【窓ぎわのトットちゃん感想】現代教育に対する強烈なメッセージ

窓ぎわのトットちゃん
星島てる
アニメ好きの20代。ライターで生活費を稼ぎながら、アニメ聖地の旅に出ている者です。アニメ作品の視聴数は600作品以上。

今回は『窓ぎわのトットちゃん』について語っていく。

『窓ぎわのトットちゃん』は黒柳徹子が1981年に出版したノンフィクション小説が原作だ。2023年12月現在、全世界累計発行部数は800万部を超えており、これは戦後最大のベストセラーだそうだ。

そして2023年12月、テレビ朝日開局65周年記念作品として、劇場アニメが公開された。アニメ制作はシンエイ動画が担当。メインスタッフには『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』で活躍したクリエイターが名を連ねている。

目次

『窓ぎわのトットちゃん』の評価

※ネタバレ注意!

作画92点
世界観・設定88点
ストーリー88点
演出87点
キャラ80点
音楽83点
※個人的な評価です

作画

作画のクオリティは非常に高かった。相当のリソースを投下しているのがわかる。

なんだかんだで3DCGがほとんど用いられておらず、手描きアニメを重視していた印象がある。また、イメージシーンでは手描きアニメならではの表現技法が用いられていて、センスも中々だった。

世界観・設定

黒柳徹子の小学生時代が描かれているということで、第二次世界大戦時の日本が舞台となっている。黒柳徹子は、なんと1933年生まれなので、物心ついたときに戦争を目の当たりにしたということになる。ということで、当時の生活感がかなりリアルに描写されていたのではないだろうか。僕としても、見ていて色々なことを考えさせられた。

また、”教育”や日本人特有の”空気”についても、色々なメッセージがあった。

ストーリー

上映時間は114分なので、現代アニメ映画の中では”ちょい長め”ぐらい。でも、ストーリーはほとんど飽きなかった。当時の生活感がところどころで描かれているから、全然飽きない。実際、劇場内で途中離席する人も、比較的少なかった。

演出

『となりのトトロ』のメイちゃんを想起させるような演出が多かった。なんとなくジブリっぽい雰囲気がある。

また、先ほども述べた通り、3DCGはあまり用いられておらず、手描きアニメだからこそできる表現が追求されていたと思う。

キャラ

キャラクターは非常に印象的。トットちゃんというのも親しみがあるネームだし、サブキャラクターもかなり印象的だった。

音楽

“音楽”は『窓ぎわのトットちゃん』のテーマになっていることもあって、かなり気合が入っていたんじゃないかと思う。主題歌を務めたあいみょんの『あのね』も中々いい曲だった。

『窓ぎわのトットちゃん』の感想

※ネタバレ注意!

お客さんの入りにビックリ!

映画館に訪れて、まず僕が驚いたのは、お客さんの入りだ。

僕は普段からテレビを見ないし、それどころかSNSすら使わなくなっているので、どんなものが流行っているのかとか、どんなものが積極的にプロモーションされているかがよくわからない。それで僕は『窓ぎわのトットちゃん』を”ちょいマニア向けの作品”ぐらいに思っていたのだ。

しかし蓋を開けてみれば、”ちょいマニア向けの作品”とは思えないぐらいの入りで、キッズもたくさん入っていたから、もはや『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』と同じ扱いだったと言える。

よくよく考えてみれば『窓ぎわのトットちゃん』はテレビ朝日が持つアニメ制作のリソースを一気に注ぎ込んだ作品なのだから、大々的にプロモーションされていてもおかしくない。ドラえもん』とか『クレヨンしんちゃん』とか『プリキュア』とかでもCMが打たれたのではないだろうか。

まあ「公開されてからすぐの日曜日だったから」というのもあるかもしれないけれど、だとしてもあの入り方は、普通に数十億円レベルの興収になるんじゃないかなと思う。

黒柳徹子を生み出した柔軟な教育

たくさんのお子様が映画館に来場したけれど、実際のアニメーション作品は、どちらかと言えば大人向けだと思う。そして大人は大人でも、親とか教育者をメインターゲットにしているように思う。

トットちゃんは、いわゆる”困った子”で、医学的に言えばADHDやアスペルガー症候群に該当するのだと思う。トットちゃんは、知的好奇心をフルに働かせて、色々なことに飛びつき、遊び、そして大人の人たちを困らせ、最終的に小学校を退学になってしまうのだ。

そんなトットちゃんが新しく入学したのがトモエ学園だ。トモエ学園の校長・小林先生は、トットちゃんの話を散々聞いた後に「君は、ほんとうは、いい子なんだよ」と優しく語りかけ、どうやらこの出会いがトットちゃんの人生を大きく変えたということらしい。

しかしそれにしても、トモエ学園の教育方針は、かなり興味深いものだった。トモエ学園には、時間割と呼べるものがなく、各児童が各々にやりたい科目を自習するのだ。全児童人数も数十人ぐらいで、電車が教室になっていて、とにかく”自由”という言葉が似合う教育スタイルだ。トットちゃんも、この教育スタイルに合致したようで、毎日、楽しい学校生活を送っていた。

だがその後、第二次世界大戦が本格化し、日本は謎の空気感のもとに、国民全員が貧しい生活を強いられるようになる。現在、日本人は裕福な生活を送るようになっているけれども、教育方針については未だにトモエ学園と真逆で、全員が同じことを勉強する。そのうえ、中学生から”制服”という名の”脱・個性”を強いられ、みんなが同じように会社に入社して、そのまま定年まで会社勤めである。

トット学園の教区方針から得られる教訓はたくさんあるだろう。

ただ、僕が最も印象的だったのは、トットちゃんが和式トイレに財布を落としたときのエピソードだ。トットちゃんは、和式トイレにある財布を見つけるために、徹底的に糞を掻き出す。それを見た小林先生は、特に怒ることもなく「ちゃんと片付けするんだよ」とだけ言い、トットちゃんに徹底的に糞を掻き出させたのである。その結果、トットちゃんは財布を見つけ出すことはできなかったけれど、糞はちゃんと戻してるし、何よりも、自分なりに納得することができた。

そして、このエピソードの対比だと思われるエピソードが、ヒヨコのシーンだ。祭りに赴いたトットちゃんは、ひよこすくいを見て「ヒヨコを飼いたい!」と言い出す。でも両親はそれをかなり強く反対した。ヒヨコがすぐに死んで、トットちゃんが悲しい想いをする可能性があるからだ。ただし、最終的にはトットちゃんの猛攻撃に折れて、結局ヒヨコを飼い、そしてヒヨコが死んで、トットちゃんは悲しい想いをするようになる。

この2つのシーンは、泰明ちゃんのラストにも繋がってくる。和式トイレに落とした財布も、ヒヨコも、そして泰明ちゃんとの関係も、結果だけ見れば、いわゆるバッドエンドだったように思える。しかし、トットちゃんは自分が「やりたい!」と思ったことを信じ、糞をひたすら掻き出したり、ヒヨコを可愛がったり、泰明ちゃんとの友情を育んだりして、多くのことを感じ、学ぶことができたのである。これらの経験はトットちゃんの血肉となり、そして今の黒柳徹子に繋がっているのは言うまでもない。

多くの親・教育関係者は、無謀な夢や目標に対して「どうせ失敗するからやめとけ」と言う。でも、そもそも成功確率が0%というわけではないし、仮に当初の夢や目標を達成できなくても、そこまでのプロセスに納得がいくのであれば、その経験は必ずいつか活きてくるはずである。これが、本来あるべき教育なのではないだろうか。

重要なのは”納得感”だ。自分が納得できるまで、徹底的にハマリ、飽きたら別のことにハマればいい。だから1時間ごとに授業の科目が入れ替わる”時間割”は、納得感もクソもない、教師都合の悪しき慣習なのかもしれない。

実は”音楽”もテーマの本作

『窓ぎわのトットちゃん』では、個人的に、以下のフレーズが印象的だった。

目あれど美を知らず、耳あれど楽を聴かず、心あれども真を解せず、感激せざれば燃えもせず

『窓ぎわのトットちゃん』より引用

これは小林先生のセリフで、原作小説では「文字と言葉に頼り過ぎた現代の教育は、子供達に、自然を心で見、神の囁きを聞き、霊感に触れるというような、官能を衰退させたのではなかろうか? -世に恐るべきものは、目あれど美を知らず、耳あれども楽を聴かず、心あれども真を解せず、感激せざれば、燃えもせず・・・の類である」というように書かれているようだ。

また、トットちゃんの父親はヴァイオリン奏者で「軍のためにバイオリンを弾きたくない」というまでに、音楽に誇りを持っているキャラクターだ。その父親に育てられたトットちゃんも、なんだかんだでピアノが弾けていることから、音楽に対する理解があると思われる。

たしかに現代の教育は、文字と言葉に頼りすぎている節があるかもしれない。文字と言葉は、基本的には論理を司る左脳的なもので、美術とか音楽は感覚を司る右脳的なものだ。左脳に頼りすぎた結果、僕たちは理屈ばかり考えて、感覚を信じることができていないんじゃないかと思う。

実際、現代教育で重視されるのは「国語・算数(数学)・理科・社会・英語」で「音楽・美術・体育・家庭」はサブ科目的な扱いになっている。

教育で重要なのは、とにかく、子どもたちの飽くなき知的好奇心をフル活用させることに尽きる。それでいくと現代教育は、大人が教育しやすいように知的好奇心を押さえつけるアプローチになっている。たしかに、全員が同じ方向を向く必要があった昭和の時代であれば、それでもよかったかもしれない。しかし現在は、もっぱら多様性の時代だ。

最近はN高や高専が話題になっていて、多様性のある教育を選べるようになっている。親御さんが『窓ぎわのトットちゃん』を視聴して「もっと柔軟な教育にすべきだな」と思ってくれればいいなぁと思う。

さいごに

『窓ぎわのトットちゃん』は、テレビ局の力が大きいし、実際にクオリティは非常に高かったので、アカデミー賞でノミネートされるのは間違いなさそうだ。

2023年最大の話題作とも言える『君たちはどう生きるか』に比べて『窓ぎわのトットちゃん』はわかりやすい作品だったから、もしかしたら最優秀賞もあり得るかもしれない。

あぁ、そうだ。「目あれど美を知らず、耳あれど楽を聴かず、心あれども真を解せず、感激せざれば燃えもせず」は、まさに『君たちはどう生きるか』から学びを得られるかどうかにある気がする。文字や言葉に縛られている人は『君たちはどう生きるか』を楽しめない、ということかもしれない。

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