入れていて、実際にヴェネチアで活躍したアコーディオニストであるcobaを音楽に起用。アコーディオンの音色が素敵で、水の都・アルトマーレの雰囲気とマッチしていた。
特にOPの『めざせポケットマスター2002』のアレンジが良き。
『水の都の護神』の感想
※ネタバレ注意!
最後のキスシーンはどっちなんだ!?
本作で真っ先に議論に挙げられるのは、ラストのキスシーンだ。あのキスシーンはメインヒロインのカノンなのか、それともラティアスなのかというもの。その答えは明確になっていないが、少なくともこのキスシーンがとても素敵なシーンだったのは間違いない。
さて、結局どちらがサトシにキスしたのだろうか。個人的にはカノン派を推したい。
まずストーリーの観点で言えば、ラティアスの方が濃厚だ。ラティアスはサトシにとても懐いていたし、少なくともカノンよりは濃厚な付き合いだったと思う。
ただもし仮にカノンがサトシにキスしたのだとしたら、それはとても甘酸っぱいことではないだろうか。というのも、もしカノンがサトシにキスしたのだとしたら、カノンは”カノンのふりをしたラティアス”のふりをしたことになるわけで、これは中々にエモいし、素敵だ。元々カノンはツンデレっぽいところも見せていたから、なおさらエモい。
それに一応、キスシーンのBGMが「カノン」という曲名になっていたようだから、実際問題、やっぱりカノン説がやや濃厚なのではないかなぁと思う。
ポケモンは悪ではない
本作はこれまで以上に人間の悪が強調されていたと思う。
本作のキーアイテムである”こころのしずく”は、ラティアス&ラティオスとともに邪悪を追い払う力があるとされており、そして邪悪な者がこころのしずくを手に入れてしまうと、とんでもないことになるという言い伝えがあった。
実際に本作の悪者キャラである怪盗姉妹が、こころのしずくを手に入れることで、アルトマーレの街がとんでもないことになる。
これまでのポケモン映画でも、人間の悪い部分が強調されていた。それと同時に「ポケモンは悪ではない」という響きも強調されていて、これは現代の人類至上主義の社会に似た構造になっている気もする。多分いずれは「AIは悪ではない」という風潮も広まるのではないかなぁと、僕は勝手に予想してみる。
いやまあもちろん、人間だって良い人はたくさんいる。本作で言えばサトシ、カスミ、タケシなどは普通に良い人だ。
世の中には「性善説」と「性悪説」という二つの思想が存在し、対立している。そして少なくとも、ポケモン映画においては、ポケモンは「性善説」であることには違いない。ポケモン映画で描かれるトラブルの大半は、人間によってポケモンの力が暴走することから起因している。
ではサトシなどの人間が「性悪説」なのかと言われれば、それはわからない。だが、現実問題として現在起こっている問題のほとんどは人間由来のものだ。BBCのサイトを見れば、大抵は米中問題やロシアのウクライナ侵攻などの人間の問題だ。
そして一応解説しておくと、性善説も性悪説も、どちらもゴールは善に設定されている。だからどちらの考え方であっても、人間は善を目指すべきなのだ。
ポケモン映画の世界で言えば、人間が善を目指すためにポケモンを活用すべきだし、現実世界で言えば、人間が善を目指すためにAIなどのテクノロジーを活用すべきなのだと思う。
さいごに
本作はやはり、音楽が素晴らしかったと思う。ヴェネチアを舞台にした作品は、やはり音楽が素晴らしいのだ。『ARIA』のように。いつかヴェネチアには訪れたいと思う。
さて、本作でついに無印のポケモンが終了し、次回からは『アドバンスジェネレーション』となる。ここでカスミともお別れかぁ……。