【劇場版グレンラガン紅蓮篇感想】シモンの背中に笑われない漢になる

劇場版天元突破グレンラガン紅蓮篇

今回は『劇場版 天元突破グレンラガン 紅蓮篇(以下、劇場版グレンラガン紅蓮篇)』について語っていく。

『天元突破グレンラガン』はガイナックスによるアニメオリジナル作品で、2007年春クールから2クールにかけて放送された。そのあと劇場版である『劇場版グレンラガン紅蓮篇』が2008年9月に公開される。アニメ制作はガイナックスが担当した。

なお、僕は『グレンラガン』15周年記念でのリバイバル上映を利用して映画館で鑑賞した。

目次

『劇場版グレンラガン紅蓮篇』の評価

※ネタバレ注意!

作画90点
世界観・設定85点
ストーリー85点
演出88点
キャラ85点
音楽83点
※個人的な評価です

作画

2008年に制作された劇場版だけれど、色褪せることが全くない。それほど高いクオリティだったということだ。

特に印象的だったのは色使い。デジタルだからこそできるビビッドな色使いが映画館の大スクリーンでも映えていた。

新規カットもたっぷり挿入されており、特にシモンが復活するシーンは凄まじい。

世界観・設定

こうして改めて『グレンラガン』を視聴すると、シモンの凄さを実感させられる。僕が初めて『グレンラガン』を視聴したときは、どちらかというとカミナに惹かれていたけど、僕自身、新卒フリーランスとして活動するようになってからは、シモンという男の凄まじさに惹かれるようになった。

ストーリー

TVアニメ第11話までの内容。つまりカミナが死んでシモンが復活するところまでが総編集版として映画1本に収めている。”その他大勢”のエピソードはガッツリ削られ、序盤のシーンとカミナが死亡してシモンが復活するシーンが深掘りされた。まあ、そうなるだろう。

そしてシモンが復活するエピソードが大幅に変更されていた。TVアニメだと四天王を1人ずつ倒す展開だったけれど、『劇場版グレンラガン紅蓮篇』では四天王をまとめて倒す形に変更されている。そのため、シモンの復活の仕方もやや異なるが、それでもTVアニメと変わらないぐらいの迫力と感動を生み出せている。とても上手くまとめられていた。

演出

先ほども述べた通り”その他大勢”が仲間に加わっているエピソードはガッツリ削られたのだけれど、そのまとめ方がとてもスタイリッシュだったのが良かった。

また、やはり今石洋介作品は大胆すぎる画面構成が魅力だ。この大胆な画面構成を映画館のスクリーンで見ると、すごいことになる。

そしてやっぱりシモン復活のシーンの演出が良かった。

キャラ

相変わらず中盤から癖が強すぎる”その他大勢”が登場するけれど、やはりシモンとカミナに惹かれる。また『劇場版グレンラガン紅蓮篇』を通して2周目を経験すると、ヨーコやニアにもかなり共感が持てるようになった。

音楽

『空色デイズ』はなし。挿入歌の『happily ever after』は健在で、主題歌は中川翔子の『続く世界』だ。

また、岩崎琢の劇伴がカッコいい。そう、そういえば『グレンラガン』の音楽は岩崎琢が担当しているのである。そう考えると、たしかにあの”その他大勢”のダイジェストで利用されていた楽曲は、いかにも岩崎琢っぽい感じがする。

『劇場版グレンラガン紅蓮篇』の感想

※ネタバレ注意!

シモンの復活シーンは、やはり震える

やはり『劇場版グレンラガン紅蓮篇』のクライマックスは、シモンの復活シーンだ。ここ最近、涙腺が緩くなっている僕は、視聴する前から「多分、あれで泣くんだろうなぁ」と思っていたのだけれど、案の定泣けた。

『劇場版グレンラガン紅蓮篇』とTVアニメでは、ストーリーが全く異なるということはない。ただし、シモンがニアに出会ってからの流れが大幅に変更されていて、大グレン団は四天王3人と同時に戦うことになる。

また、シモンがニアを救出する過程も異なる。TVアニメでは、グアームに囚われていたニアを救出する流れだったけど、『劇場版グレンラガン紅蓮篇』ではシトマンドラに囚われていたニアを救出する流れに変更されている。

そしてシモンが復活するシーンでは新規カットが挿入されていた。シモンが立ち上がるシーンがリメイクされていたのだ。TVアニメも十分にカッコよかったけど、劇場版の方がもっとカッコよかった。最高だった。

一方で、エピソードに関しては、個人的にはTVアニメの方が好きだ。劇場版ではシモンがシトマンドラのガンメンに、手持ちのドリルを使って何としてでも登ろうとしているシーンで、大グレン団が徐々にシモンの凄さに気づき始める。一方、TVアニメでは、大グレン団が幽閉されて諦めかけているときに、シモンだけが手持ちのドリルで黙々と穴を掘り続けるシーンで、大グレン団がシモンの背中に圧倒されるのである。これはカミナの以下のセリフを象徴するかのようなエピソードだ。

弱気になりそうになったとき、自信が無くなりそうになったとき、あの日コツコツと掘っていたシモンの背中を思い出す。あの背中に笑われねぇ漢になる。

『天元突破グレンラガン』より引用

地道にコツコツと穴を掘るだけの少年の背中に鳥肌が立つこのシーンは、凄まじい感動を僕にくれた。

とはいえ、劇場版の方のエピソードも好きである。劇場版の方が、シモンの「ニアを救いたい!」という気持ちが強く感じられたし。

穴掘りシモンの何がすごいの?

僕はTVアニメを視聴していた当時、なんとなくシモンが凄いやつなのはわかっていたけど、具体的に何がすごいのかがわからなかった。穴掘りがは、一体何を示しているのか。

シモンが復活する際、以下のセリフを口にしている。

アニキは死んだ、もういない!!
だけど俺の背中に、この胸に、一つになって生き続ける!

穴を掘るなら天をつく。墓穴掘っても掘り抜けて、突き抜けたなら俺の勝ち!

俺を誰だと思っている……。俺はシモンだ。カミナのアニキじゃない。俺は俺だ! 穴掘りシモンだ!

『天元突破グレンラガン』より引用

「穴を掘るなら天をつく。墓穴掘っても掘り抜けて、突き抜けたなら俺の勝ち!」

ここに、シモンという漢の凄まじさが全部凝縮されている。

「墓穴を掘る」という慣用句は「身を滅ぼす原因を作る」という意味を持つフレーズである。だが、シモンは「墓穴掘っても掘り抜けて……」と口にした。墓穴を掘るということは、ただただ自分に不利な状況を作り出しているだけのように思える行為だ。

だが、もし天まで突き抜けるほど掘り続けることができたとしたら? はたしてどうなるのだろう。シモンの言う通り「俺の勝ち!」なのである。

「穴を掘る」という行為は、そのまま「挑戦」に置き換えることができる。何かを変えるためにリスクを賭けて挑戦する。だが、その道中は穴の中のように真っ暗で、とても怖い。それどころか、一体あとどれくらいで辿り着くのかもわからないし、辿り着いた先に何があるのかもわからない。

この”挑戦”を成功させるには、2つの要素が絶対に必要である。1つ目の要素は、根拠のない自信だ。穴を掘った先に何があるのかわからないわけなので、根拠もクソもない。だから、まず挑戦するにあたって、根拠のない自信が必要不可欠なのである。2つめの要素は、コツコツと努力を積み重ねる力だ。天をつくまで穴を掘り続けられるだけの精神が絶対に必要である。

もうおわかりだろう。カミナとシモンは、この2つを有しているのだ。根拠のない自信はカミナが。そして穴を掘り続ける力はシモンが持っていた。そしてカミナが根拠のない自信を信じ続けることができたのは、シモンが穴を掘り続けることができるからだった。だから「お前を信じる俺を信じろ」だったわけだ。

でもそれだけではシモンは成長しない。カミナは命尽きる直前、シモンに対して「お前が信じる、お前を信じろ!」と口にした。「お前を信じる俺を信じろ→俺が信じるお前を信じろ」の流れで、最後の最後に「俺が信じるお前でもない。お前が信じる俺でもない。お前が信じる、お前を信じろ!」とカミナはシモンに伝えるのである。「お前が信じる、お前を信じろ!」こそ、根拠のない自信そのものである。

そしてシモンはそのメッセージを受け取り、元々備えていた穴を掘る力に、カミナのような根拠のない自信を手に入れたシモンは、いよいよ完全となった。グレンラガンの完成である。

穴を掘る力は凄まじい。穴の中は相当に怖いと思うし、挫折しそうになると思うが、それでもシモンは黙々と、天をつくまで、掘り続けることができるのである。そんなシモンの背中に笑われない漢に僕もなりたいし、もっと言うなら、シモンのように穴をコツコツと掘り続けられる人間になりたいと思う。

さいごに

『劇場版 天元突破グレンラガン 紅蓮篇』では、シモンが復活するシーンまでが描かれた。ということで、『螺巌篇』はおそらく螺旋王との対決以降を描いていくのだろう。個人的に、シモンが大人になってからの展開をあまり覚えていないので、映画を通して復習できるのは良い機会だ。公開され次第、視聴したいと思う。

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