今回は『映画 文豪ストレイドッグス DEAD APPLE(以下、映画文スト)』について語っていく。
前作の『文スト2期』が2016年秋クールに放送された後、2018年3月に『映画文スト』が上映された。アニメ制作はボンズが担当した。
『映画文スト』の評価
※ネタバレ注意!
作画 | 82点 |
世界観・設定 | 83点 |
ストーリー | 83点 |
演出 | 80点 |
キャラ | 80点 |
音楽 | 80点 |
作画
作画のクオリティはまずまず。アニメ制作をボンズが担当しているので、作画が悪くなるわけがない。全体的に丁寧に作られた印象だ。
世界観・設定
世界観は独特で、かなり難解。ボンズ作品だと『交響詩編エウレカセブン』に近い印象を受けた。つまり、誤解されやすい世界観だということだ。僕も一度視聴しただけでは完全に読み解けなかった。
ストーリー
世界観が難解なこともあり、ストーリーも難解。これも人によって好き嫌いが分かれると思うが、僕は個人的にかなり好きだ。『映画文スト』はアニメオリジナルストーリーだけれど、その辺のありきたりなオリジナルストーリーよりも、だいぶマシだと思う。むしろ映画上映であれば、これぐらい尖ったストーリーの方が良い。
演出
演出は普通。ただし雰囲気の作り方はよくできていると思う。全体的にかなり不思議な雰囲気だった。
キャラ
『映画文スト』は、やはりキャラが強い。太宰治×中原中也は女性ウケしそう。そして泉鏡花の立ち位置が良い。多分、女性ファンは泉鏡花に感情移入するのだと思う。
あと、新キャラがかなり出てきたと思うけれど、どうやらTVアニメ3期に登場するキャラらしい。つまり『映画文スト』を最大限楽しむには、TVアニメ3期を視聴しておくか、原作勢である必要があったというわけだ。これはちょっと、ややこしい。
そして『映画文スト』のOPで主要人物の年齢が出てきたけど、太宰治とか中原中也は22歳なのか……。僕と同じだ。そして江戸川乱歩は26歳で想像以上に年上だった。
音楽
岩崎琢らしい個性的な楽曲だった。TVアニメの楽曲も、これぐらい尖ってていいと思う。
個人的には、中原中也が汚濁形態で戦闘するシーンの楽曲が好き。めちゃくちゃカッコよかった。
『映画文スト』の感想
※ネタバレ注意!
絶対に好き嫌いが分かれる作品
これまでの『文スト』というのは、わりと王道の異能力バトル系作品で、ストーリーも単純だった。でも『映画文スト』はどうだろう。個人的な感想を述べれば「非常に抽象的な作品」だった。少なくとも一度視聴しただけでは、全体像を掴み取ることは難しい。
これはほぼ間違いなく、好き嫌いが分かれる作品だ。同じボンス制作の『交響詩編エウレカセブン』のように、誤解されやすいストーリー及び世界観だったと思う。しかも『文スト』という女性人気の強い作品で、この難解なストーリーをやるのだから面白い。
しかも5億円の興収を突破しているから、おそらく黒字になっているとは思う。制作陣のやりたいようにやれて、それでビジネス的にも黒字なのだから、『映画文スト』は意欲的でありながらもそれなりにヒットしたアニメ映画ということになるだろう。
双黒コンビが目玉っぽい
『文スト』のストーリーは、大きく分けて2つの軸で進んでいたと思う。中島敦×泉鏡花×芥川龍之介と太宰治×中原中也だ。
中島敦×泉鏡花×芥川龍之介のトリオは、TVアニメ2期ラストでも見受けられた組み合わせだ。『文スト』は基本的に、この3人の成長を描いたストーリーだといっても過言ではない。
そして太宰治×中原中也の双黒コンビは、女性ファン受けを狙ったものだと考えていいと思う。中原中也の戦闘シーンは『映画文スト』の中で1番気合が入っていたと思うし、中原中也と太宰治の介抱シーンは腐女子からすれば最高すぎる場面だろう。太宰治が中原中也の頭を撫でるシーンは、男の僕でも「女性にウケそうだな〜」と感じてしまった。
ということで表面的な部分だと、『映画文スト』の目玉は双黒コンビな気がしている。
『映画文スト』から何を学ぶ
『映画文スト』から何を学ぶか、というのを考える上で、まずは異能の扱い方を考える必要がある。とはいえ難しく考える必要はなく「異能=個性(感性)」でいいだろう。
個性というのは、長所にもなるし短所にもなる。そして人はどうしても個性を短所に捉えがちだけれど、やはり自らの個性をしっかり受け入れなければ、個性を長所に変換することはできない。
『映画文スト』では異能力者が自らの異能と戦う姿が描かれる。これはまさに自分との戦い。いや、自らの個性との戦いだ。自らの異能に勝つというのは自分自身に勝つということでもあり、これはどこか、実在した文豪にも通ずる部分がある。
実際、文豪たちは自らの個性や感性に大いに苦しんだことだろう。その独特な感性は”本”という形で大成することになったわけだけれども、それでもその独特な感性が自分から離れていくわけではない。一生、付きまとうものなのだ。
それでまあ、この独自な感性というのは他人が手を出せない領域なのである。僕たちが文豪たちの感性を完全に理解できないように。だから自分自身の独自な感性には、自分でケジメを付けるしかない。
そう考えると『映画文スト』で芥川龍之介が中島敦に「そんなことも分からんのか!」と厳しく当たったことに、納得がいく。中島敦が自らの異能に対して、他人の助けを求めようとしたからだ。そんなことは意味がないのである。自らの異能に対しては自分自身でケジメを付けなくては、前に進めない。
これは僕たち一般人でも同じことが言えるだろう。自分自身に対しては自分でケジメを付けないといけない。社会や他人に頼るのもいいけど、最終的には自分の意思で前に進まなければいけないのだ。そんなことを『映画文スト』で学ばせてもらった。
さいごに
『映画文スト』の次は、『文スト3期』だ。『映画文スト』でよくわからない新キャラが続々と登場したので、いち早く続きを視聴したい。