【アニメ感想】劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [後編] 永遠の物語

まどマギ後編

今回は『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [後編] 永遠の物語(以下、まどマギ後編)』について語っていく。

前作の『まどマギ前編』は2012年10月6日に上映され、『まどマギ後編』は同年10月13日に上映された。ちなみに『まどマギ後編』は、TVアニメ『まどマギ』の第9話以降の総編集版となっている。アニメ制作はシャフトが担当した。

目次

『まどマギ後編』の評価

※ネタバレ注意!

作画93点
世界観・設定90点
ストーリー90点
演出90点
キャラ85点
音楽85点
※個人的な評価です

作画

終盤のクライマックスに近づくにつれて、作画のクオリティが非常に高まっていく。また、TVアニメとは明らかに作画のクオリティが違う。Wikipedia先生によると、総編集版では全てのカットに対して何かしらの手が加えられているそうだ。でも本当に、作画のクオリティはTVアニメより底上げされている。

世界観・設定

まるでSFのような世界観に突入した。「まどかが高次に突入して概念になる」というのは、まさにSF系アニメでありがちな設定である。だからSF慣れしている人からしたら、終盤の展開は中々楽しめるはず。僕もTVアニメを視聴していた頃に比べてSFの経験値があるので、終盤のSF展開のおおよそは理解できた。

ストーリー

TVアニメ『まどマギ』の第9話から第12話までを116分に編集しているということだ。だから、尺が十分どころか、新規カットが追加されているレベルである。ということでストーリーは十分面白かったし、むしろTVアニメよりも面白かったのでは?

演出

新房昭之監督特有の演出が目白押し。ただし劇場上映に合わせて、全体的にヒキの作画構成が多かったように感じられる。また、Wikipedia先生によれば、結界の中の世界もかなり手を加えられたようだ。ただの総編集版ではなく、むしろ新たな作品として作り直しているという意思が演出から見受けられる。

キャラ

主要人物5人だけでなく、まどかの親である鹿目詢子や担任教師の早乙女和子も印象的だった。そしてやはりキュウべぇはムカつくけれど、しかし僕たち人間も動物を家畜として扱っているわけだから、キュウべぇを完全に否定することはできない。

音楽

やはり劇伴のクオリティが非常に高い。Wikipedia先生によると、この総編集版のために新たに数十曲も制作されたらしい。まあその分、音楽制作にお金が落ちるわけだから、アニプレックスにとってはかなり美味しい。

『まどマギ後編』の感想

ネタバレ注意!

まどかはニーチェにおける超人なの?

『まどマギ後編』は非常にSFチックなストーリー展開だった。ほむらが何度もタイムリープした結果、まどかにエネルギーが集中する。そしてまどかはその膨大なエネルギーを「過去でも未来でも全ての魔法少女の絶望の連鎖を断ち切る」みたいな願いに使うことで、まどかが高次における概念となるのだ。それは事実上、永久的に戦い続けることと等しい。

ちなみにSF作品では、敵役のキャラが「神になる」という名目で一つ上の高次領域に足を踏み入れようとすることが多い。だから主人公であるはずのまどかが、高次領域に足を踏み入れて概念になるというのは、僕からすると少し新しい(もちろん、そういうSF作品もあるのだろうけど)。

それで僕が気になるのは「『まどマギ』の制作陣がどのような意図でそういうストーリーにしたのか」だ。僕がパッと思いついたのが、ニーチェの超人理論である。

哲学的分野で言う超人(ちょうじん、ドイツ語:Übermensch、英語:overman, superman, super-human)とは、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェが提唱した概念の一つであり、そのような新しいあり方を体現する人類の呼称である(その、漢字文化圏における表記)。

ニーチェはその著『ツァラトゥストラはかく語りき』において、人間関係の軋轢におびえ、生活の保証、平安、快適、安楽という幸福を求める現代の一般大衆を「畜群」と罵った。その上で、永劫回帰の無意味な人生の中で自らの確立した意思でもって行動する「超人」であるべきと説いた。

Wikipediaより引用

たしかに『まどマギ』における鹿目まどかは、この「超人」に当てはまると思う。実際、実質的には”永劫回帰の無意味な人生の中で”、「魔法少女の苦しみの連鎖を断ち切る」という名の”確立した意思でもって行動”しているからだ。

だから『まどマギ』のストーリーの根底には、間違いなくニーチェの発想があると思う。

さて、僕たちが考えなければいけないのは「僕たちは超人を目指すべきか、それとも畜群を目指すべきか」だ。鹿目まどかのラストを見ると、多くの人は「まどかの結末は悲惨だった」と考えるのではないか。実際、ほむらはそう考えていたと思う。
けれども、まどか自身は「これが自分のやりたかったこと」ということで、どこか幸せそうな表情を顔に浮かべるのである。

このまどかの気持ちに同情できるのであれば、あなたはニーチェが言うところの”超人”を目指すべきだろう。しかし、この考えに理解できないのであれば、”超人”なんか目指すべきではない。おとなしく”畜群”になるべきだと思う。

『まどマギ』における”畜群”とは、いわば”まどが以外のキャラ”だと言っても過言ではない。だから別に劣等感を感じる必要などなく、当たり前の幸せに気づくことができれば、”畜群”も十分すぎるくらいに楽しいし、幸せなものなのである。

さいごに

『まどマギ後編』の後は『まどマギ新編』を視聴することになる。おそらく、まどかが概念となった世界を舞台にしているのだろう。だから『まどマギ新編』のストーリー展開は、個人的にかなり楽しみだ。しっかり視聴して、感想をブログに落とし込みたいと思う。

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