黒き英雄ゼクロムと白き英雄レシラムの感想【どっちを見ればいい?】

黒き英雄 ゼクロム・白き英雄 レシラム

今回は『劇場版ポケットモンスター ベストウイッシュ ビクティニと黒き英雄 ゼクロム・白き英雄 レシラム(以下、黒き英雄白き英雄)』について語っていく。

劇場版第14作目となる『黒き英雄白き英雄』は2011年に上映されたポケモン映画だ。当初は『ビクティニと黒き英雄 ゼクロム』のみ発表されていたが、後日、『ビクティニと白き英雄 レシラム』が同時上映されることが発表された。

アニメ制作はProduction I.G、ZEBEC、OLMが担当した。

目次

『黒き英雄ゼクロム』と『白き英雄レシラム』の違い

『黒き英雄ゼクロム』と『白き英雄レシラム』の違いは、ザッと以下の通りだ。

  • 『黒き英雄』ではゼクロムが、『白き英雄』ではレシラムがサトシの味方につく
  • 『黒き英雄』はサザンドラ、『白き英雄』ではゴルーグが色違い
  • 『黒き英雄』と『白き英雄』で登場ポケモンが違う
  • 一部のBGMが違う
  • 主題歌が違う
  • 冒頭シーンの舞台が『黒き英雄』が荒野、『白き英雄』が氷原
  • 一部のセリフが違う

それでどちらかだけ視聴するのであれば『白き英雄レシラム』をおすすめする。ゼクロムは理想を司るポケモンでレシラムは真実を司るポケモンだとされているけれど、『白き英雄レシラム』の方が、ストーリーの辻褄が合っているからだ。

また、サザンドラとゴルーグだと、ゴルーグの方が活躍の機会が多い。ということで色違いのゴルーグをたくさん見られる『白き英雄レシラム』をおすすめする。

『黒き英雄白き英雄』の評価

※ネタバレ注意!

作画80点
世界観・設定60点
ストーリー68点
演出65点
キャラ70点
音楽70点
※個人的な評価です

作画

作画のクオリティはまずまず。ただ、2011年というと個性的なアニメ作品が増え始めた時期でもある。『まどマギ』とか『Fate/Zero』とか。それらの作品に比べると、作画の迫力が微妙かも。

世界観・設定

作品の世界観を語る前に、まず2作品同時上映に問題がある。それぞれの作品でストーリーが大きく変わってくるならまだしも、そういうわけでもない。また、2作品同時視聴だから得られる体験があるわけでもない。たしかに話題性は抜群だけれど、”作品の質”という意味ではよろしくないだろう。

さて、作品の世界観だけれど、普通に良かったのではないかと思う。フランスのエズを舞台にしたオシャレな街並みが表現されている。冒頭の祭の盛り上がりを高めれていれば、もっと良かった。

ストーリー

これまでとは少し違うストーリーだった。伝説のポケモンを完全に味方につけるのは『ルギア爆誕』ぶりな気がする。それになんといっても敵役の描き方が明確に違う。これまでの敵役は、わりと完全に悪に染まっていた。だが、本作のドレッドは善意がベースになっている。善意が暴走してしまう様を描いたのは、おそらく本作が初めてだ。

演出

本作はこれまで以上に矛盾点が多かった。特に終盤でサトシが凍えるシーン。まずあれだけの高度だと、まず低酸素症に陥るはずだ。そしてドレッドも同じ高度にいたにもかかわらず、というかドレッドは空から一回落ちているのだけれど、全然平気そう。

僕は、リアリティの欠如はほとんど気にしないタイプだ。だが流石に今回のサトシが凍えるシーンは、ちょっとなんだかなぁという感じではある。

キャラ

本作のメインのゲストキャラには、高橋秀樹、谷原章介、石原さとみ、大地真央などの有名な俳優が声を務めたけれど、違和感がほとんどなかった。あとビクティニが可愛かった。これは水樹奈々らしい。納得。

一応『ベストウイッシュ』の初めてのポケモン映画ということで、『ポケモンBW』のポケモンが数多く登場している。

音楽

音楽は特に印象に残っていない。主題歌はELTが担当したようだけれど、流石に時代がちょっと遅いかなぁという感じもする。でもたしかに2011年頃って、若手アーティストが全体的に育っていなかった時期だったかも。

『黒き英雄白き英雄』の感想

※ネタバレ注意!

善意の暴走は恐ろしい

やっぱり本作の最大の特徴は”善意の暴走”にある。一応、ポケモン映画は、人間の悪意や愚かさがテーマになっていると僕は考えている。特に前作『幻影の覇者ゾロアーク』のコーダイは、救いようのないぐらいの悪だった。

しかし実際のところ、本物の悪なんて中々存在しない。大抵の場合は、自らの行動が正義だと思っていて、それが結果的に悪に発展するのだ。

それでいくとこれまでのポケモン映画の敵役は、明確な悪がほとんどで、善意が暴走するケースがほとんどなかった。そして本作のドレッドで、ようやく、善意が暴走するケースが描かれる。この”善意の暴走”の厄介なところは、自分のために行動しているわけではなく、本当に他人のために行動を実践している点にあるだろう。

ドレッドに関して言えば、大地の民や、母の夢のために尽力していた。自分だけの利益のために行動を起こしていたわけではないのだ。

実際に僕も、善意が返って迷惑になるシチュエーションを何度も見ている。いや、僕自身がそういうことをやってしまっている可能性もある。善意は時として、損害を生み出す。だから人間社会って難しいのだけれど、それがまた楽しいのだから、しょうがないものだ。

物語が年々薄くなっている

善意の暴走を描いたシーンはそれなりに考えさせられた。とはいえ、やはり物語自体は年々薄くなっていると思う。多分その始まりは『セレビィ時を超えた遭遇』だ。この作品をきっかけに、感動テイストが非常に強くなった。

たしかに『水の都の護神』『七夜の願い星ジラーチ』は、その感動テイストが良い方向に働いていただろう。だがそれ以降の感動は、どちらかと言えば悪い方向に働いているような気がしてならない。「とりあえず最後は感動で」みたいな印象を、僕は抱いてしまう。

多分、ラストがそれなりに秀逸だったのは『裂空の訪問者デオキシス』ぐらいなのではないだろうか。それか、久しぶりにロケット団が締めた『幻影の覇者ゾロアーク』だろうか。

もし今後も、同じような感動テイストが続いていくとなると、正直「ポケモン映画は年々劣化している」と評価せざるを得なくなってしまう。

さいごに

僕は最初『白き英雄レシラム』を視聴して、1日空けて『黒き英雄ゼクロム』を視聴した。だがストーリーがほとんど同じで、しかも特別刺激的な作品というわけではなかったので、試しに倍速視聴で『黒き英雄ゼクロム』を視聴してみた。これが僕の人生初の倍速視聴だ。

でもやはり、アニメ作品は倍速視聴すべきではないと思う。たしかにストーリーの流れだけなら高速で理解できるが、キャラの心情描写がわからないし、僕自身が考える時間もなくなってしまう。

ということで僕は今後も、通常速度でアニメを視聴していこうと思う。

この記事をシェア
目次