今回は『平成狸合戦ぽんぽこ』について語っていく。
『平成狸合戦ぽんぽこ』は、高畑勲監督によるアニメオリジナル作品で1994年に公開された。
アニメ制作はスタジオジブリが担当している。
『平成狸合戦ぽんぽこ』の評価
※ネタバレ注意!
作画 | 93点 |
世界観・設定 | 90点 |
ストーリー | 90点 |
演出 | 90点 |
キャラ | 85点 |
音楽 | 87点 |
作画
流石に作画のクオリティは極めて高い。『平成狸合戦ぽんぽこ』は狸が主な登場人物なわけなので、当然、キャラのほとんどは狸。人間を描くのとは勝手が違う中で、素晴らしい動きを描いていた。
また、化け学で狸が色々なものに変化するシーンも包み隠さず描かれていて、よくよく考えるとこれは凄いことなのがわかる。フルアニメーションでなければできない芸当だし、動画マンの腕も問われる。
世界観・設定
高畑勲監督の前作『おもひでぽろぽろ』に通ずる部分がある世界観だ。多摩ニュータウンの開発で山が切り崩されている状況が舞台設定となっていて、非常に考えさせられる。
また、狸たちの振る舞いにはメッセージを感じさせられる。
ストーリー
119分という尺が本当にあっという間。なんだかんだでストーリーの展開はかなり速い。高畑勲監督が原作ということもあり、ストーリーを完璧に掌握できている印象があって、エンディングもかなり良かったと思う。
演出
ナレーションが挿入されていることもあり、映像作品を見せられている気分になる。ストーリーに没入させる気は全くなく、むしろ「外から俯瞰すること」を視聴者に要求しているように見える。
また、狸の動き方がもう最高にいい。この動きは、間違いなくスタジオジブリにしか作れないだろうな。
キャラ
狸の中でも個性がちゃんとあって、それぞれの判断や選択が、後々大きな影響を及ぼしている様子も描かれている。狸らしさとは何なのか? 人間らしさとは何なのか?
最も人間らしい立ち振る舞いをした正吉が、最も人間的だったのかもしれない。
音楽
なんだかんだでミュージカル映画なんじゃないかってぐらい音楽が挿入されていた。主題歌の『いつでも誰かが』は久しぶりに聴くとちょっと感動するな。
『平成狸合戦ぽんぽこ』の感想
※ネタバレ注意!
ナレーションを挿入した意味
高畑勲監督の前作『おもひでぽろぽろ』も中々にエグい作品だけれど『平成狸合戦ぽんぽこ』も相当にエグい作品だ。人間が都市開発のために山を切り崩すのはともかくとして、それに怒った狸が人間を殺す。それでいて、可愛く擬人化された狸を人間が殺すシーンも描かれているし、だけれども『おもひでぽろぽろ』のように悲壮感たっぷりというわけではなく、むしろコミカルに描かれているようにも見えてしまう。
そして『平成狸合戦ぽんぽこ』のエグさを客観的に見ることができたのは、ナレーションが挿入されていたことが大きいのではないだろうか。この『平成狸合戦ぽんぽこ』というのは、あくまでも映像作品に過ぎないということをナレーションが強調しているように思う。
では、ナレーションを挿入することの真意は一体どこにあるのだろうか。
『平成狸合戦ぽんぼこ』を見てみると、まず考えさせられるのは人間たちの非行だ。人間は、都市開発を進めるために、多摩の自然を切り崩すだけでなく、切り崩した際に発生した余分なものを別の場所に撒き散らし、多くの自然を犠牲にしている。自然を犠牲にするということは、その自然に根付いていた動物たちを犠牲にしているわけで、そういった点で考えさせられるところが多い。
しかし、もしこの部分を強調させたいのであれば、ナレーションなんか挿入せずに、高畑勲監督が得意な感傷的な演出で、視聴者を狸に感情移入させた方がいい。でも実際はそうしなかった。
僕が思うに『平成狸合戦ぽんぽこ』という作品は、必ずしも「狸=正義」を描いているわけではないのだと思う。実際、権太は「人間を殺す」という人間がやってきた非行と同じことをやろうとするし、「子どもを産んじゃダメ」と約束しているにも関わらず大量に赤ちゃんを作っちゃうし。言ってしまえば、狸にもまた非があるというか「だから人間に侵略されるんだよ」という感じである。
このような視点は、ナレーションが挿入されたことで得られたものだと言える。なぜならナレーションが挿入されたことで、視聴者は俯瞰的にストーリーを追うことになるため、冷静に狸たちの言動を見ることができるからだ。その結果、視聴者は人間だけでなく狸をも反面教師にすることができるのである。
狸らしさと人間らしさ
『平成狸合戦ぽんぽこ』は、狸と人間の対立的な関係を、基本的には狸目線で描いている作品だ。だが、一口に人間と言ってもそれぞれの人間で性格や行動パターンが全く異なるのと同様に、本作における狸も、それぞれの狸で行動パターンが全く異なる。
『平成狸合戦ぽんぽこ』の主人公でもある正吉は、狸のくせにやたらと人間臭い狸で、人間と共存することを望んでいた。一方、強硬派のリーダーである権太は「人間は皆殺しにすべきだ」と考える正真正銘の過激派で、しかしこれも、ある意味では人間らしいと言えるかもしれない。なぜなら、人間も自分たちのために自然(狸)を破壊してきたからだ。逆に、最も狸らしいと言えるのが、正吉の幼馴染であるぽん吉だ。ぽん吉は、まさに正真正銘の狸であり、阿呆である。最も狸らしい狸であるぽん吉は、正吉や権太のように化け学を使うことができない。
そして個人的に、水飲み沢の文太の以下のセリフが印象に残っている。
しかしこの変わりようは激しすぎる!化かされているのはこっちじゃないのか!
『平成狸合戦ぽんぽこ』より引用
本当に人間の仕業なのか? いや違う。こんな事ができるのは狸しかいない。他に居るもんか!人間共は狸だったんだ。奴等…狸の風上にも置けない、くさいくさい古狸なんだ!山を返せ!里を返せ!野を返せえ!うあああ…うう…
『平成狸合戦ぽんぽこ』より引用
改めて考えてみると、広大な大自然を切り崩して、コンクリートジャングルにしてしまう人間は、もしかしたら狸以上の狸なのかもしれない。
さいごに
本当に超久しぶりに『平成狸合戦ぽんぽこ』を視聴した。子どものころに見たときは「なんかヘンテコなアニメだなぁ」ぐらいの印象にしか思わなかったけれど、やはり大人になってから見ると全然違って見えてしまう。これがスタジオジブリ作品の二面性なのだと思う。
子どもの頃に見ていたアニメも、大人になったらきっと印象が変わる。この場合、10年後でも20年後でも、視聴に耐えられるだけのクオリティで作り上げる必要がある。その点、スタジオジブリは実に素晴らしいクオリティなので、これから何年経っても、作品を楽しむことができるだろう。