今回は『新世紀エヴァンゲリオン』について語っていく。
『新世紀エヴァンゲリオン』はGAINAX制作によるアニメオリジナル作品で、1995年秋クールから2クールかけて放送された。
アニメ制作はGAINAXとタツノコプロ、監督は庵野秀明が担当した。
『新世紀エヴァンゲリオン』の評価
※ネタバレ注意!
作画 | 92点 |
世界観・設定・企画 | 92点 |
ストーリー | 90点 |
演出 | 90点 |
キャラ | 90点 |
音楽 | 92点 |
作画
戦闘シーンにリソースを投下している一方で、日常シーンにはケレン味溢れる演出を多用しており、そのメリハリがとても心地よい。テロップの使い方のセンスも抜群で、アニメーション表現だけでも十分に楽しめた。これが、大衆的なヒットを叩き出した要因の1つだと考えられる。
世界観・設定・企画
キリスト教の聖書と近未来的なテクノロジーをベースにした世界観。だが、物語自体は、人間の感情とか気持ちみたいなものがベースになっている。ちゃんと制作費を確保している一方で、抜くところはしっかり抜いている。
ストーリー
全26話構成だが、全く飽きなかった。Wikipediaによると、制作中に庵野監督が鬱状態に陥ったことから、全体として暗くなったそうだ。個人的には、アスカが登場してからの明るい雰囲気の方が好きだ。また、あれだけ風呂敷を広げておいて、人類補完計画が発動したあとの簡素なストーリー展開は「?」だった。でもおかげさまで、色々と考えさせられたし、いわば『新世紀エヴァンゲリオン』は問題提起的な作品で、ここから旧劇場版や新劇場版に繋がっていくんだと思う。
演出
『新世紀エヴァンゲリオン』の最大の特徴が演出だ。特に印象的だったのがカメラワーク、テロップ、音声の使い方である。
カメラワークはとても実写的で、画面構成がしっかり計算されているのがわかる。エヴァ特有の明朝体フォントは、物語や世界観をエモーショナルに説明するのに大いに役立った。
そして音声に関しては、アニメーションを一切動かさずに、ラジオやアナウンスなどの音声だけ流す演出が多用されていた。この演出が巧妙だった。アニメ制作のリソースを削ぎながらも、視聴者の集中を促す演出になっていて、それでいて漫画やライトノベルにはできない演出だ。
この3つの演出は、いずれも「アニメーション」というメディアだからできる演出であり、そのうえ、制作費もそこまでかからない(どころか削減することに成功している)。ここに、日本式アニメのクリエイティビティのヒントが眠っている。
キャラ
新劇場版を視聴済みの僕からすると、綾波レイや碇ゲンドウがそこまで深掘りされていない感じがある。一方で、碇シンジ、アスカはもちろんのこと、赤木リツコや葛城ミサトが深掘りされていたのが印象的で「なんだかんだでみんなエヴァに頼ってたんだなぁ」というのがよくわかる。
音楽
OPの『残酷な天使のテーゼ』は超が付くほどの名曲で、そのうえでOP映像とのシンクロ率も100%だった。別に何か特別な動きがあるわけでもなく、リズムに合わせてカットをハイテンポで切り替えているだけだけど、これがめちゃくちゃカッコいい。これも、やはり制作費は嵩張っていない。
EDの『FLY ME TO THE MOON』はジャズでは有名な曲らしく、それのカバーが主題歌で用いられた。エピソードによって映像やサウンドアレンジが変わるので、それも中々に楽しかった。
『新世紀エヴァンゲリオン』の感想
※ネタバレ注意!
新劇場版を先に見てしまった僕のバカ!
僕がアニメを視聴するようになったのは2020年4月で『シンエヴァ』が公開されたのが2021年1月だった。まだアニメの知識がさほどなかった僕は「新劇場版はTVアニメのリメイク版だ!」と勘違いし、新劇場版だけを視聴して『シンエヴァ』を視聴してしまった。それでも『シンエヴァ』はめちゃくちゃおもしろかった。けど、肝心のメッセージ性がよく見えてこなかった記憶がある。
そして2024年5月の今になって『新世紀エヴァンゲリオン』を視聴した。正直言って、かなり後悔している。なぜ先にTVアニメ版を見なかったのか、と。
庵野秀明は宮崎駿の下で仕事していたことで有名だけど、やっぱり根本的に信じているものが、よく似ているように思う。『新世紀エヴァンゲリオン』は、エヴァとか使徒とか色々やってるけど、根底にあるのは「人間としての感情」であり、いわばヒューマンドラマだ。つまるところ、科学(エヴァ)や宗教(使徒など)ではなく「人間としての自分を信じろ!」というメッセージがある。そしてTVアニメでは作品として利己的だったものが、新劇場版で利他的になっていくところに、なんとも言えない感動があるのだ。これはやはり、TVアニメを視聴しなければわからないことである。
これは新劇場版を再視聴しないとダメだなぁ、と思った。なんで先に新劇場版を見ちゃったのかなぁ、ホント。
ハリネズミのジレンマ
僕はたまたま同時期にP.A.WORKS制作の『色づく世界の明日から』を視聴していたのだが、そこでも「ハリネズミのジレンマ」について語られていた。
ハリネズミのジレンマは、ドイツの哲学者・ショーペンハウアーが提唱した心理学用語で、人間関係における心理的距離感の葛藤のことを指す。
寒い季節になると、ハリネズミは熱を共有するために互いに近づこうとするが、鋭い棘でお互いを傷つけ合うことになるため、ある程度の距離を取る必要もある。つまり、熱を共有できて、かつ傷がつかない適切な距離感を保つ必要がある。そしてこれが、人間関係でも同じことが言える。
『新世紀エヴァンゲリオン』という作品のメインテーマは、ハリネズミのジレンマをベースにした人間関係の在り方だと思う。碇シンジはもちろんのこと、アスカ、レイ、ミサト、リツコ、ゲンドウが人間関係に迷っていて、その結果として、エヴァ(科学と宗教)に頼ってしまったのだ。
でも人類補完計画で示されたように、結局は自分次第であり、自分の決断次第で世界は変わるのである。
孤独がもたらす寂しさは、音楽が打ち消してくれる
本記事を執筆する前の日のこと、僕は風邪を引いて体調不良になった。体調不良のときと言うのは、どうもメンタルが弱くなりがちで、軽く「死」について考えることもある。それを紛らわせるためなのか、僕はTVerで『水曜日のダウンタウン』を視聴したのだけど、CMの時間になって何も音が出なくなるタイミングで、ふと寂しい気持ちになった。そこで僕は理解した。なぜ一人暮らしの人がロクに番組を見るわけでもないのにテレビを買うのか。それは、寂しさを紛らわせるためなのだ。
碇シンジは、人と世界から隔絶するために、レコーダーを愛用していた。でもそれは厳密に言えば、孤独がもたらす寂しさを打ち消すためなのではないだろうか。別にレコーダーを使わなくたって、自室に引きこもってれば、人と世界から隔絶することはできる。それでもレコーダーを手放さなかったのは、シンプルに、孤独の寂しさを紛らわせるためなのではないだろうか。
『新世紀エヴァンゲリオン』では、ラジオやアナウンスを用いた演出が多用されている。この演出は、アニメーション表現の1つとして有効であると同時に、映像の隙間を埋める手段としても用いられていた。同じく、人々も、暇な時間があるとついついネガティブになってしまうから、隙間に音楽を挟みたがる。
多分、夜中に聞くラジオとか、特にちゃんと観るわけでもないのに流しっぱにするテレビとかは、人々の心の隙間を埋めるために存在するのだ。そしてそれは、本来であれば人の気持ちや家族で埋めるべきなのかもしれなくて。しかし、ハリネズミのジレンマで、中々上手くいかない。
そしてあろうことか、シンジやミサトはエヴァに頼ることで、悩みを解決しようとしてしまう。そう考えると新劇場版の「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」には感慨深いものがある。
さいごに
とりあえず旧劇場版を視聴しようと思う。