今回は『空を見上げる少女の瞳に映る世界(以下、空上げ)』について語っていく。
『空上げ』は『MUNTOシリーズ』の作品の1つだ。『MUNTOシリーズ』は京都アニメーションが自主制作したアニメ作品で、2003年に第1作目のOVA、2005年に第2作となる『MUNTO 時の壁を超えて』が公開される。そして2009年冬クールにTVアニメシリーズとして『空上げ』が放送される。
『空上げ』は全9話構成で、第6話AパートまではOVA2作を編集したもの、第6話Bパートから新規アニメとなっている。
アニメ制作は京都アニメーションが手がけた。
『空上げ』の評価
※ネタバレ注意!
作画 | 86点 |
世界観・設定 | 83点 |
ストーリー | 80点 |
演出 | 80点 |
キャラ | 80点 |
音楽 | 80点 |
作画
『空上げ』は第1話から第3話までがOVA1巻(2003年)、第4話から第6話AパートまではOVA2巻(2005年)、第6話Bパートから新規アニメ(2009年)という構成だ。これにより、それぞれ3つのパートで作画の印象が全く異なるものになっている。
2003年は「初期の頃の作画はこんな感じなのかぁ」という感じ。2005年はもう少し細かく描写されるようになっていて、たしかに『AIR』のキャラデザに似ている。そして2009年は『CLANNAD』を彷彿させるようなキャラデザになった(特にOPとED)。個人的には2005年あたりのキャラデザが一番好きだけれど、2003年頃の淡い色使いも中々渋い。
『空上げ』は京アニ作品で数少ない”戦闘シーンが描かれる作品”で、実際、戦闘シーンは中々の迫力だった。空を背景にしているので、作画カロリーをカットできているのも良い。
世界観・設定
いくつかテーマがあるけど、全体を通して”未来”がメインテーマになっているように思える。”未来”を切り開いていくのか、それとも現状維持し続けるのか。地上界と天上界という2つの世界を用いて、”未来”に対する考え方を描いていた。そしてこの世界観は、のちに京アニが手がけていく「変わるか変わらないか」のメッセージ性につながっていく。
ストーリー
全体的にストーリーは重かった。優しい世界観ではある一方で、ファンタジー要素が強く、専門用語が多い。今振り返ってみると、全然簡単なストーリーじゃないし、いかにも”OVA向き”のストーリーという感じだ。
個人的には冒頭の第1話から第3話までの流れが好きで、京アニらしさを強く感じた。
演出
2000年代の京アニらしさを強く感じさせる演出ばかりだった。ユメミの雰囲気とか、涼芽のキュートな感じは、2000年代の萌えムーブに最前線にいた京アニって感じがする。
また、2009年制作の新規アニメの方では、京アニらしい遊び心が出てきた印象を受ける。特に以知子と涼芽が天上界に降り立ってかららへんのシーンは、2010年代以降の京アニ作品でよく見られる構成になっていたと思う。
キャラ
なんだかんだでユメミ、以知子、涼芽の3人の関係性を深掘りしていた。ムント様は、思ったよりも深掘りされなかった。実際、OPもEDも基本的にはユメミ、以知子、涼芽の3人を描いたものになっている。これはおそらく、ユメミにとってこの3人の関係性が一番大事だったからではないだろうか。『空上げ』において、この3人の関係性を描くことが最優先事項で、これを前提に”未来”を考えていくという切り口なのだと思う。”現在”や”過去”を否定しない感じも、中々に京アニらしい。
音楽
OPの『アネモイ』がKey作品っぽい感じがするけど、それは当然で、歌を担当するriya(eufonius)はいくつものKey作品を担当している。幻想的で優雅なメロディーが『空上げ』にピッタリだ。
EDの『光と闇と時の果て』は悲壮感の強いメロディーで、ユメミ、以知子、涼芽の3人の関係性を切なく描けている。というか映像で挿入されている3人の幼少期の表情がめちゃくちゃに良い。やばい。
『空上げ』の感想
※ネタバレ注意!
目に見えないものを信じるということ
『空上げ』は京アニ作品の中でもファンタジー要素が強く、世界観を通してメッセージを伝えようとする意思を強く感じた。他の京アニ作品の中だと『境界の彼方』に近いタイプだと思うけど、それでも『空上げ』の方がファンタジー要素が強いと感じる。
僕が『空上げ』から受け取ったメッセージは”目に見えないものを信じる”ということだ。『空上げ』のテーマになっている”未来”、そしてアクトの元になっている”人間の気持ち”も、いずれも”目に見えないもの”だった。終盤でユメミが言っていたように、天上人はアクトを目に見える形にすることに強いこだわりを抱いていた。特に第6話Bパート以降では「アクトを形あるものにする」というメッセージを強調していたように思う。
実際問題、目に見えないものを信じるのは非常に難しいことだ。なぜ人々が、過去や現在に執着し、未来を信じることができないのかと言われれば、それは未来が目に見えないからである。また、ヒトを信じることができないのも、ヒトに内在する気持ちを、自分の目で見ることができないからだ。
『空上げ』を視聴して僕が思ったのは「何を信じるか信じないかで、ヒトの生き方は大きく変わる」ということである。人々は、何を信じるべきだろうか。権力を信じるのか、お金を信じるのか、未来を信じるのか、人間らしさを信じるのか、神を信じるのか、宇宙を信じるのか。ヒトの生き方は、何を信じるのかで決まっていくような気がするのは、僕だけだろうか。
少なくとも、僕が思うに、”目に見えないもの”により良い生き方の鍵があるのではないかと思う。『空上げ』の中でユメミは、人間らしい気持ちを信じることに賭け、そして未来を切り開くことができた。『空を見上げる少女の瞳に映る世界』というタイトルも、実にメッセージ性を感じさせられるタイトルだと思う。ユメミは、目に見えないものを見ることができる(信じることができる)人間だったのだ。
目には見えない人の心。
『空を見上げる少女の瞳に映る世界』より引用
その姿を知りたくて、人は心に形を与えた。
その形は人。その形は世界。その心の形を、私は見る。
怖いけれど、逃げ出したいけれど、私は鏡の前に立つ。
映されているのは、私の心。
そこに立つ姿は、ありのままの姿。
似合わない服を着てるし、髪型は変。ちっとも可愛くない。
ほんと、泣けてくる。
それでも私はそこに立って、映る姿をただ見つめる。
もちろん、葛藤はある。落ち込んだりもする。
だけど、それもいつか静かになって、素直な気持ちになれて。
そんな自分を、受け入れられるかなって思えてくる。
それが終わったとき、私は勇気が持てて、次の一歩を踏み出せる。
その一歩が、私を変える。
その小さな勇気を映した姿は、いつか、心にも届く。
心の姿が変わっていく。世界の形が変わっていく。
世界は美しくなれる。
美しい世界を映して、心はもっと強くなる
私、強くなる。みんなとつながって、みんなと一緒に。
たしかに、京アニの原点だった
『空上げ』を視聴していて確信したが、たしかに『MUNTOシリーズ』は京アニの原点だと思う。『空上げ』の”目に見えないものを信じる”というメッセージは、以降の京アニを象徴するキーワードだからだ。京アニ作品は、なんだかんだで”未来”や”ヒトの気持ち”をテーマにしているし、そしてそれをアニメーションという形で、目に見えるものに表現しようと努めてきた印象を受ける。京アニは、目に見えないものを信じている。その原点が『空上げ』にある。
そもそもアニメのポテンシャルとは「目に見えないものを目に見えるものにする」という点にあるのではないだろうか。実写映画では決してできない物理法則を無視した表現も、アニメであれば可能になる。話が飛ぶが、スティーブ・ジョブズがPIXARに全てを賭けていたのも、コンピュータが、目に見えないものを形にできる可能性を秘めていたからではないだろうか。
そう考えると、やはり僕たちは、”目に見えないもの”に対してもっと深く考えるべきだと思う。人間はどうしても、目に見えるものばかり信じる傾向にあるからだ。”目に見えないもの”の具体例は愛、感情、未来だが、それ以上に、言葉で可視化することができないものも、まさに”目に見えないもの”である。
そして”目に見えないもの”にアクセスする手段として、アニメーションは非常に優れている。京アニの使命とは、きっと「目に見えないものをアニメーションという形で人々に伝える」ということなのだろう。そしてその原点は、間違いなく『空上げ』にある。
さいごに
『空上げ』は個人的に相当心に響いた作品だった。『MUNTOシリーズ』は京アニの原点と言われていて、たしかに『MUNTOシリーズ』は、企画制作から販売まで全て手がける京アニプロジェクトの第1弾だった。でもそれ以上に、京アニが持つ思想というか、ビジョンみたいなものが『空上げ』に詰まっていた。個人的に、京アニの作品は、他の挑戦的なアニメ作品とは”何か”が違う印象を受けていた。思想みたいなものが、根本的に違う印象だった。
今回の『空上げ』で、他のアニメ作品と京アニ作品とで何が違うのかが、根本的に理解することができた。京アニ作品は、他のアニメ作品とは信じているものが違う、と。