【おもひでぽろぽろ感想】僕たち人間は、辛いことの方が記憶に残るものだ

おもひでぽろぽろ

今回は『おもひでぽろぽろ』について語っていく。

『おもひでぽろぽろ』は岡本螢による漫画が原作で、1991年に劇場アニメが公開された。ただし原作漫画と劇場アニメでは、描かれ方がかなり異なる。

アニメ制作はスタジオジブリ、監督は高畑勲が担当した。

目次

『おもひでぽろぽろ』の評価

※ネタバレ注意!

作画86点
世界観・設定80点
ストーリー82点
演出85点
キャラ80点
音楽80点
※個人的な評価です

作画

スタジオジブリということで、流石に作画のクオリティは高い。ただ、宮崎駿作品ほどの秀逸な画だったというわけではなかった。

『おもひでぽろぽろ』は現実性を意識した作画になっていて、特に登場人物の口元が、僕にとって印象的だったかな。

世界観・設定

“思い出”に対する切り口が非常に面白かった。”思い出”って美しい響きがあるけれど、実際は全くそんなことなく、むしろ自分自身を縛り付けるものなんだよなぁ。

ストーリー

主人公が小学5年生の頃の回想シーンをベースにストーリーが組み立てられている。この辺の構成は『火垂るの墓』に、よく似ている。このような”時間軸をずらしてくるストーリー”は、個人的にかなり好きだ。

また、やはり高畑勲作品という事で、全体的にネガティブなイメージが付きまとうストーリーだった。

演出

当時のアニメ業界の感覚を考えると、割と斬新な演出が多かった。基本的に現実的な雰囲気があるのだけれど、突然ミュージカルっぽくなったり、60年代の楽曲を挿入したり。2000年生まれの僕にとって、80年代と60年代には大した差が無いのだけれど、それでもやっぱり”思い出”を感じさせる演出だった。

個人的には、ラストシーンで小学生時代のキャラクターが大量に登場するシーンが印象的。あのシーンは”思い出との決別”を感じさせられた。

キャラ

主人公のタエ子の立ち位置にいる人間は、非常に多いと思う。東京生まれ東京育ちで、なんとなく田舎に憧れるOL。ただし、本質的な田舎を知っているわけではない。それでいて少し捻くれていて、物事を素直に受け入れられない。「なんで結婚しないといけないの?」と言わんばかりに仕事に打ち込む。『おもひでぽろぽろ」が公開されたのは1991年だけれど、2023年の今となっては、タエ子みたいな人がもっといるのではないだろうか。

また、全体的にキャラクターの悪い部分を強調して描いていたと思う。この辺が『おもひでぽろぽろ』のタチの悪いところだけれど、これが高畑勲作品の魅力でもある。

音楽

先ほども述べた通り、タエ子の小学生時代である60年代の楽曲が多用された。僕にとっては正直、60年代の楽曲は未知の領域なのだけれど、やはり”想い出”という印象が強い楽曲ばかりだった。それを考えると『おもひでぽろぽろ』はどう考えても大人向けのアニメ作品だ。

『おもひでぽろぽろ』の感想

※ネタバレ注意!

大抵、思い出なんて全部辛いものだ

人は未来に向かって歩く生き物だが、多くの人は過去に執着する。それも、思い出を思い出そうとする人は、大抵、辛かったことや嫌だったことを思い返すものなのかもしれない。

『おもひでぽろぽろ』という作品は、27歳OLのタエ子が夏に長期休暇を取得して、山形で田舎生活を送るストーリーとなっている。だが、なぜかふと、小学5年生の頃の記憶を思い返すのだ。

それらの記憶は、ちょっと笑えるところがあるのだけれど、大半は嫌な思い出だった。今となっては笑い話になるようなものもあれば、心を締めつけるような思い出もある。

だから正直に言えば『おもひでぽろぽろ』は、見ていて気持ちのいい作品ではなかった。確かに、作品の中に引き込まれはするのだが、ラストを除けば、見ていて嫌な気持ちになる。

一般的に現在は、過去によって形成される。時間は、過去から現在へ、現在から未来に動いていくからだ。しかしだからと言って、過去に囚われすぎるとロクなことがない。なぜなら何かを思い出す時は、大抵辛いことだから。楽しいことよりも悲しいことの方が、記憶に定着しやすいと言うけれど、それはおそらく本当のことだろう。


『おもひでぽろぽろ』で言えば、タエ子は明らかに過去に囚われていた。なぜなら小学5年生の頃の記憶を、ふと思い出してしまったからだ。なぜ思い出してしまったかと言われれば、長期休暇の山形滞在で仕事から解放され、自分自身と対話する時間を取れるようになったからだろう。

その一方でトシオは、詳細が語られることはなかったけれど、おそらく未来を見ている。1991年の段階で有機野菜に注目していたのだから、相当に未来を見ているはずだ。それに、実際にサラリーマンを辞めて農家になり、それで「今のところ後悔がない」と断言しているぐらいなのだから、過去に囚われているなんてことはないだろう。

別に過去を意識することが完全に悪いことだとは思わないけれど、毎日をハッピーに生きたいのであれば、過去なんてとっとと手放して、未来の方向を見ながら、現在に集中するのがいいのではないかと思う。

田舎に憧れる都会人、都会に憧れる田舎人

『スタジオジブリ』は田舎に溢れる大自然をテーマにする作品が多いけれど、『おもひでぽろぽろ』ほど田舎と都会を対比させた作品はないだろう。田舎に憧れる都会人のタエ子と、都会に憧れる田舎人だったトシオ。どちらも、僕たちが住む世界によくいるタイプの人間だ。

その中で、トシオの田舎に対する考え方がとても素敵だった。

山奥はともかく、田舎の景色ってやつはみんな人間がつくったもんなんですよ。人間が自然と闘ったり、自然からいろんなものをもらったりして、暮らしているうちにうまいこと出来上がってきた景色なんですよ。

『おもひでぽろぽろ』より引用

百姓はたえず自然からもらい続けなきゃ生きていかれないでしょう?だから自然にもね、ずーっと生きててもらえるように百姓の方もいろいろやってきたんです。まあ、自然と人間の共同作業っていうかな。そんなのが多分、田舎なんですよ。

『おもひでぽろぽろ』より引用

たしかに、その通りだ。僕たち都会人は、広大に広がっている畑を見て「自然を感じる」と口にするけれど、そもそもそれは、農業を効率化するために、人間が作り出した景色だ。そしてトシオが言うように、自然と格闘しているうちに、うまいこと出来上がった景色でもある。畑のそばを通る小河だって、人間が作り出したものだ。

また、都会については、トシオはこんなことを言っていた。

オレら百姓ももっとこだわらなきゃいけなかったんですよ。長いものにまかれっぱなしで、都会のあとばっかり追っかけて自分を失ってしまったんだ。

『おもひでぽろぽろ』より引用

この病気に陥っている都会人は、かなり多いと思う。なんとなく憧れの場所である東京も、別に大したものではない。確かにヒトもモノもカネもユメも、あらゆる物が集まっているが、しかしそれがヒトを惑わす。

だから、もっとこだわらなければいけない。こだわるというのは、自分の意思に執着することと同義だ。ここ最近は「こだわり」が悪い意味で使われることが増えているけれど、自分を失わないようにするためにも、ある程度こだわっていった方がいいのではないだろうか。

大自然や大都会に圧倒されないようにするためにも、僕たちは自分を貫かなければならない。

さいごに

僕は『おもひでぽろぽろ』を山形滞在時に視聴し、その勢いで、『おもひでぽろぽろ』の舞台の1つとなった高瀬駅に降り立った。たしかに、それなりに美しい田舎畑が広がっていた。しかし、それも人間が作り出したものだ。

スタジオジブリのメインテーマは「自然」だけれど、21世紀はデジタルネイチャーに対して深く考えなければいけないと思う。そういう意味でも、現代人がジブリ作品を視聴しておくことに、大きな意義を感じる。

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