【屋根裏のラジャー感想】キャラクターの質感加工は新しい表現?

屋根裏のラジャー

今回は『屋根裏のラジャー』について解説していく。

『屋根裏のラジャー』は劇場アニメ作品で、2023年12月に公開。児童文学『The Imaginary』が原作だ。

アニメ制作はスタジオポノックが担当している。

ちなみに僕は『屋根裏のラジャー』をIMAXで視聴した。

目次

『屋根裏のラジャー』の評価

※ネタバレ注意!

作画93点
世界観・設定80点
ストーリー80点
演出83点
キャラ80点
音楽80点
※個人的な評価です

作画

『屋根裏のラジャー』の最大の強みは作画だ。スタジオジブリで中心的人物として活躍したクリエイターが多数参加しており、それでいてかなりのリソースが投下されているため、非常に質の高い作画となっている。ところどころでジブリらしさも感じる。また、フランスのデジタルクリエイターが参加しているらしく、これにより、従来の手描きアニメーションではできなかった質感表現が可能になっている。たしかに『屋根裏のラジャー』のキャラクターは、まるで絵本の世界のような質感だった。

世界観・設定

少年少女の想像によって生まれたイマジナリーフレンドをテーマにした作品。”想像”とか”現実”とかがテーマになっていて、これを児童文学的な視点でアニメにした事例はそこまで多くないと思う。とはいえ「斬新な世界観!」というわけでもない。

ストーリー

ストーリーは、まあ普通におもしろかったけれど、良くも悪くも刺激的ではない。

演出

アニメーション表現における演出は、かなり良かった。一方で、視聴者の感情を揺さぶる面での演出は、正直何とも言えない。あえて視聴者の感情を揺さぶりすぎないようにしているのか、それとも純粋に演出が微妙だったのか。でもあの感じだと、多分、普通に「演出が現代的じゃなかった」という可能性の方が高そうだ。

キャラ

キャラクターはジブリらしさを感じる。少年少女は真っ直ぐな目をしていて、悪い奴は、やっぱり悪い雰囲気があって、すぐ印象づけられた。また、非人間のイマジナリーフレンドも、かなり丁寧にデザインされているのがわかる。

音楽

主題歌はガッツリ洋楽アーティストを起用していて、日本国内ではなく、あくまでもグローバルが前提であることがよくわかる。実際、主題歌はかなり良かった。劇伴も作品の雰囲気を引き立てられたと思うけれど、一方で、インパクトには欠ける。それこそ久石譲のような印象的なメロディーは皆無に近い。

『屋根裏のラジャー』の感想

※ネタバレ注意!

キャラクターの質感加工は新しいアニメ表現なのか?

まずあらかじめ、ここから述べることはあくまでも”私見”であることを述べておく。

個人的に『屋根裏のラジャー』は、全く心に響かなかった。

おそらく『屋根裏のラジャー』の最大の魅力は、アニメーション表現にあると思われる。実際、本作は2022年に公開予定だったものが「アニメ表現を追求するため」に、2023年12月に延期された。では、その肝心の”アニメ表現”とは一体何かというと、キャラクターの質感加工である。Wikipediaや他社メディアの報道によると「フランスのアニメーターが用いている手法を活用することで、キャラクターの質感を加工し、新しいアニメーション表現を作り出そうとした」ということなのだそうだ。

たしかに『屋根裏のラジャー』に登場するキャラクターの質感は、非常に印象的だった。しかし、これが「新しいアニメーション表現」かと言われると、それはちょっと「?」である。なぜなら『無職転生』が登場したのをきっかけに、現代アニメにおいてキャラクターの質感加工が当たり前になってしまったからだ。もちろん『無職転生』と『屋根裏のラジャー』を比べると、どう考えても『屋根裏のラジャー』の質感加工の方が、クオリティが高い。だが『無職転生』が2021年の時点で、質感加工をそれなりの形にしてしまったため、質感加工が「新しいアニメ表現」ではなくなってしまったのだ。

もっと言えば『THE FIRST SLAM DUNK』の登場により、テクスチャーをとことんこだわることで手描きアニメに近づけるセルルック3DCGが、既に世間で認知されてしまった。その状況の中でスタジオポノックの質感加工が新しいアニメ表現だと言われても、ちょっとピンとこない。

スタジオポノックの前作『メアリと魔女の花』が2017年公開で、その時点で『屋根裏のラジャー』における質感表現のアイデアがあったと思うけど、その時点であればたしかに「新しいアニメ表現」だったと思う。しかし、そこからあまりにも時間がかかりすぎた。そもそもの予定が2022年で、その上で1年延期してしまっている。

この質感表現は、当然のことながらコンピュータを用いたものであり、そしてコンピュータは1年という時間だけでも、凄まじいほどの進化を遂げる。そのため、アニメーション表現におけるデジタル技術は、陳腐化しやすい現状がある。実際『無職転生』で質感加工の可能性がアニメ界に浸透した途端、質感加工を取り入れた作品が多数登場した。その典型例が『葬送のフリーレン』である。

色々とタイミングが悪かった

僕が『屋根裏のラジャー』が全く心に響かなかった理由として、色々とタイミングが悪かったことが挙げられる。

まず『屋根裏のラジャー』は、スケジュールが延期したことで、2023年12月にズレた。当初は2022年夏予定だったということだけれど、実は2022年夏は、割と穴場だったのではないかと思う。たしかに『ONE PIECE FILM RED』と被りはするのだけれど、客層が異なることから、そこまで問題がなかったと考えられる。だが2023年12月に関しては、客層がモロ被りすると思われる『窓ぎわのトットちゃん』がひと足先に公開されてしまった。それに加えて、12月下旬には、これまた客層がモロ被りすると思われる『劇場版SPY×FAMILY』も公開予定。この2つのタイトルに比べてしまうと『屋根裏のラジャー』はちょっと弱い。実際、僕が公開1周目のIMAXに訪れた際の客足は、かなり微妙だった。体感としては『窓ぎわのトットちゃん』の5分の1ぐらいという感じ。

また、僕の個人的なタイミングとしては『屋根裏のラジャー』を視聴する半年ぐらい前から”想像”とか”現実”とか”目に見えないもの”をテーマにしたアニメを視聴するようになっていたのが問題だった。『屋根裏のラジャー』を視聴する前の時点で、既に”想像”とか”目に見えないもの”をテーマにした素晴らしいアニメ作品をたくさん視聴していたので、『屋根裏のラジャー』のメッセージ性に対して、個人的に「あぁ、それか」という感情を抱いてしまったのである。

『屋根裏のラジャー』から得られるものってなんなのだろう?

ここまで『屋根裏のラジャー』の感想をかなり批判的に述べてしまったけれど、とはいえ、クオリティが非常に高いのは間違いなく、それでいて色々と考えさせられる作品だったと思う。

先ほども述べた通り、僕は『屋根裏のラジャー』を視聴する前から”想像”とか”目に見えないもの”をテーマにしたアニメを視聴していて、その辺の設定はそれなりには理解できているつもりではある。問題は『屋根裏のラジャー』が何を伝えようとしているかだ。『屋根裏のラジャー』は、子どもたちの想像力をイマジナリーフレンドという形で表現しているけれど、その一方で、大人になるとその想像力が失われることが、かなり強く描写されているように思う。

これは「子どもたちの想像力をもっと広く受け入れよう!」というメッセージを親世代に伝えているのか、それとも「大人になると現実主義になってしまうんだよ」というメッセージをキッズ世代に伝えているのか。いや、もはやそんなメッセージ性は存在せず、純粋に視聴者の感情を揺さぶるエンタメ作品として制作されたのだろうか。この辺の部分が、個人的に、いまいちピンときていない。多分、人によって受け取り方がかなり異なる作品だと思う。

ただ少なくとも『屋根裏のラジャー』が2020年代に登場した背景として、”現実”と”幻想”が社会システムの中でごちゃごちゃになっているのは間違いないと思う。現在、大人の幼稚化が絶賛進行中で、多くの大人がアニメという”幻想”を信じるようになり、もちろんアニメ大好きな僕(23歳)も、アニメにハマっている以上、まだまだ子どもなのだと思う。幻想には、人を強く惹きつける凄まじい魔力が宿っている。一方で、”未来”や”感情のような”目に見えないもの”を信じる力も必要なわけで、この辺が非常にカオスになっており、人々を大いに悩ませている現状がある。

そういった視点で見ると、やはり『屋根裏のラジャー』が伝えようとしているメッセージは、極論を言えば「大人になると現実主義になってしまうんだよ」ということなのかもしれない。ただし、これがキッズ世代だけでなく、絶賛幼稚化中の大人もターゲットであるということが重要だ。

僕なりに”イマジナリー”との向き合い方には1つの結論を出していて、それは、現実から逃げる形で”イマジナリー”にハマるのではなく「現実をより良いものにするために”イマジナリー”を活用する」ということだ。だから、”現実”と”想像”のバランスポイントを、自分なりの見つける必要があるのだと思う。『屋根裏のラジャー』で言えば、アマンダほど想像にハマるのは良くないけれど、その一方で当初のリジーのように現実世界に縛られるのも良くない。ラストのリジーのように、現実と想像がほどよくミックスされた状態が、最適解なのではないかと思う。

さいごに

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