【攻殻機動隊S.A.C.感想】個性を獲得する術は好奇心にあり

STAND ALONE COMPLEX

今回は『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX(以下、攻殻機動隊S.A.C.)』について語っていく。

『攻殻機動隊』は士郎正宗による漫画が原作だ。1995年に押井守監督による『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』が公開されたが、『攻殻機動隊S.A.C.』とは完全なパラレルワールド作品で、時系列的な繋がりはない。

『攻殻機動隊S.A.C.』は2002年10月から2003年11月までPPV形式で配信された。アニメ制作はProduction I.Gが担当している。

目次

『攻殻機動隊S.A.C.』の評価

※ネタバレ注意!

作画92点
世界観・設定92点
ストーリー90点
演出87点
キャラ85点
音楽88点
※個人的な評価です

作画

2002年制作のTVアニメとしては、作画のクオリティはかなり高い。各話によってキャラデザに違いがあるけど、それもまあ味になっている。

戦闘シーンのクオリティが高いし、3DCGもかなり自然なものになっている。かと言って『AKIRA』のようにヌルヌル動くわけではなく、リミテッドアニメーションの中で上手く動きを作っているのだと思う。

世界観・設定

押井守版の『GHOST IN THE SHELL』や『イノセンス』とは雰囲気がかなり異なる。『攻殻機動隊S.A.C.』の方が、断然ポップだ。

また、取り扱っているテーマも異なる。『GHOST IN THE SHELL』では、人工知能と電脳が当たり前になった時代における”人間の定義”がテーマだったけれど、『攻殻機動隊S.A.C.』では”個性の獲得”がテーマになっているように思える。

ストーリー

SF作品というよりは、刑事モノの印象がかなり強くなっている。イメージとしては『PSYCHO-PASS』みたいな感じ。ということで、非常に大衆向けな、続きが気になるストーリーになっている。押井守版の『攻殻機動隊』は他人にあまりおすすめできないけど、『攻殻機動隊S.A.C.』であれば、誰にでもおすすめできそうだ。

また、『攻殻機動隊S.A.C.』のメインエピソードは”笑い男事件”だが、それとは別に、1話完結型のエピソードもいくつか描かれている。この構成が個人的にはかなり好きだった。

演出

先ほども述べた通り、『攻殻機動隊S.A.C.』では1話完結型エピソードと”笑い男事件”に繋がるエピソードの2種類に分かれている。そして”笑い男事件”では、思わぬところから事件に繋がることがあって、その演出が中々良かった。

押井守の『イノセンス』ほどじゃないけど、アニメーションというメディアを活かした視覚的演出も多用されていて、良い意味で肝を冷やせた(日本語あってる?)。

キャラ

押井守版に比べると、キャラは遥かに『攻殻機動隊S.A.C.』の方が明るくて万人ウケする。押井守版は、マジで怖いんです……。

『攻殻機動隊S.A.C.』の方が、草薙素子が人間らしいし、バトーが熱いし、トグサも荒巻もメインキャラだ。”公安9課”という組織が、かなり強調されているように思う。

音楽

音楽は菅野よう子が担当。初めてOPを聴いた時は「ふーん……まあ良い曲だな」という感想だったけれど、クライマックスでの使い方とかがハイセンスで、ところどころでかなり印象的な劇伴を見せてくれた。これは海外ウケするわ。

『攻殻機動隊S.A.C.』の感想

※ネタバレ注意!

タチコマと笑い男

『攻殻機動隊S.A.C.』で鍵を握っていたのはタチコマだった。タチコマは人工知能が搭載された多脚戦車で、公安9課の主力として用いられている。見た目はかなり物騒だが、声がめちゃくちゃ可愛くて、なんだか不思議なキャラ(武器?)だった。

そんなタチコマは、全部で9体存在していて、それぞれで人工頭脳が搭載されているが、クラウドで記憶は全て共有されている。だから普通に考えると、それぞれのタチコマで個性が生まれることはない。……と思っていたが、タチコマは正真正銘の”個性”を獲得し、これに危機感のようなものを覚えた草薙素子が、タチコマを公安9課から外す決定を下した。

一方で、”笑い男事件”では、複数の模倣犯が登場した点で、非常に奇妙な事件となった。本物の”笑い男”はアオイという人物(ただし厳密には本物じゃない)で、アオイがもたらした劇場的かつドラマチックな事件が、多くの人の心を動かし、結果として複数の模倣犯が登場したのである。

本作のタイトルにある『STAND ALONE COMPLEX』は、ヒトは本来自分の意思(STAND ALONE)を持っているはずなのに、全体(COMPLEX)として行動してしまう現象を指している。これは、電脳化により人間とインターネットが融合し始めたことで起こる現象であり、実際、SNSでも似たような現象は起こっている。

ここで重要なのは「個性とは何か?」というテーマである。もし仮に、人間とインターネットが完全に融合してしまったときに、つまり人間の脳がクラウドに接続されるようになったとき、僕たちは個性を維持できるのだろうか。記憶もスキルも能力も共有され、そして体を取っ替えることができる時代で、僕たちは本当に個性を維持できるのか。あの草薙素子ですら、どうやらこのテーマに本能的に恐怖していたようで、女性用の腕時計をちゃんと身につけていた。

しかし、どうやら不安にならなくていいようである。『攻殻機動隊S.A.C.』では、”人間とインターネットが完全に融合しても個性を維持できる”と結論づけたからだ。その象徴的な例がタチコマだった。知的好奇心さえあれば、ある一定の領域に興味を持てるようになるために、個性を新しく獲得できるのである。

好奇心を取り戻せ!

現代社会は”個性”とか”オンリーワン”が重要だとよく言われるが『攻殻機動隊S.A.C.』を視聴していると、それがよくわかる。インターネットが普及している社会は情報がオープンになるし、それを元に人工知能が作られるので”何でもできるロボット”が誕生する。なんなら”笑い男”のように、本来であれば独立した”個”であるはずの人間が、まるで社会全体のように振る舞うことすらある。

そして、自分の個性について深く考えることは、とても大切なことだと僕は思う。多分、個性を失ってしまうと、ヒトは不安になってしまうのだ。「私は本当に生きる価値があるのか?」とか「何で生きていけばいいんだろう?」みたいな感じ。

でもこんな問題も、好奇心さえあれば全て解決する(かもしれない)。知的好奇心を働かせて、一定の領域に強い興味を持てるようになれば、その瞬間から”個性”が誕生するのだ。宇宙に興味を持って研究しまくってもいいだろうし、アニメにハマってアニメを見まくってもいいだろう。同じ医学でも、老化研究にフォーカスするのか、量子医療にフォーカスするのかでも、全く異なってくる。このように「ある一定の領域に対してハマる」という感覚を掴むことができれば、それが個性に繋がる。

一般的に、人工知能にはモチベーションが存在しないと言われている。人工知能は驚異的なスピードで仕事を進めることができるが「これをやりたい!」という衝動が存在しないのだ。だからこそ、モチベーションを働かせることが、これからの時代を生きる鍵になる。

これも一般論だが、幼稚園児ぐらいまでは知的好奇心がかなり活発に働いていると言われている。だが、大人になるにつれて好奇心は薄らぎ、中には「何もやる気にならない」という廃人が生まれることも珍しくない。大抵の場合、廃人は、ドーパミンを強く放出させる依存性のある”何か”にハマっていることが多く、これがモチベーションを奪っている。これまでの社会では、その”何か”がお酒、クスリ、セックス、ギャンブルだったのだが、どれも身体的及び社会的なダメージが大きいことから、人々から敬遠されてきた。だが、現代社会で”副作用が一切ない(とされる)麻薬”が登場することになる。SNSだ。

SNSは身体的にも社会的にもダメージがほとんどなく、それどころか金銭的なダメージもほとんどない。だが、その代わりにモチベーションを奪う。

SNSやインターネットは、高いモチベーションを備えている人にとっては最高のツールである。SNSとインターネットさえあれば、情報も取り放題だし、面白い人に出会える確率も高まるからだ。だが同時に、SNSとインターネットは人々のモチベーションを奪う。この矛盾が、現代人を酷く混乱させているのではないだろうか。

個人的な意見として、僕はSNSやインターネットから距離を置いた方がいいと思う。SNSとインターネットから距離を取れば、確実にモチベーションを取り戻せる上、デジタルに頼らなくても、現実世界には魅力的な場所や人が溢れている。

そういえば『攻殻機動隊S.A.C.』では『ライ麦畑でつかまえて』から引用された以下のセリフが印象的だった。

僕は耳と目を閉じ、口を噤んだ人間になろうと考えた

『ライ麦畑でつかまえて』より引用

『攻殻機動隊S.A.C.』では、この後ろに「だがならざるべきか?(or Shoudl I ?)」というフレーズが付与される。

僕は『ライ麦畑でつかまえて』を読んだことがないから、このフレーズの真意がわからないけれど、僕はこのフレーズを「モチベーションを獲得するための手段」と解釈した。耳と目を閉じそして口も噤むことで、外部からの一切の情報を遮断し、かつ自分が抱いている考えをあえて外に出さないことで、自分の内に秘めたモチベーションを醸成させるのである。

「だがならざるべきか?」というフレーズは、純粋にアオイの葛藤によって生まれたものであれが、でもこれは「耳と目を閉じ、口を噤んだ」結果によって生まれた新たな動機なのではないだろうか。

アオイも草薙素子も、悩みに悩んだ末に「好奇心」という答えに1つの可能性を見出している点から、ある程度の説得力があるんじゃないかなぁと思う。

荒巻式マネジメント手法

“個性”が強調されていた『攻殻機動隊S.A.C.』だが、それで言えば公安9課はまさに個性の塊とも言える組織である。そんな組織をマネジメントする立場にある荒巻課長は一体どのような考えのもと、9課をまとめているのだろうか。

我々の間には、チームプレーなどという都合のよい言い訳は存在せん。有るとすればスタンドプレーから生じる、チームワークだけだ

『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』より引用

個人と社会の関係がインターネットと電脳化を通じて描かれている本作において、以上の荒巻のセリフは、”マネジメント”という枠組みを超越した意味を持つと僕は考えている。

ちょっと暴論かもしれないが、要するにこのセリフは「個人>社会」を示している。「社会>個人」という都合のよい言い訳は存在しないのだ。

公安9課は「スタンドプレーから生じるチームワーク」があるから、最後の場面で、各々の意思を持って、公安9課を復活させることができたのだと思う。

余談だが、草薙素子とアオイが図書館でペダンチックな会話をしていた際に、荒巻が「さっきから聞いていたが、外部記憶装置なしにはさっぱりついていけん会話だな」って言ってたのが妙に印象的だった。笑

さいごに

最初に押井守版を視聴した僕からすると『攻殻機動隊S.A.C.』は明るすぎたけど、そんなポップな雰囲気にも次第に慣れて、どんどん続きが気になっていた僕がいた。

『攻殻機動隊S.A.C.』のTVアニメもサクッと見ちゃいたいと思う。

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