境界の”彼方”の先にある世界

境界の彼方未来篇

今回は『劇場版 境界の彼方 -I’LL BE HERE- 未来篇(以下、劇場版境界の彼方未来篇)』について語っていく。

『境界の彼方』はKAエスマ文庫で刊行されているライトノベルが原作だ。2013年秋クールにTVアニメが放送された後、2015年3月に『過去篇』が、そして2015年4月に『未来篇』が劇場アニメで公開された。

アニメ制作は京都アニメーションが担当している。

目次

『劇場版境界の彼方未来篇』の評価

※ネタバレ注意!

作画88点
世界観・設定80点
ストーリー75点
演出85点
キャラ75点
音楽80点
※個人的な評価です

作画

なんだかんだで京アニクオリティなので、とにかくよく動く。劇場版ということもあって、ヒキの構図も多く採用されていた。お花畑のシーンとか建物のシーンとか。

世界観・設定

やはり雰囲気だけは良い。『中二病』で六花が望んでいる世界が、まさに『境界の彼方』にある。笑

そして『境界の彼方』は”善と悪”、そして”光と闇”の陰陽の考え方が強く反映されている。要するに”闇”を受け入れろという話。『過去篇』では人間の闇の部分が”妖夢”として描かれていたけれど、『未来篇』では世界全体で人間の善悪が描かれていた。

ストーリー

全体の約9割がシリアス。そして全体の50%ぐらいで誰かしらが泣いているイメージだった。『境界の彼方』はダークファンタジーだから、全体的にネガティブなストーリーになるのはわかる。だが、それにしても泣き過ぎなような……。全体的にとにかく泣くので、メリハリがつかなくなっている。

もちろん、京アニの技術は凄いので、同じ涙でもカットによって印象が全く異なるというのはある。特にラストは素晴らしかった。でもやっぱりストーリーの強弱が付いていないから、感情がそこまで動かなかった。

演出

先ほども述べた通り、とにかくよく泣く。そしてとにかくバトルする。だからメリハリに欠ける。もう少し日常シーンがあっていいんじゃないかなぁと思う。

ただし、演出そのもののクオリティはとても高かった。画面の使い方のセンスは、やっぱり京アニという感じである。

キャラ

結局のところ『境界の彼方』にハマれるかどうかは、キャラにハマれるかどうかに懸かっている。あれだけネガティブなストーリーにしっかりついていくには、ちゃんとキャラに感情移入できないといけないだろう。

その点でいくと、僕はあまり感情移入できなかった。やっぱり涙は、簡単に見せてはいけないと思う。あまりにも涙が多すぎて、涙の価値が薄まっている気がする。感情を爆発させずに、自分の心の中に抑え込むシーンを多くしてもいいのではないかと思う。

まあでも、これはめちゃくちゃ難しいところだな……。

音楽

主題歌の『会いたかった空』はかなり良かった。劇場版仕様。曲の使い方も素晴らしい。劇伴は印象に残らないけれど、作品の世界観を演出できてはいたと思う。

『劇場版境界の彼方過去篇』の感想

※ネタバレ注意!

劇場版だからこそできる挑戦

本記事前半の”評価”の部分で、僕はそれなりにネガティブなことを書いた。けれども点数を見て分かる通り、全体的にクオリティは高かったし、良い作品だったと思う。

今回の『劇場版境界の彼方未来篇』は、とにかく攻めた内容だった。難解なファンタジー作品やSF作品に多いのだけれど、TVアニメよりも劇場版の方が攻めた内容が多い。これはTVアニメよりも劇場版の方が、視聴者の質が高まりやすい側面がある。何せお金を払っているのだから。

『劇場版境界の彼方未来篇』のような難解な作品は、考察のしがいがある一方で、説明不足の部分がどうしても多くなる。そしてそれが「京アニっぽくない」と言われれば、たしかにその通りだ。

その一方で『境界の彼方』は京アニにとって挑戦だったのだと思う。ダークファンタジーというジャンルへの挑戦。そして、この時期の京アニは制作方針を大きく変え始めた頃でもある。原作IPを自社で保有するスタイルだ。

結局、この挑戦で「京アニは壮大なファンタジー作品が得意ではない」という結論が導き出されたように感じる。この答えが明確になっただけでも、京アニにとっては大きな収穫だったと言えるだろう。

結局、境界の彼方とは何なのか?

さて、結局”境界の彼方”とは一体何なのだろうか。

とりあえず、やはりどう考えても、人間の”光と闇”がテーマになっているのは間違いないだろう。この点でいくと、神原秋人の母・神原弥生がキーパーソンになる。なぜなら彼女は『境界の彼方』という物語の全容を抑えていると考えられるからだ。

これはラストシーンを見ればわかる。

妖夢だとか異界士だとか、そんなの、本当は関係ないんだよね。自分が何者かなんてことも。ただ素直に、大切な人を想って、その人の側にいれば。

(中略)

一応これでも2つの世界の門番として、結構前からこの世界を見てきてるんだよ。

『劇場版 境界の彼方 -I’LL BE HERE- 未来篇』より引用

……なんかこれが『境界の彼方』の答えになっている気がする。

まず前提として、妖夢は人間の悪を描いたものだと考えられる。なぜなら妖夢は、人間の悪の感情によって生まれるものだからだ。

そして弥生が述べている”2つの世界”とは、おそらく人間の世界と妖夢の世界だと思う。この2つの世界の間に境界があるのであれば、人間と妖夢のハーフである神原秋人が”境界の彼方”と呼ばれるのも納得がいく。

そして境界の”彼方”にあるのは、人間も妖夢も関係なしに、大切な人の側にいれる世界なのだろう。

ここで面白いのは、そんな境界の彼方を殺すために存在する”呪われた一族”である。呪われた一族は、まるで呪いのような血を有することから”悪”だとみなされてきた一族だ。

この呪われた一族の解釈は難しい。僕は、呪われた一族は「ある勘違いをしていた」と考える。おそらく呪われた一族は、境界の彼方を殺すことが、自らの存在意義になっていると勘違いしていたのだ。なぜなら境界の彼方を殺すことができるのは、呪われた一族だけだったから。

しかし、呪われた一族が幸せになるために必要だったのは、むしろ境界の”彼方”にある世界だったのである。この壮大な勘違いのために、呪われた一族はいつまで経っても、呪われた一族のままだったのではないだろうか。

境界の彼方にある世界は、境界の彼方(秋人)と呪われた一族(未来)がお互いの手を握る世界。

おそらく今後も、人間と妖夢の戦いは続くのだろう。しかしそれは当たり前。光と闇は常に存在し、そして対峙することもある。大切なのは、それを深く理解し、受け入れることなのだと思う。

さいごに

『境界の彼方』の聖地は奈良にあるらしいので、早速赴いて聖地巡礼しようと思う。

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