【ガンダムSEED FREEDOM感想】愛しているから必要なのだ

機動戦士ガンダムSEEDFREEDOM (1)

今回は『劇場版 機動戦士ガンダムSEED FREEDOM(以下、SEED FREEDOM)』について語っていく。

『機動戦士ガンダムSEED』は2002年10月からスタートしたロボットアニメで、2004年には続編『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』が放送された。

それから約20年後、2024年1月に『SEED FREEDOM』が上映される。アニメ制作はサンライズが担当した。

目次

『SEED FREEDOM』の評価

※ネタバレ注意!

作画89点
世界観・設定80点
ストーリー80点
演出82点
キャラ80点
音楽83点
※個人的な評価です

作画

サンライズのリソースがちゃんと注ぎ込まれている印象がある。キャラクターデザインはちょっと現代風にリメイクされ、ロボットは基本的には3DCGを使用。違和感はほとんどなかった。

とはいえ2024年現在、作画インフレ中の現代アニメの中だと「普通の作画」に思えてしまうのも事実だ。

世界観・設定

『機動戦士ガンダムSEED』特有の設定だった”遺伝子”に加えて、”愛”が強調されていたように思う。2024年現在、遺伝子を格安・短時間で解析できる次世代フルシーケンサーが登場したことから、ゲノムに対する注目度は増している。その中で”愛”をテーマに世界観が構築されているのは、それなりに時代に則っているとも言える。

ストーリー

率直に言って尺不足だったと思う。124分という上映時間の中で、新しい世界観の説明から終わりまで描くのは、ちょっと無理がある。そのうえ、キラとラクスの関係性だけでなく、シンとルナマリアや、新キャラの関係性もやや深掘りされるから、余計に苦しい。

一方で、逆に言えば「ストーリーをサクサク楽しめる」ということでもあるから、これはこれで現代的かもしれないと思った。

演出

やや尺不足だったこともあって、じっくり溜める演出はほぼ皆無。キラとアスランが殴り合うシーンは、もう少し時間をかけて演出にこだわった方が絶対よかったけれど、尺がカットされているからか、悪い意味でサクッと解決してしまった。

また、キラとラクスが合体して誕生するマイティーストライクフリーダムガンダムが登場する際に『Meteor -ミーティア-』を挿入歌で使用したのはファンにとってたまらない演出だった。だが、これもやっぱり尺不足だからか、ちょっと盛り上がりに欠けるところがあった。もし『SEED FREEDOM』が劇場三部作か前後編で分かれていて、それで終盤に『Meteor -ミーティア-』が使用されていたら最高だったと思う。

やっぱりエモーショナルな演出を繰り出すには、一定の”時間”が必要なのだなぁと感じた。

キャラ

『SEED DESTINY』ではキラとラクスが一切ブレなかったのに対して、逆に『SEED FREEDOM』ではキラとラクスがブレまくっている。まあこれが『SEED FREEDOM』でやりたかったことなのだろう。これに伴い、今回のアスランとカガリは相当に強かった。

ちなみに、声優変更があったカガリ以外のキャラは、声質の変化がほとんどなかったように感じられる。

音楽

OPは西川貴教の『FREEDOM』でEDはSee-Sawの『去り際のロマンティクス』だ。OPはなんと小室哲哉プロデュース。そのうえ、挿入歌では中島美嘉の『望郷』が起用され、これも小室哲哉プロデュース。

また挿入歌の『Meteor -ミーティア-』も登場して、これがファン的には嬉しかった。

『SEED FREEDOM』の感想

※ネタバレ注意!

想像以上に無難すぎるストーリー

僕にとってロボットアニメの劇場版は「TVアニメにはできない尖り方を見せる場所」というイメージがある。
『マクロスF』や『マクロスΔ』はTVアニメとは全く違うストーリーが進んでいたし『交響詩篇エウレカセブン』も劇場版三部作で相当に意味不明なストーリーを繰り広げてきた。SFロボットアニメの制作陣は、いずれも”何か”を追求していて、その結果、TVアニメほど大衆に寄せる必要のない劇場版では、色々とチャレンジしたくなるのだと思う。

では『SEED FREEDOM』はどうだろうか。ハッキリ言えば「無難だった」に尽きる。まず『SEED FREEDOM』では、基本的に既存キャラがほとんど死なない。そのうえ、全く新しい世界観になっているわけでもない。挿入歌で『Meteor -ミーティア-』を起用したり、フラガの「不可能を可能にする男」のセリフを用いたり、ドロドロの恋愛展開だったり、キラとアスランの喧嘩が見れたりするのは、ファンにとっては嬉しい描写なのだろうが、これはこれで無難である。

もちろん、無難なのは悪いことではない。実際、公開3日間で興収10億円を突破する異例のヒットを見せているし、僕が訪れた月曜昼ですら、客席の8割が埋まるほどだった。

ただ、ストーリーを無難にしすぎたことで、失われたものもあると僕は考える。やはりファンサービスを詰め込みすぎたことで尺が短くなり、そのうえ、ストーリーやメッセージ性の尖りも無かった。個人的に『SEED FREEDOM』がやろうとしていたことは、これから訪れるであろう”ゲノム編集”の時代で、極めて重要なメッセージになる可能性があると考えていた。その尖りが失われたのは、ちょっともったいないかなぁと思った。

愛が生命を育む

今回の『SEED FREEDOM』のテーマは”愛”だった。一応これまでの『SEED』でも(ドロッドロな)愛が描かれていたけれど、今回はもっと根源的な意味で”愛”というテーマに迫っていたと思う。要するに「愛するってどういうこと?」という問題提起だ。

これについてはラクスが答えっぽい答えを述べている。

必要だから愛するのではありません。愛しているから、必要なのです

『劇場版 機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』より引用

『SEED FREEDOM』の敵役であるファウンデーションは、自分たちが作り上げた新人類・アコードを率いて、ディスティニープランを復活させようとしていた。これに対してキラやラクスが立ち向かうのが、本作のストーリーの大筋である。

その中で、ファウンデーションの宰相であるオルフェ・ラム・タオが掲げる愛と、ラクスが掲げる愛の違いが深掘りされる。それが先ほど僕が引用したセリフだ。

よくよく考えてみれば、生命が誕生するきっかけは、基本的に”愛”である。自由恋愛が許される現代社会では、種の保存や優秀な子孫を残すために、性交して子どもを作るのではない。ただ純粋にお互いを愛し合った結果、そこに子どもが生まれ、種が繁栄していくのである。これがもしディスティニープランの時代になってしまうと、世界は再び”お見合い結婚”に代表される計画的な世界に戻ってしまう。”お見合い結婚”こそ、まさに「必要だから愛する」の典型例だろう。そしてこれは、最近はもはや当たり前になりつつあるマッチングアプリでも、同じことが言える気がする。

マッチングアプリを利用する人は、彼氏彼女を作りたがったり、結婚したがったりする。このような人々にとっては、もしかしたらのもしかしたらで、ディスティニープランの世界の方が心地いいのかもしれない。実際マッチングアプリにはレコメンドエンジンが組み込まれていて、自分にマッチする人が表示されるようになっている。そう考えると、マッチングアプリはまさにディスティニープランだと言える。

でもやっぱり僕は、運命や計画に抗って、自由意志(Freedom)に基づいて生きていきたいと思う。これはキラやラクスが言うように「わがまま」なのかもしれないが、でも自由意志に基づいた方が、なんとなく幸せな気がするのだ。

さいごに

それにしても2024年現在も『機動戦士ガンダムSEED』は大人気のようである。それも、40代以上の男性だけではない。僕みたいな20代男性の若者はもちろんのこと、女性客も普通にいた。男女比で言えば7:3ぐらいの感覚である。

今後もメディアミックスが続いていくのかはわからないけれど、声優陣はまだまだ最前線で活躍している人ばかりだし、まだまだいけるのではないだろうか。ということで、続編を一応期待しておこうと思う。

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