鬼は”逃げ”の象徴かもしれない

鬼滅の刃刀鍛冶の里編
星島てる
アニメ好きの20代。ライターで生活費を稼ぎながら、アニメ聖地の旅に出ている者です。アニメ作品の視聴数は600作品以上。

今回は『鬼滅の刃 刀鍛冶の里編(以下、刀鍛冶の里編)』について語っていく。

『鬼滅の刃』は週刊少年ジャンプで連載されている漫画が原作。2019年春クールから2クールにかけて『竈門炭治郎 立志編』が放送され、その後、2020年に『劇場版 無限列車編』が上映される。それから2022年冬クールに『遊郭編』が放送され、そして2023年春クールに『刀鍛冶の里編』が放送された。

アニメ制作は前作に引き続きufotableが担当している。

目次

『刀鍛冶の里編』の評価

※ネタバレ注意!

作画95点
世界観・設定90点
ストーリー90点
演出90点
キャラ88点
音楽80点
※個人的な評価です

作画

作画のクオリティが凄まじい。ufotableの作画を鑑賞するために『鬼滅の刃』を視聴していると言っても過言ではない。

具体的に何がすごいかと言われれば、やはり3DCG・エフェクト・カメラワークだろう。特にカメラワークは凄まじい。1カットの中でめちゃくちゃアングルを変えてくるけれど、これは非常に難しい技術だと思う。

また、コンピュータやアプリケーションの進化もあって、背景の3DCGのクオリティがどんどん向上している。序盤の無限城とか凄かった。

世界観・設定

今回は鬼殺隊の刀を製造している刀鍛冶の里が舞台。隠れ里の雰囲気がしっかり表現されている。

ストーリー

『鬼滅の刃』のストーリー展開は、基本的に過去の深掘りである。『刀鍛冶の里編』も例外ではなく、キャラクターの過去を引っ張り出す形でストーリーが展開されていく。

個人的にこのスタイルは好きではない。だがキャラクターに愛を注ぐ推し文化が成熟したアニメに対して、このストーリー展開の相性が良いのも事実。

そして今回は上弦の鬼が2体、柱が2人登場するという構成なので、2つのストーリーが同時進行している感じだったから飽きなかった。今後はより群像劇っぽくなるだろうから、もっとスピーディーで刺激的なストーリー展開になるんだろうなぁと思う。

演出

演出はかなり良い。やはり3DCGを用いた背景と、超絶癖のある手描きキャラクターのミックスのやり方が素晴らしい。第十一話『繋いだ絆 彼は誰時 朝ぼらけ』の太陽が昇り始めるシーンあたりが良い例だと思う。これこそがufotableの最大の強みだ。

キャラ

『刀鍛冶の里編』では時透無一郎と甘露寺蜜璃が登場したということで、この2人の過去が深掘りされる。一見すると時透無一郎の方が深刻だが、実際は甘露寺蜜璃のエピソードの方が現実的で、かつ学べるものが多い気がしている。

また今回の敵キャラである上弦の鬼2人は同情の余地なし。『遊郭編』に登場した妓夫太郎と堕姫に関してはちょっと複雑な気持ちを抱いたけれど、半天狗と玉壺はダメだった。

音楽

OPとEDはMAN WITH A MISSIONとmiletが歌を担当している。OP『絆ノ奇跡』はマンウィズが作詞・作曲・編曲を担当し、ED『コイコガレ』は作詞・作曲を梶浦由紀、編曲はマンウィズが担当した。

そして最終話では『竈門禰豆子の歌』が挿入される。中々良い曲だった。

『刀鍛冶の里編』の感想

※ネタバレ注意!

鬼は弱い生き物だった

これまでの『鬼滅の刃』では、思わず同情してしまう敵キャラが魅力の1つだった。例えば『竈門炭治郎 立志編』に登場した下弦の伍だった累や『遊郭編』に登場した妓夫太郎と堕姫は、正直、”環境に恵まれなかったから鬼になった”としか言いようがない。

それこそ時透くんは、もし時透くんを拾ってくれたのがお館様ではなく鬼舞辻無惨だったら、多分、鬼になっていただろう。それも、強力な鬼に。

しかし今回の『刀鍛冶の里編』で登場した半天狗と玉壺は、同情の余地がなかった。個人的には半天狗のエピソードが印象的だった。半天狗は常に責任を他人に押し付けていた。責任から逃げ続けていたのだ。炭治郎も「責任から逃げるな!」と強く叫んでいた。

どうやら『鬼滅の刃』において、鬼とは”逃げ”の象徴なのかもしれない。『無限列車編』で猗窩座がラストで逃げたように、鬼は”逃げ続けてきた弱い生き物”なのかもしれない。だから不老不死だったり、他の人にはない力を求めたりするのだ。

もちろんこれまでも、鬼の弱い部分はたくさん描かれてきた。だが『刀鍛冶の里編』で、それがより強調された感じがする。

大正ではなく現代だったらどうなる?

以上のことを踏まえて、僕がふと思ったのが「鬼が現代でも生きていたらどうなっていたか?」という疑問だ。

『刀鍛冶の里編』の終盤で、鬼舞辻無惨が鬼になった経緯が描かれた。鬼舞辻無惨は完璧な不老不死になるために、太陽の下でも生きられる方法を探している。

だがそもそも、太陽の下で生きる必要があるのだろうか。答えはYesだ。大正時代における夜は、そこまで煌びやかなものではない。たしかに一部の歓楽街ではそれなりに楽しい夜を送れるだろうが、それでも限度があるだろう。

でも現代だったらどうだろうか。僕たちの世界では、鬼や人間に関係なく、夜に生きる者が大勢いる。自らの選択で、太陽よりも月の時間を選び取った人が大勢いるのだ。そうなってくると、鬼も「別に夜でいいか」という気分になってくるかもしれない。

実際2022年夏クールに放送された『よふかしのうた』という作品は、そういうものだった。『よふかしのうた』でも”鬼”は登場するが、その鬼たちは都会の夜の生活を思う存分楽しんでいた。

太陽を見れないことの苦痛

とはいえ、やはり太陽の下に出られないのは、人間にとって致命的だ。なぜなら幸せになることが難しいからである。

別名「幸せホルモン」と言われるセロトニンは、太陽の下でリズミカルに運動したり、そもそも太陽の光を浴びたりすることで分泌されるホルモンである。そしてこのセロトニンを材料に「睡眠ホルモン」であるメラトニンが体内で生成されて、夜は眠りにつくことができる

しかし鬼は、このような幸せな生活を送ることができない。特に、1日の中で最も素晴らしい天体ショーである日の出と日の入を楽しむことができないのは問題だ。

なぜ『鬼滅の刃』における鬼は感情が歪んでしまうのか。それは太陽を見ることができないからなのではないかと、僕はちょっとだけ考える。

さいごに

『刀鍛冶の里編』の放送が終了してすぐに、続編である『柱稽古編』のTVアニメ制作が発表された。こちらもしっかり楽しみにしておきたい。

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