【アニメ映画感想】さよならの朝に約束の花をかざろう

さよならの朝に約束の花をかざろう

今回は『さよならの朝に約束の花をかざろう(以下、さよ朝)』について語っていく。

『さよ朝』はP.A.WORKS制作によるアニメオリジナル作品だ。『あの花』や『ここさけ』で脚本を務めた岡田麿里の初監督作品で、2018年2月に上映された。アニメ制作はP.A.WORKSが担当している。

なお僕は、Filmarks主催の『プレチケ』での8日間限定の再上映プロジェクトで『さよ朝』を視聴した。

目次

『さよ朝』の評価

※ネタバレ注意!

作画90点
世界観・設定85点
ストーリー85点
演出85点
キャラ80点
音楽80点
※個人的な評価です

作画

僕が視聴してきたP.A.WORKS作品の中で、最も美しい作画だったと思う。背景はもちろんのこと、光の明暗の使い方が繊細で、とにかく美しい。劇場版クオリティの及第点は余裕でクリアしている。

世界観・設定

中世欧州のような世界観が舞台となっている。それも、戦争の緊張が高まるきな臭い世界観だ。美しい美術背景で描かれていることもあり、作画やストーリーよりもまず世界観に惹かれてしまう。P.A.WORKSらしい雰囲気だ。

ストーリー

不老長寿の種族である少女が、人間の少年と通じながら、人間の世界が描かれていくストーリー。もちろん、戦争を通じて人間の愚かさが描かれていくわけだが、それを含めて「世界は美しい」という結論を出しているのが気持ちいい。

また、不老不死の主人公・マキアと人間の少年・エリアルの成長が描かれていく中で、親子の関係性をテーマとしたストーリーが描かれた。こちらは中々感動できる(僕は泣いた)。

演出

決して泣かせにきているわけじゃないというのが、P.A.WORKSの演出の基本にあると僕は思っている。『さよ朝』も感動的なストーリーではあるが、涙を強く煽る演出は採用されておらず、しっとりと心に刻まれていく美しい演出がベースだった。

キャラ

Wikipedia先生によると、漫画家のあさりよしとおが「そこに至るまでの主人公が、物語から役割を与えられて動いている」と評価したらしいが、たしかに僕もそんな雰囲気を感じた。

というか個人的には、不老不死の種族であるイオルフの三人(マキア、レイリア、クリム)が何かしらの役割を与えられて動いているように見えてしまった。それは別に悪いことではない気もするけれど、少し単調な印象を抱かせてしまうのも事実だ。これについては後述する。

音楽

オーケストラ調の壮大な楽曲が採用されていた。まあ、これは当然の判断だといえる。壮大で美しい世界観にオーケストラ調の音楽が合わないわけがない。主題歌の『ウィアートル』は地味な楽曲だけれど、『さよ朝』とのしっとりとしたエンドにふさわしい楽曲だった。

『さよ朝』の感想

※ネタバレ注意!

マキアとレイリアとクリム

先ほども述べた通り、マキアとレイリアとクリムは、何かしらの役割を与えられて動いているように見える。

まず前提として、この3人は不老不死の種族であるイオルフであり、寿命は人間の数倍以上だ。だから見方を変えると、イオルフは人間の世界を客観視できる立場につくことができる。例えばマキアは、人間の少年であるエリアルの一生を見届けることができていた。

また、この3人の中だとクリムだけ死亡したが、マキアとレイリアとは異なり、クリムはいつまで経っても過去に縛られたままだった。これは個人的な考えだが、岡田麿里が脚本を担当している作品の大半で「過去との向き合い方」がテーマになっているように思える。『あの花』や『ここさけ』といった超平和バスターズ作品がそうだし、『凪あす』や『true tears』といったPA作品でも同じだ。

その中で過去に縛られていたクリムだけ死亡するというのは、何かしらのメッセージを感じざるを得ない。「過去に縛られるとろくなことがない」という極端で過激なメッセージではないと思うが、”過去”について考えさせられるエピソードだったことは間違いない。

なお、脚本を制作する方法は、大まかに分けて2種類存在する。キャラを動かす方法と、ストーリーにキャラを乗せる方法だ。キャラを動かす方法は、一旦キャラを作り込んでから、頭の中でキャラを動かしてみて、それでストーリーを制作するというもの。一方でストーリーにキャラを乗せる方法は、一旦大まかなストーリーを作ってから、そこにキャラを乗せて、シナリオを構築する方法だ。
一般的に、アニメ制作ではストーリーにキャラを乗せる方法が採用される。なぜなら複数人で脚本を検討する場合が多いからだ。そしてストーリーにキャラを乗せる方法は、先にストーリーが構築されてしまっているが故に、キャラの性格とストーリーが噛み合わないことが多々ある。
『さよ朝』がどのような方式で脚本を制作したかは存じ上げないが、まあおそらく脚本会議も行われているだろうから、ストーリーにキャラを乗せる方法を採用しただろう。だからあさりよしとお氏が感じたように、キャラが役割を与えられて動いているように感じたのだと思う。それが必ずしも悪いことではないが、意図せずして「キャラが役割を与えられて動いているように見えた」のであれば、あまりよろしくないことのように思える。

戦時下の世界で描かれる愛は、重みが違う

『さよ朝』の最大の見せ場は、やはり出産シーンだったと思う。『さよ朝』の出産シーンで印象的だったのは、ディタの出産の裏側で、エリアルの戦闘シーンも描かれることだ。

そもそも、平和な世界における出産と、戦時下の世界における出産は、重みが全く異なる。平和な世界では、日常から”死”が切り離されているが、戦時下の世界において”死”は当たり前。その中で新たな命を育むというのは、なんというか、一言でいえば美しい。

これは、ラブコメで描かれる愛とは全く異なるものだ。まさに”命懸けで愛を追求する世界”。重みが全く違う。

それで、こういうストーリーはドラマやミュージカルでは何度も描かれてきたけど、これをアニメで表現するというのが『さよ朝』独自の要素になっている気がする。アニメは良い意味でも悪い意味でも、美化することが容易だ。『さよ朝』が描く美しさは、もしかしたら否定的な意見もあるかもしれないけれど、少なくとも僕は好きだ。

さいごに

個人的には、P.A.WORKSの中で最もクオリティの高い作品だったと考えている。アニメオリジナル作品でありながら、劇場オリジナル作品でもあるので、それなりに凝っていて当然かもしれない。とはいえ、岡田麿里のストーリーはもちろんのこと、作画や背景がとにかく美しかった。やはり映画館での再上映を待って正解だった……。

このようにして、アニメ映画の再上映プロジェクトは定期的に開催されている。これを活用すれば、数年前以上のアニメ映画を映画館で鑑賞できる。今後も再上映プロジェクトを活用して、アニメ映画を視聴していこうと思う。そしてとりあえず、PA作品は全部視聴しておく……。

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