【攻殻機動隊S.A.C2nd感想】ラストのタチコマは感動

S.A.C.2ndGIG

今回は『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG(以下、攻殻機動隊S.A.C.2nd)』について語っていく。

『攻殻機動隊』は士郎正宗による漫画が原作で、1995年に押井守監督の『GHOST IN THE SHELL』が公開。2002年に『攻殻機動隊S.A.C.』が放送され、2004年に『攻殻機動隊S.A.C.2nd』が放送される。

アニメ制作はProduction I.Gが担当した。

目次

『攻殻機動隊S.A.C.2nd』の評価

※ネタバレ注意!

作画92点
世界観・設定92点
ストーリー90点
演出90点
キャラ88点
音楽90点
※個人的な評価です

作画

あらためて『攻殻機動隊』を視聴してみると、タチコマの3DCGのクオリティが異常に高い。そもそも3DCGって感じがしない。『イノセンス』もそうだったけれど『攻殻機動隊』は全体を通してセルルック3DCGの技術力が高いと思う。

それと『攻殻機動隊S.A.C.2nd』は、前作に比べて、キャラクターデザインにブレがあるように思う。でも、それは決して嫌なものではなくて、何とも言えない味わいがある。思い出補正かもだけど。

世界観・設定

前作の『攻殻機動隊S.A.C.』に比べて、明らかにグローバルが意識されている。『攻殻機動隊S.A.C.2nd』は9.11後に戦争が起こった前提になっていて、日本は難民を受け入れている。が、難民との緊張が激化して……みたいなのが『攻殻機動隊S.A.C.2nd』のテーマだ。

また、超情報化社会における”社会と個人の関係性”もテーマになっていた。政府の言いなりになる公安9課とか、劣等感を感じていた内庁の合田とか、社会と個人の関係性をひっくり返そうとするクゼとか。現在は「インターネットが普及することで個人の時代が到来する」と言われていて、そういう意味でも、非常に意義のあるテーマになっていると思う。

ストーリー

前作の『攻殻機動隊S.A.C.』に比べると、ストーリーはかなり複雑になっている。我々が生きている現代の国際社会と同様に、『攻殻機動隊S.A.C.2nd』も非常に複雑な利害関係が描かれているためだ。

とはいえ、基本的には1話完結型で、テンポ感は抜群だ。現代のアニメファンでも非常に楽しみやすいストーリー構成になっていると感じる。

演出

『攻殻機動隊S.A.C.』に比べて、音楽を活用した演出が多かったように思える。菅野よう子の素晴らしい楽曲に合わせて、ダイナミックなストーリー展開が続いていく。特に、終盤で公安9課がヘリで出島に向かうシーンの演出は鳥肌がたった。それと、タチコマの『手のひらを太陽に』もすごくいいシーンだった……。

あと、押井守版の映画作品のオマージュと思われる演出も見受けられたのが印象的。素子がロープを使って摩天楼に消えていくシーンとか。

キャラ

素子やバトーだけでなく、公安9課の他メンバーが深掘りされていたのが印象的だった。逆に、笑い男事件で大活躍したトグサは少し抑えめ。

それと、なんだかんだでタチコマがすごくいいキャラをしている。『攻殻機動隊』が好きな人は、多分みんな、タチコマが好きだと思う。

音楽

菅野よう子のポテンシャルが爆発してる。メロディーだけで鳥肌が立つからすごい。OPの『rise』はめちゃくちゃカッコいいし、EDの『living inside the shell』も良かった。

『攻殻機動隊S.A.C.2nd』の感想

※ネタバレ注意!

“社会と個人の関係性”がテーマ

前作『攻殻機動隊S.A.C.』では、笑い男事件を通して”STAND ALONE COMPLEX”という現象が描かれた。”STAND ALONE COMPLEX”は「すべての情報は、共有し並列化した時点で単一性を消失する」ということで、つまるところ、インターネットによって情報が平準化することにより、人々の個性が失われるのではないか、というものである。『攻殻機動隊S.A.C.』では、人間とインターネットが融合することで「人々の個性が失われるのではないか」という問題提起がなされ、それに対して草薙素子は、タチコマが個性を獲得する姿を見て「好奇心が打開策の一つなのではないか」という結論に至った。

一方の『攻殻機動隊S.A.C.2nd』では、”STAND ALONE COMPLEX”を踏襲しつつ、社会と個人の関係性について描かれた。仮にインターネットによって人々の個性が失われた場合、それらの人々は1つの思想に集合し、それが社会と同じ規模になるのではないか。その結果、人々の集合体(インターネット)がリアルの社会を上回る逆転現象が起こるのではないか。というのが『攻殻機動隊S.A.C.2nd』のテーマだったと思う。

クゼがやろうとした”革命”とは?

『攻殻機動隊S.A.C.2nd』の終盤で、以下のフレーズが度々登場した。

水は低きに流れ、人もまた低きに流れる。

『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』より引用

クゼは、難民問題の根幹は”難民の無責任さ”にあると考えていた。人は低きに流れてしまうから、何かしらの不満を抱えていても、実際に行動に移すことはなく、ただただ低い状態を維持し続ける。それで鬱憤が溜まるけど、どうしようもない、みたいな。しかも難民(弱き者)は、自分の都合のいい情報しか入手しない。

自分では何も生み出すことなく、何も理解していないのに、自分にとって都合のいい情報を見つけると、いち早くそれを取り込み、踊らされてしまう集団

『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』より引用

結局のところ、難民問題が一向に解決しないのは、極論を言えば、難民の努力が不足しているということなのである。

そこでクゼは、自身の秘められたカリスマ性を活かして、弱き難民を、自身とネット接続することで、社会よりも上の存在になろうとした。だがクゼは、その具体的なアプローチにまで至っていなかった。でもこれはおそらく、押井守監督の『GHOST IN THE SHELL』のラスト。つまり草薙素子がインターネットと完全に融合して神のような存在に移行するアプローチのことを指しているのだと思う。事実、本作における草薙素子も、クゼの思想に惹かれ、タチコマにストレージを作るように命令した。

社会とは、基本的に個人の集合体なので、事実上、以下のようなヒエラルキーになる。

社会>個人

だが、インターネットもある意味で個人の集合体だから、そうなってくると以下のようなヒエラルキーになるのではないだろうか?

社会≒インターネット

しかし、人間は”身体”というハードがあるため、どうしてもインターネットに融合することができない。だからゴーストだけ取り出して、それを百万人規模で融合させることができれば、社会と同規模の”何か”になることができるはずである。これがクゼがやろうとした革命の正体だと思う。

現代のインフルエンサービジネスと酷似

現代社会は「個人の時代」と言われているが、個人主義者をテーマにした『攻殻機動隊S.A.C.2nd』でも、個人の時代について深い考察がなされているように思う。

例えばクゼは、事実上のインフルエンサーだ。数百万人規模のフォロワーを獲得し、社会と同じレベルの共同体を作り出すことに成功した。また、合田に関しては、クゼのようなインフルエンサーをプロデュースすることで、成功者になろうとしていたことがわかる。

興味深いのは、クゼのようなインフルエンサーを信仰する人々の行動パターンだ。彼らは、クゼが言うように、何かしらの不満を抱いていても、自分に自信が持てないから、行動に移すことはほとんどない。それでいて、自分の都合のいい情報しか参考にしないし、仮に力を与えられたとしても、それを正しく使うことができない。このように、自分で具体的な生き方を見出せない人々は、インフルエンサーに具体的なものを求めて、心酔するのである。

これを現代社会に置き換えるなら、情報商材、マルチ商法、オンラインサロン、推し活動が挙げられるのではないだろうか。情報商材やマルチ商法に溺れる人は、お金をたくさん稼ぐための具体的なアプローチを求める”楽したがり人間”だ。でも結局、情報商材やマルチ商法で大した方法論は手に入らず、ただただお金を支払うだけ。これは『攻殻機動隊S.A.C.2nd』で描かれた難民の心情に近い部分がある。

『攻殻機動隊S.A.C.2nd』から得られる教訓

個人と社会の関係性とか、個人主義者とか、現代の信者ビジネスに近い匂いを感じるクゼとか、色々なテーマが『攻殻機動隊S.A.C.2nd』で描かれたし、実際に多くのファンが『攻殻機動隊S.A.C.2nd』の世界観やストーリーを考察している。では『攻殻機動隊S.A.C.2nd』から、一体どのような教訓を得られるのだろうか。

前作の『攻殻機動隊S.A.C.』では、個性を半強制的に喪失させてくるネット社会に対抗する1つの手段として「好奇心」が挙げられていた。また、押井守の『イノセンス』では、神や動物や人形などの”上位の存在”を下手に目指すのではなく、「林の中の象のように孤独に歩むこと」が描かれた。このようにして『攻殻機動隊』では、ほぼ全ての作品において、何かしらの答えが示されていると僕は考えている

では『攻殻機動隊S.A.C.2nd』が提示した答えとは何か。それは”強い個人になること”である。

『攻殻機動隊S.A.C2nd』では、終盤でネット接続が難しくなり、公安9課でコミュニケーションが取れない状況になる。その状況を見た石川が、以下のようなセリフを述べる。

課長とも連絡が取れんしな。どうやらここからは、独自の判断で動いていくしかなさそうだな。難民とクゼ、政府と合田、課長や少佐、そして俺たち。最も優秀なスタンドプレーを演じられた者が、この事件の勝敗を左右しそうだな。

『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』より引用

このセリフに、『攻殻機動隊S.A.C2nd』から得られる教訓が全て詰まっているように思える。

つまり”強い個人”とは、状況に応じて適切な判断ができる個人のことを指す。そしてそれは終盤の出島のように、インターネットに接続しなくても、という条件付きだ。インターネットに接続できないということは、誰か(課長)の指示を聞くことができないし、誰か(クゼ)の思想に頼ることもできない。素子が言うような「ゴーストの囁き(直感)」を信じられるかどうかが全てを決める。ここに”強い個人”のヒントがあるのは間違いなさそうだ。

言うまでもなく、今回の出島戦争で優秀なスタンドプレーを演じられたのは、難民でもクゼでも政府でも合田でもなく、公安9課のメンバーだった。草薙素子はプルトニウムを出島に持ち込むという大胆な作戦を持ち出し、バトーは自身の姿を見せる賭けに出て陸自のレンジャー4課の説得に成功。トグサは半ば強引に首相と合流することに成功し、石川は経験豊富な立ち回りでプルトニウムを輸送した。荒巻課長の言うような「スタンドプレーから生じるチームワーク」の典型例である。

そして最も興味深い、というか粋な演出だなと思ったのが、最も優秀なスタンドプレーを演じられたのがタチコマだったということである。少佐の命令を完全無視して、衛星を核ミサイルにぶつけるという素晴らしい判断を下したのだ。しかも、タチコマの本体が格納されている衛星をぶつけるんだから、たまったもんじゃない。タチコマには、間違いなくゴーストが宿っている。個性を獲得する方法が「好奇心」で、その結果、新たにゴーストを獲得できることを、作中でタチコマは証明してみせた。ここから得られる教訓って、めちゃくちゃ大事なことなんじゃないかなぁと思う。

さいごに

とりあえず早急に『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society』を視聴したいと思う。

現在、僕は500作品以上のアニメを見ているらしいけれど、その中でも『攻殻機動隊』は、僕の人生に最も大きな影響を与える作品の一つになっている。世界中のSFファンが『攻殻機動隊』を深く愛する理由が、よく理解できた。

ハイペースで『攻殻機動隊』を視聴していきたいと思う。

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