今回は『風立ちぬ』について語っていく。
『風立ちぬ』は、宮崎駿が連載していた漫画(モデルグラフィックス)が原作で、これが2013年7月に長編アニメーションで映画化される。
アニメ制作はスタジオジブリ、監督は宮崎駿が担当した。
『風立ちぬ』の評価
※ネタバレ注意!
作画 | 94点 |
世界観・設定 | 92点 |
ストーリー | 92点 |
演出 | 93点 |
キャラ | 93点 |
音楽 | 94点 |
作画
『影の上のポニョ』と同様に物量で攻めてくるシーンもあれば、飛行機が風を切って飛んでいくシーン、そして人間の温かさを感じるシーンなど、印象的なカットがたくさんあった。1枚絵で切り取って飾りたいぐらいで、この宮崎駿の美的センスの良さが『風立ちぬ』で大爆発した。
世界観・設定
宮崎駿の人生観が凝縮されたような世界観だった。宮崎駿が『風立ちぬ』で描いた憧れは、美しく儚く、そして残酷だった。飛行機設計の美しさと2人の男女が織りなす愛の美しさが融合し、言葉にできないような感動を生みだしている。10年おきに見たいな。
ストーリー
2時間越えの尺だけれど、そんなのどうでも良くなるぐらいストーリーが良かった。というか美しかった。
宮崎駿作品では珍しく「マニア(偏執的な愛)」を描いていて、これは『紅の豚』に通ずる部分があるけれど『風立ちぬ』の方が残酷だった。
演出
僕が最も印象に残っているのが場面転換だ。『風立ちぬ』は、主人公・堀越二郎の半生を描いているため、作中の経過年数はかなり長い。だから1本の映画で収めるのは基本的に難しいはずなのだけれど『風立ちぬ』では実にシームレスに場面転換がなされているように感じられる。そのため、視聴者の集中力が途切れづらくなり、実施、僕は最初から最後まで美しい物語の虜にさせられてしまった。
キャラ
少なくともヒロインの里見菜穂子は、ジブリ作品史上もっとも美しい女性キャラであり、男性の欲望がもっとも詰め込まれたキャラと言っても過言ではない。このヒロインを生み出しただけでもすごいのだけれど、主人公の堀越二郎がもっとすごい。宮崎駿の本音が凝縮されているようなキャラだった。
音楽
主題歌の『ひこうき雲』があまりにも強力すぎる。美しいメロディーに加えて、文学的な詩的表現が素晴らしく、そしてこの『ひこうき雲』が『風立ちぬ』にジャストマッチしているのが、なんというか恐ろしい。
また、Wikipediaによると『風立ちぬ』のSEは全部人間の声で作られているらしい。……マジか!
『風立ちぬ』の感想
※ネタバレ注意!
アートとテクノロジー
『風立ちぬ』は飛行機設計の物語なのだけれど、そこで僕はアートの重要性をあらためて強く理解した。
『風立ちぬ』で印象的なシーンといえば、サバの骨である。堀越二郎は「サバの骨は美しい」とし、同時に「飛行機も美しい」とした。自然界で自動発生したデザインは、無駄が一切なく、それでいて機能的にも優れている。そして、それに対して僕たちは「美しい」と表現する。
例えば、鍛え抜かれた身体には肉体美が宿るし、美女の容貌はやはり美しい。しかし、なぜ僕たちは、肉体美や美女に対して「美しい」という感想を抱くのだろうか。一応、人間が「美しい」と考える図法は、白銀比など、いくつかあるのだけれど、しかしなぜそれらに対して我々人間は「美しい」と感じるのだろうか。
この理由はよくわからないが、少なくとも本作では「美しい=機能的に優れている」という方式が成り立っているように思える。そのもっとも典型的な例がAppleだと思うけれど、やはり美しいデザインは、機能的に優れているのである。
一般的に、日本製品の大半は「機能が優れている!」と言われるが、その代わりにデザインが犠牲になる。しかし本当は決してそんなことはなく、本当に機能性に優れるプロダクトは、半自動的にデザインも美しくなるのだ。
これは、アニメーションにおいても同じことが言える。「アニメーション」というメディアの機能性を徹底的に追求した結果、美しい作品に仕上がる。宮崎駿作品が、その典型例だ。
ただただ「作画枚数が多い!」とか「アクションがカッコいい!」というものではなく、緻密な計算に基づいたアニメーションは、結果として美しくなるのではないかと思う。
夢は矛盾を内包する
『風立ちぬ』のテーマの1つとして”矛盾”が挙げられる。実際『風立ちぬ』では、様々な矛盾が描かれた。
そのもっとも代表的な例が”戦争”と”飛行機”だ。堀越二郎が作る飛行機は、戦争のために用いられるものである。だが堀越二郎は、基本的には戦争には反対だった。でも堀越二郎は、飛行機を作る。なぜなら飛行機に夢を抱いているからだ。
同じく、堀越二郎は菜穂子を心の底から愛していた。しかし堀越二郎は、菜穂子を放ったらかしにして仕事にのめり込む。そもそも菜穂子は、自分が結核であることを最初から語っていたのだから、本当に彼女のことを思えば、堀越二郎は菜穂子と婚約すべきではなかったかもしれない。というか、高原病院にいてもらった方がよかったはずだ。だがそれでも堀越二郎は、菜穂子と一緒に居る選択を選ぶ。これほど偽善に満ちた行動はないだろう。
ほかにも『風立ちぬ』で描かれた矛盾はたくさんある。世界恐慌で人々は貧困なのに、飛行機設計者である堀越二郎は良い生活ができている。堀越二郎が作り上げた美しい飛行機・零戦は、特攻で用いられ、多くの犠牲者を生み出してしまう。
もう少しメタ的に見ると、宮崎駿自身が戦争反対派なのに、一方で戦闘機などの兵器を好むことも大きな矛盾だ。また、宮崎駿が世界を変えるための手段としてアニメーションを選んでいるのも大きな矛盾である。なぜなら、宮崎駿はアニメを通して人々を「more better」にしようとする一方で、アニメーションは人々を堕落させるメディアでもあるからだ。『となりのトトロ』で子どもたちが自然と戯れるようにしたかったのに、実際はネトフリ漬けの毎日を助長しているだけに過ぎない。
僕がこれらの矛盾から得たメッセージは「夢は矛盾を内包する」というものだ。夢は、非常に美しくもある一方で、多くの犠牲及び呪いを生み出す。トレードオフの関係なのだ。スティーブ・ジョブズが作り出したiPhoneは、紛れもなく世界を変えたし、多くのクリエイティブを助けることに繋がったかが、一方でスマホ中毒者も生み出した。
これは正直言って、どうしようもない。夢を追い続ける人に待ち受ける宿命である。夢を追い続ければ、いずれ必ず”現実”が邪魔してくる。夢を追い続けることで多くの悲劇を生むことがある。でも、それでも僕たちは、夢を追い続け、悲劇を乗り越えて生きねばならない。宮崎駿は堀越二郎という男を通じて、1つの生き方を提示したのである。これはまるでニーチェの超人のようなのだけれど、宮崎駿作品は超人であることを推奨しているように僕は思うし、そしてこの生き方が最も美しく、それでいて最も苦しいのだろう。
ジブリ史上、最も美しい作品
僕は個人的に『風立ちぬ』は、宮崎駿の最高傑作だと思っている。けれども一方で『風立ちぬ』に批判的なコメントがあるのも否めない。とはいえ、最高傑作でないにしろ、僕は『風立ちぬ』がスタジオジブリ史上もっとも美しい作品なのではないかと考えている。
まあ宮崎駿は公式サイトで「リアルに、幻想的に 時にマンガに、全体には美しい映画をつくろうと思う」と述べているわけで、美しい映画を作ろうとしていたのは明らかである。そして、僕が思うに『風立ちぬ』は実際に美しかった。美しさを生み出すための作画・演出・ストーリー・音楽・キャラだったと思う。もう、何もかもが美しい。
一方で、美しさは残酷である。『風立ちぬ』の問題点として考えられるのが『風立ちぬ』という作品自体が「美しさを追求することこそ美しい」という思想の下で制作されている点だ。実際、宮崎駿は美しさを追求していたわけだし、その行動自体を美しくもあり残酷でもあるとしている。
そこで発生する疑問は「僕たちは美しさを追求しない方がいいのではないか」というものである。この世に存在するありとあらゆるテクノロジー及び兵器は、美しさに支配された科学者によって作られたものである。原子爆弾も、原子力の可能性に惹かれた科学者によって作られたモノだ。
でも僕は個人的に、人類による美の追求に反抗するのはナンセンスだと思う。そして実際に『風立ちぬ』でも、そういったメッセージが描かれていたように思う。人類による美の追求を回避することはできない。つまり、美の追求によって誕生する悲劇も、回避することはできないのである。だから僕たちは、その悲劇を乗り越えるしかない。この先に悲劇が待ち受けているとわかっていても、僕たちは美しさを追求するしかないのだ。この問いに対しては、意見がきっぱり分かれるだろう。具体的には、ニーチェの言うところの超人を目指すかどうかなのだけれど、でもそういう運命で悩む人間ですら美しい気がしてならない。
あぁ、この世界はなんて美しく、そして残酷なのだろう。
さいごに
宮崎駿の最後の作品と言われていた『風立ちぬ』だったが、なんと2023年に新作映画である『君たちはどう生きるか』を公開してしまった。『君たちはどう生きるか』も『風立ちぬ』に負けないぐらい賛否両論の作品に仕上がっているので、こちらもぜひ視聴してほしいと思う。