【FateUBW感想】衛宮士郎という生き方は正しいのか?

Fate stay night UBW

今回は『Fate/stay night [Unlimited Blade Works](以下、FateUBW)』について語っていく。

『Fate/stay night』はTYPE-MOONのゲームが原作で、セイバールートの無印版はスタジオディーン制作で2006年冬クールから2クールにかけて放送された。

そして2014年秋クールと2015年春クールの分割2クールで『FateUBW』が放送される。アニメ制作はufotableが担当した。

目次

『FateUBW』の評価

※ネタバレ注意!

作画95点
世界観・設定88点
ストーリー85点
演出85点
キャラ83点
音楽87点
※個人的な評価です

作画

ufotableの最大の強みは作画と3DCGのコンポジットにある。背景を3DCGで描くことにより、従来のアニメ制作ではほぼ不可能だったカメラワークが可能になっている。『FateUBW』も例外ではなく、戦闘シーンのカメラワークが凄まじかった。

また、エフェクトの使い方も秀逸。キャラクターが瞬間移動するシーンや、必殺技を繰り出すシーンのエフェクトが豪華。『FateUBW』の戦闘シーンは基本的に夜なのだけれど、背景が暗くなっているため、明るい色のエフェクトがめちゃくちゃ引き立っている。これらの映像体験は、現状としてufotableがぶっちぎりで、『FateUBW』が放送されたのが2014年であることを考えると、相対的にはもっとヤバかったと思う。

世界観・設定

セイバールートの無印版に比べると、衛宮士郎の正義感と生き方について、より深掘りされている印象がある。聖杯戦争は一種のサバイバルのようなもので、これは我々が生きる変化の激しい社会を示していると見ていい。その中で、衛宮士郎の”自己犠牲に元に成り立つ偽りの正義”に対する切り口が面白く、考えさせられるところがあった。これについては後述する。

ただし、個人的な意見として、”魔法”に対する切り口は相変わらずちょい微妙。

ストーリー

個人的には前半部分が退屈だった。まあ前半部分はお互いに様子見をするフェーズだからしょうがない。セイバールートと明確な違いが出始める辺りから面白くなる(アーチャーがガチで衛宮士郎を殺そうとするところ)。あと、衛宮士郎とセイバーの契約が破棄されてから以降は、ずっと面白かった。

全体的なストーリーとしても、非常に完成度が高く、Wikipediaによると、原作者の奈須きのこが相当に手を加えたらしい。

演出

作画のクオリティを最大限に活用した演出なので、なんというか、特別センスのある演出があるわけではなかった。クライマックスの感動できるシーンも良かったけれど「結局、戦闘シーンが一番の見せ場」というのは不変だった。

戦闘シーンは常に大迫力で、エフェクトの使い方が最高だから飽きない。一方で日常シーンがちょっと退屈。一般的なアニメに比べて写実的だから、余計な演出ができないというのもあるし、日常シーンにまで拘り始めたらリソースが足りなくなるというのもあると思う。

キャラ

『FateUBW』のメインヒロインは遠坂凛だけれど、事実上、衛宮士郎をもっとも深掘りしたストーリーと言ってもいいのではないだろうか。アーチャーの正体が”未来の衛宮士郎”だったことには驚いたし、”アーチャーという形で衛宮士郎の本質に迫る”というアイデアが秀逸だと思う。また、無印版ではあまり深掘りされなかったイリヤとキャスターが深掘りされたのも個人的に良かった。

遠坂凛も、かなり可愛いし。

音楽

ソニーミュージック傘下のアニプレックスが製作に参加しているということで、音楽はかなり気合が入っていた。やはりゲーム原作のアニメは、音楽が超大事。『FateUBW』では原作をリスペクトしながら様々な楽曲が用いられた。

個人的に好きなのはKalafinaのED『believe』と『ring your bell』で、特に『ring your bell』はなんか凄かった。あと、挿入歌の『THIS ILLUSION(Lisa)』は痺れた。

『FateUBW』の感想

※ネタバレ注意!

衛宮士郎という生き方

『FateUBW』ではアーチャーの衝撃的な正体が明らかになる。アーチャーは、未来の衛宮士郎だったのだ。どうやらアーチャーは、衛宮士郎の”自分を大事にせずに他人ばかり助ける”という歪んだ生き方の成れの果てで、たしかにアーチャーはとてもなく多くの人々を救ったのだが、それでも争いが絶えることはなく、そんな世界に絶望したまま命を落としたのだ。

衛宮士郎は、10年前の聖杯戦争による壊滅的な被害からの生還者で、その代わりに、多くの人々を見捨ててしまう過去を背負うことになる。その結果、衛宮士郎は「自分が幸せになっちゃいけない」とどこか思うようになり、自分を犠牲にしてでも容赦無く他人を助けることができてしまうようになった。また「誰一人残さず全員を助ける」というのも、まあ確かに気持ちはわかるけど、これは不可能な願いであり、まさに偽善だ。

こんな感じの”偽善で歪んだ生き方”の行く末が、アーチャーというわけである。そしてこれはおそらく”運命(Fate)”であり、衛宮士郎は自分自身の歪んだ生き方を貫き、相応の不幸な結末を迎えることになるのは決定路線なのだ。

さて、僕は衛宮士郎の生き方を『物語シリーズ』の阿良々木暦や『とあるシリーズ』の上条当麻と重ねてしまった。上条当麻は「誰一人残さず全員を助ける」という不可能な願いを達成してしまう存在として描かれているから別枠だけど、阿良々木暦の正義感と衛宮士郎の正義感は近いものがある。この2人の正義感は、紛れもなく偽善であり、極めて日本人的なのだ。多くの日本人は、自分を犠牲にしてまでも”和”を重んじる。場の空気を読んで、残業するのは当たり前。衛宮士郎のように「自分は幸せになっちゃいけない」という歪んだ思想にまでは陥っていないものの「自分よりも集団を優先する」という行動を平気で取れる人種なのではないかと思う。そしてこのような生き方は、遠坂凛やギルガメッシュが言うように、おそらく正しくない。やはり、まずは自分自身を助けなくちゃいけないのだ。

『FateUBW』という作品は、ほぼ一般人の衛宮士郎が聖杯戦争(という名のサバイバル)に巻き込まれ、その中で自分自身の正義感と向き合うストーリーだったと言える。極限のサバイバル状態で、自分を犠牲にしてまで他人を救う衛宮士郎の生き方は、はたして正しいのか。それが終始問われていた。

先ほどから述べている通り、衛宮士郎の生き方は破滅的だ。必ずどこかでツケが回ってくる。しかし、それをわかっていながらも衛宮士郎は自分の生き方を信じることにした。なぜか。それは、”正義の味方”である衛宮切嗣の存在が大きい。衛宮士郎が最も憧れる衛宮切嗣は、実際に衛宮士郎を助けたわけで、つまり偽善の正義によって救われた存在が衛宮士郎なのである。たしかに衛宮士郎は、これから破滅的な人生を歩むことになるのだろう。人を救うために、理不尽な殺しをすることになる。しかし、それ以上に、衛宮士郎は多くの人を救うことになるのだ。そして救われた人々は、衛宮士郎が衛宮切嗣に憧れたように、きっと衛宮士郎に憧れの感情を抱くようになり、自分なりの正義を貫くようになるのである。

ロンドンに留学した衛宮士郎と遠坂凛は、世界が想像以上に広く、そして繋がっていることを再認識した。

世界は繋がっている。衛宮士郎が人を救うたびに、その人はまた人を救い、そうやって世界が維持されているのである。たしかに”一般的には”、衛宮士郎の生き方は正しくない。でも、世界の80億という人々の中で、1人ぐらい、衛宮士郎という生き方があったっていいのだ。この結末は、個人的にかなり好きである。

衛宮士郎の大魔術・Unlimited Blade Worksが好きな理由

体は剣で出来ている。

血潮は鉄で心は硝子。

幾たびの戦場を超えて不敗。

ただ一度の敗走もなく、

ただ一度の勝利もなし。

担い手はここに独り。

剣の丘で鉄を鍛つ。

ならば我が生涯に意味は不要ず。

この体は、

無限の剣で出来ていた。

『Fate/stay night [Unlimited Blade Works]』より引用

僕は前作のセイバールート無印版から、”魔法”に対する描き方が微妙だと考えていて、本作についてもそれは変わらない。もしかしたら他のFate作品で”魔法”に対して深く切り込んだ作品があるかもしれないし、『stay night』シリーズではあえて魔法に対して深く切り込んでいないというだけかもしれないが、どちらにせよ『FateUBW』の”魔法”の描き方は、ただの普通の魔法なのである。

なぜここまで僕が”魔法”にこだわるのかと言うと、テクノロジーが急激に進化している現代社会において”魔法”が特別な意味を持つようになっているからだ。いや、正確に言えば、魔法を超える存在である科学が登場した18世紀辺りから、魔法についてどう考えるかが重要だった。

Wikipediaでは「魔法(魔術)は、仮定上の神秘的な作用を介して不思議なわざを為す営みを概括する用語」となっており、文字通り、魔法は不思議なものであり「なぜそれがそうなったか」を具体的に説明することができない現状を指す。例えばマジシャンが何もないところからパッと出現させるとしよう。当然のことながら、僕たち一般人は、その現象のプロセスを理解することができない。だからそれは僕たちから見れば、間違いなく魔法なのだ(ただし、やり方を知っているマジシャンから見ればそれは魔法ではない)。

さて、衛宮士郎という男は一応は魔術師なのだが、基礎をほとんど知らず、そのうえ、投影魔術しかできないというポンコツぶりである。しかし、その投影魔術の精度が明らかにおかしく、これが実は、衛宮士郎が保有する(ことになる)”Unlimited Blade Works”という固有結界によるものであることが『FateUBW』で明らかになる。この固有結界により、アーチャーと衛宮士郎は、あらゆるものを正確かつ迅速に生成することが可能で、これが投影魔術という形に見えていたというわけだ。

それで、なぜUnlimited Blade Worksが好きなのかというと、この魔法そのものが衛宮士郎の魅力を表しているからだ。衛宮士郎は、おそらく不器用で、だからこそ努力し続けて、何度も何度も立ち上がってきた。おそらく本当に、衛宮士郎は無限大に、何度でも立ち上がることができる。アーチャーも、きっと何度も何度も立ち上がってきたからこそ、Unlimited Blade Worksという大魔術を手にいれることができたのだろう。このUnlimited Blade Worksは、衛宮士郎が言うように「無限の剣を持ったところで、究極の一を持つ相手には対抗できない」のだが、それでも、何度でも立ち上がる衛宮士郎(とアーチャー)にピッタリな魔法だと言える。

ただ一度の敗走もなく、ただ一度の勝利もなし。それでも一人で黙々と自分を磨き続ける衛宮士郎の生き様に、僕はとても憧れている。

さいごに

これでひとまず『FateUBW』は視聴。次は劇場版三部作となる『FateHF』ということになる。セイバールートと凛ルートでは、お互いのルートでお互いのキャラがしっかり活躍するので、まあ何となくストーリーに想像がつく。でも桜はセイバーと凛とは異なり、これまで戦闘描写が一切描かれなかったはずだ。ということで、桜ルートはストーリーが全く予想できない。はたしてどのようなストーリー展開になるのか。じっくり視聴していきたいと思う。

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