【君たちはどう生きるか感想】僕たちは生き方を考えなければならない

今回は『君たちはどう生きるか』について語っていく。

『君たちはどう生きるか』はスタジオジブリ制作によるアニメオリジナル映画で、原作・脚本・監督を宮崎駿が担当している。前作の『風立ちぬ』から10年ぶりの新作となった。

目次

『君たちはどう生きるか』の評価

※ネタバレ注意!

作画98点
世界観・設定93点
ストーリー90点
演出95点
キャラ93点
音楽85点
※個人的な評価です

作画

作画のクオリティは、相変わらずヤバい。2023年になっても、ジブリらしさや宮崎駿らしさを感じることができた。

『君たちはどう生きるか』に関しては、鳥の動きが非常に面白い。そういえば僕は、以前、京都市動物園に赴いた時に、フラミンゴの膝関節の動き方が人間と真逆であることを学んだけれど、どうやら青サギも同じらしい。というぐらいに、鳥の動きが相当リアルに描かれていたと思う。

また、宮崎駿作品は、宮崎駿自らが全カットの制作に参加することで有名だ。一方で今回の『君たちはどう生きるか』は、宮崎駿は絵コンテ制作に専念し、作画監督は若いクリエイターにお願いしたことになっている。その結果、作画が良い意味でお化けみたいになった。

世界観・設定

『君たちはどう生きるか』を原作にしているわけではないものの、やはり『君たちはどう生きるか』の世界観を多少は引き継いでいる。そこに、宮崎駿らしい実存主義や自然の雄大さが組み込まれた感じ。また、奇しくも、ロシア・ウクライナ戦争のタイミングで公開されたのも運命を感じてしまうが、それはそれで、現代社会が反映されているということでもあるだろう。

ストーリー

序盤は「『風立ちぬ』みたいな雰囲気かなぁ」と思ったけれど、中盤から一気に冒険ファンタジー作品へと変貌を遂げた。事前情報が一切無かったことから、まさに予想外のストーリーだったけれど、これはこれで面白い。というか、久しぶりに次が気になるストーリーを体験できたと思う。

ストーリーは、意味がわからないことが多々あるが、おかげさまでじっくり考えながら映画を視聴することができた。

演出

演出のクオリティは、えげつない。特に印象的だったのが、序盤で眞人が駆け抜けるシーン。ここが『君たちはどう生きるか』の一番の見せ場だったと思う。線の使い方や3DCGの合わせ方。エキストラの使い方やカメラワークなど。とにかく、疾走感と絶望感をズッシリ味わうことができた。

キャラ

これまでの宮崎駿作品の中でも、キャラクターはかなり複雑だったのではないだろうか。眞人とナツコの関係性とか、相当に複雑だったと思う。『もののけ姫』のアシタカとサンほど純真無垢ではない。でも、まあそんなものだと思う。アシタカやサンは自然の中で生きてきたが、眞人はガッツリ東京暮らしだったから。

音楽

主題歌『地球儀』は中々に良い曲。それにしても、ボカロプロデューサーが宮崎駿作品の主題歌に起用されるなんて、よく考えてみればドリームすぎる。

久石譲による劇伴も、作画に負けないくらい美しかった。

『君たちはどう生きるか』の感想

※ネタバレ注意!

戦争は他人事では無い

吉田源三郎の小説『君たちはどう生きるか』は、壮大な時の流れの中に僕たち人間が存在し、そして僕たち人間が壮大な時の流れを作り出していることを教えてくれる。この事実の中で、僕たちはどう生きるのか。それが本書のテーマの1つだった。

つまるところ、個人は社会に所属している一方で、個人が社会を形成しているという見方ができるわけだ。おそらく多くの人が考えるべきなのは、社会に対してどのように向き合うか、ということである。小説『君たちはどう生きるか』では、地動説と天動説が引き合いに出された。

現代科学においては地動説が正しいことになっている訳だが、個人と社会の関係性については、天動説的な考え方をしても問題なさそうである。なぜなら、あなたの人生はあなたを中心に回っているのだから。

小説『君たちはどう生きるか』の主人公・コペル君は、まずは自分が”いい人”になって、そして周囲の何人かを”いい人”にする生き方を選んだ。これは、実に利口である。自分を中心とした生き方である一方で、ごくわずかかもしれないが、社会を良い方向に回していくという意思を感じる。

さて、今回の『君たちはどう生きるか』は第二次世界大戦を舞台にしており、奇しくも、ロシア・ウクライナ戦争の真っ只中で公開された。

戦争。平和ボケした多くの日本人にとって、戦争は最も距離の遠い概念の一つだろう。しかし、現に今、ロシアとウクライナは大きな戦争をしている。一見すると、日本人にとって、この戦争は他人事かもしれない。けれど、とことんめぐらせてみれば、僕たち日本人が戦争に加担していると言っても全くおかしくない。それどころか、この地球に住むすべての人々にとって、ロシア・ウクライナ戦争は他人事ではないのである。

だから僕は『君たちはどう生きるか』を視聴していて、青サギが眞人を脅したが如く、グサっと心臓を刺された感覚を抱いている。僕も、戦争を他人事のように思っていたからだ。

それで今一度、社会に対する向き合い方を考えようと思った。実のところ、僕も、コペル君と同じような生き方を目指そうと思っていたのだけれど、それで本当にいいのだろうか、と。

「少年よ、大志を抱け」とはクラークが言った言葉だが、「どうすれば世界を変えられるのか」と考えてしまっている自分がいる。

真の平和は不自然なのかもしれない

今回の『君たちはどう生きるか』のメッセージを端的に一言で表すのは難しいが、もし僕が一言でまとめるなら「真の平和は不自然である」にするだろう。

『君たちはどう生きるか』の中で、眞人はいくつかの選択を迫られた。その中で、おそらく最も重要な選択だったのが、大叔父の”下の世界のバランスを取る役割”を継ぐか継がないかの選択だ。この役割は、大叔父の血を継ぎ、かつ悪意のない人間にしかできないのだという。そこで大叔父は、眞人にお願いすることにしたのだ。

しかし、眞人は断る。頭の傷を見せて「僕の悪意の印です」と言うのだ(複雑だ!)。

以前より、宮崎駿作品では”自然”がテーマになっていた。自然は、とても偉大なもので、人間が到底太刀打ちできるものではない。そういうメッセージが、宮崎駿作品からビシビシと伝わってくる。『もののけ姫』なんかは、特に。

そして自然は、真っ当な弱肉強食の世界である。下の世界は実に印象的で、おそらく人間よりもインコの方が強い。また、ペリカンがわらわら(赤ちゃんの前段階の魂)を食べてしまうときは、僕も「なんてこった!」と思ったものだが、どうやらペリカンは、わらわらを食べないと生きていけないのだというからしょうがない。

言わずもがな、僕たち人間も、様々な生き物を殺しているわけで、そこに悪意はない。一方で、これまでの長い人類史で、人は悪意(自利)を抱き、殺し合いの日々を送っていたことがあった。無論、今もそうである。

でも、これは実に自然なことなのかもしれない。この世界は自然によってできているわけで、真っ当な弱肉強食の世界なのだから。とすると、”平和”というのは実に人工的なもので、不自然で、そして単なる幻想なのかもしれない。僕たちは、その事実に向き合わなくてはいけないのかもしれない。

テクノロジーの進化に対するカウンター

今回の『君たちはどう生きるか』で印象的だったのは、広告が一切打たれなかったことだ。鈴木敏夫に対するインタビューによると、日本の映像界で普及して言える製作委員会方式や、大々的に広告を打ってメガヒットさせるブロックバスターのやり方は、全て鈴木敏夫によって生み出されたことになっているらしい。ということで『君たちはどう生きるか』に関しては、製作委員会方式も辞めて、広告も一切やらないことにしたのだと言う。

これは別に真新しいことではなく、他の映像作品でもしばしば見られる立派なマーケティング手法だと僕は思う。ただ少なくとも、このマーケティング手法は、SNSに対するカウンターであるのは間違いない。

たしかに今の映像界は、SNSなどで、作品の中身をそれなりに知れてしまう現状がある。事前情報一切なしでアニメ作品を見るなど、ほとんどない。

興行収入と作品としての面白さが中々比例しないのは、ここに秘密がある。当然のことながら、広告を打った方が、興収は伸びるのだ。

また、近年はAIの進化が顕著になっている。これまでのAIはれっきとした科学だったが、進化が凄まじいことになり、ブラックボックス化しつつある今となっては、AIが一周回って自然となり、神になる。

僕たちは再び、自然に回帰する必要がある。というか、回帰せざるを得ない状況に陥っている。その中で、AIという名の不自然な自然に身を置くか、それとも本物の自然に身を置くのか。もしくは、両方を行き来するのか。僕たちは、生き方を迫られている時代にいるのだ。

さいごに

多分、この『君たちはどう生きるか』が宮崎駿の最後の作品になると思う。流石に、年齢的に厳しいだろう。

しかし、このタイミングで、このような作品を投下するとは、さすが宮崎駿という感じだ。僕たちは今、生き方を根本的に考えなければならない。生き方とは、つまりライフスタイルである。

僕は『君たちはどう生きるか』を見て、まずは僕が挑戦的なライフスタイルを実施し、それから最適化したライフスタイルを周囲の人に伝えていこうと思った。そして、それと同時並行で、社会全体がより良くなるためにどうすればいいかを、考え、実行しようと思う。

そして、その手段がアニメだったら良いなと、僕は思うのだ。

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