今回は『傷物語〈III冷血篇〉(以下、傷物語冷血篇)』について語っていく。
『傷物語』は『物語シリーズ』の作品の一つであり、西尾維新の小説が原作であり、そしてこれが劇場三部作としてアニメ化された。第一作目の『傷物語鉄血篇』が2016年1月、第二作目の『傷物語熱血篇』が2016年8月に上映され、そして第三作目となる『傷物語冷血篇』が2017年1月に上映された。
アニメ制作はシャフトが担当している。
『傷物語冷血篇』の評価
※ネタバレ注意!
作画 | 96点 |
世界観・設定 | 92点 |
ストーリー | 90点 |
演出 | 92点 |
キャラ | 90点 |
音楽 | 90点 |
作画
作画は間違いなく最高峰のレベルだ。『傷物語冷血篇』における見せ場は、阿良々木暦が羽川翼のおっぱいを揉もうとするシーンと、阿良々木暦VS羽川翼の戦闘シーンの2つ。
まずおっぱいシーンに関しては、一般的なエロ系アニメは大した予算がかからないので、超高クオリティのエロいシーンが拝めるだけで素晴らしいことだ。
また戦闘シーンに関しては、吸血鬼にしかできないグロテスクな戦いが描かれた。これはもう本当にえげつない。東京オリンピックのパロディなのか、様々なスポーツの動きが戦闘シーンに取り入れられたりした。
世界観・設定
世界観は前作と同様にかなり作り込まれている。また、『傷物語冷血篇』では旧国立競技場が舞台となっていたが、よくよく振り返ってみると、駒沢オリンピック公園や首都高など、近代日本の建築物が多く登場していた。ではこれが『傷物語』とどう関係していくのか。これについては後述していこうと思う。
ストーリー
ストーリーは、とてもハッピーエンドだとは言えないだろう。だからこそ『傷物語』よりも先に『化物語』が描かれたのかもしれない。だが、キャラの個性を重視するのであれば、最もふさわしいシナリオ展開だとは思う。
演出
全体的に、演出は非常に凝っていた。特に体育倉庫のシーンの演出は最高。あれだけエロいシーンはあれだけの高品質アニメーションで見れるのは中々ない。しかも、羽川さんだもんなぁ……。
キャラ
キャラは相変わらず個性が強い。そしてストーリー展開がキャラの個性を重視していることもあって、キャラがより魅力的に見える。
音楽
やはり『傷物語』は、TVアニメの『物語シリーズ』と比べて音楽のセンスが良い。中々新しい音楽を取り入れている。また、主題歌の『étoile et toi [édition le blanc]』も、セールスではなく純粋に『傷物語』の雰囲気を掻き立てるために制作された感じがする。この制作姿勢にも、個人的に共感が持ててしまう。
『傷物語冷血篇』の感想
みんなが不幸になることを求める日本人
『傷物語』全体を通して、日本の国旗が描かれるカットが非常に印象的だった。僕は視聴中に「なんで日本の国旗を挿入するんだろう?」とも思った。そして戦闘シーンは近代日本の建築物が舞台となっていて、極め付けは『傷物語冷血篇』の旧国立競技場だ。1964年の東京オリンピックのナレーションなんかも挿入されていて、明らかに近代日本を意識している。
そして『傷物語冷血篇』のオチは、みんなが不幸になることだった。
互いに傷つけあった僕達は、その傷を舐め合う。
『傷物語』より引用
傷物になった僕達は、互いに互いを求め合う。
「お前が明日死ぬのなら僕の命は明日まででいいーーお前が今日を生きてくれるなら、僕もまた今日を生きていこう」
僕は声に出して、そう誓った。
そして傷物達の物語が始まる。
赤く濡れて黒く乾いた、血の物語。
決して癒えないーー僕達の、大事な傷の物語。
僕はそれを、誰にも語ることはない。
本来であれば、キスショットを殺すことで、阿良々木暦が人間に戻ることができるはずだった。しかし阿良々木暦はその決断を下せず、何かも中途半端にする(つまり全員が不幸になる)という選択を取ったのだ。そして上記に引用した通り、この物語が語られることは今後一切ない。まさに黒歴史というやつだ。
さて、これは日本人にも同じことが言えるのではないだろうか。
第二次世界大戦の敗戦国だった近代日本は、何もかもがゼロだったので、とにかく成長するしかなかった。それが高度経済成長であり、それを象徴しているのが1964年の東京オリンピックだ。この時代は、日本人全員ががむしゃらに働けばそれだけ成長する時代だった。
しかし現代日本はどうだろう。少なくとも、日本人全員ががむしゃらに働けばいい時代ではない。要領よく、効率化を優先しながら、クリエイティブなビジネスにリソースを割かなければならない時代だ。そうなると当然、誰かしらに痛みが降り注ぐ。本当に日本を成長させるのであれば、生産性の低い中間管理職をバッサリ切り捨て、既得権益層にメスを入れる必要がある。しかし残念ながら実際に行動に移せていない。なぜなら日本人は、全体の利益のために人を傷つけることができない人種だからだ。人を傷つけるぐらいだったらみんなで不幸になったほうがいい。そう考えている人が、本当に多いのだと思う。
それで『傷物語』だ。『傷物語』のエンディングと日本人の思考は、とてもよく似ている。制作陣がやたらと近代日本を強調してくるのも、確実にこの「人を傷つけるぐらいだったらみんなで不幸になったほうがいい」という精神を表現しているように思える。いや、もしかしたら揶揄しているのかも。『傷物語』は日本に対する風刺作品だと解釈してもいい。
ちなみに『終物語』の『おうぎフォーミュラ』では、こんなセリフがある。
多数決。
間違ったことでも、真実にしてしまえる唯一の方法。
幸せではなく、示し合わせを追求する、積み木細工の方式。
『終物語』より引用
原作小説の順番とは異なり、『おうぎフォーミュラ』が描かれた後に『傷物語』が公開されたのは何か意味があるような気がしてならない。
さいごに
ついに『傷物語』を視聴し終えた。想像以上に芸術的でチャレンジングな作品だったと思う。けれども大人気コンテンツではあるので、興収もそれなりの金額になっていて、おそらく黒字になっていると思われる。予算をちゃんと確保するとここまでのアニメ作品が生まれるのかぁと体感させられた。
さて、次は『終物語(下)』だ。『こよみデッド』の後が描かれる。非常に楽しみだ。