今回は『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society(以下、攻殻機動隊S.A.C.SSS)』について語っていく。
『攻殻機動隊』は士郎正宗の漫画が原作で、2002年に『攻殻機動隊S.A.C.』、2004年に『攻殻機動隊S.A.C.2nd』が放送され、2006年に『攻殻機動隊S.A.C.SSS』も放送された。アニメ制作はProduction I.Gが担当している。
『攻殻機動隊S.A.C.SSS』の評価
※ネタバレ注意!
作画 | 89点 |
世界観・設定 | 90点 |
ストーリー | 90点 |
演出 | 88点 |
キャラ | 88点 |
音楽 | 86点 |
作画
作画のクオリティは相変わらず高い。また、前作に比べてカメラワークのレパートリーが増えている印象がある。冒頭の、高層ビルの屋上に立つ少佐をグルリと回すシーンとか。
一方で、フレームレートのバグというか、動きのカクツキが目立つシーンも見受けられた。純粋にタイムシートとか撮影でミスが出たのだろうか?
世界観・設定
『攻殻機動隊S.A.C.SSS』は、日本の少子高齢化問題がテーマになっている。”貴腐老人”なんてワードが出ているけど、我々の世界における終末期医療も一種の”貴腐老人”であり、”遺産回収システム”でもある。本作からは、それなりに教訓が得られる。
ストーリー
Wikipediaによると、当初は劇場用に制作されていたとのことで、尺は劇場版1本分のボリューム。構成が優れている上に、視聴者を引き込んでいくシナリオになっていることから、ストーリーはとてもわかりやすい。一方で、TVアニメ版に比べると、やや曖昧な結末になっているのもポイントだ。
演出
トグサが団地で高齢者に怖い目で見つめられるシーンなど、印象的な演出が多数あった。そしてあらためて『攻殻機動隊S.A.C.』は、会話のテンポ感が非常に優れていると思う。会話にどんどん引き込まれていく……。
キャラ
公安9課から少佐が脱退し、代わりにトグサが現場リーダーを務めるようになっていて、バトー目線で物語が進むことが多かった。ということで、雰囲気的には『イノセンス』に極めて近い。だが、『イノセンス』のバトーのように、少佐も”悩める子羊”の1人として、様々な葛藤を抱えていたのが『攻殻機動隊S.A.C.SSS』の特徴だ。
音楽
菅野よう子の音楽は、相変わらず素晴らしい。劇伴から逸脱しない範囲で、アレンジを入れてくる。
『攻殻機動隊S.A.C.SSS』の感想
※ネタバレ注意!
傀儡廻の正体は、少佐ってことでいいよね?
そもそも『攻殻機動隊S.A.C.』という作品は、原作漫画や押井守版に登場する”人形遣い”が存在しないパラレルワールドとして制作された経緯がある。”人形遣い”が登場しないため、少佐が上位の存在になることはなく、少佐も1人の人間として、大いに悩んでいるのが『攻殻機動隊S.A.C.』の特徴だ。
一方で『攻殻機動隊S.A.C.SSS』では、”人形遣い”に非常によく似ている”傀儡廻”という超ウィザード級ハッカーが登場する。そしてストーリーが進むにつれ、”傀儡廻”の正体と目的が明らかになるのだけれど、その描き方が、やや曖昧だったように思う。
でもまあ、ほぼ間違いなく「”傀儡廻”の正体は少佐」ということでいいだろう。正確に言うなら、ネットの世界を徘徊していた少佐の残留した意思が集合することで生み出された”もう1人の少佐”だ。これは、傀儡廻と少佐の会話や、ラストのバトーと少佐の寓意を含んだ会話から見るに、ほぼ間違いないと思う。タチコマが”傀儡廻の正体が少佐であること”を、とぼけているのも印象的だ。
ここからは僕なりの深掘りの考察になる。原作漫画や劇場版と異なり、少佐は1人の人間として、迷っていた。一体何に迷っていたかと言うと、”社会問題を解決する”という目的を達成するために、公安9課という組織に所属するか、それとも組織に縛られずに1人で対処するかで、長い時間をかけて悩んでいたのだ。そして先ほども述べた通り、”傀儡廻”はネットを徘徊していた少佐の残留思念が融合したものだけれど、この”ネットを徘徊していた少佐”というのは、”1人で社会問題に対処しようとしていた少佐”だと言える。まあ実際、少佐は1人で活動していたわけだし。
つまり”傀儡廻”は「公安9課という組織に所属するか、それとも組織に縛られずに1人で対処するか」で悩んでいる少佐の中でも、”組織に縛られずに1人で対処する”に非常に偏った少佐だと言える。
「だからなんだ?」という話になるかもしれないが、これは非常に興味深い示唆だ。なぜなら、インターネット上の人格が、実際の人格と異なる場合があることを、示していると言えるからだ。
ネットと現実で人格が全く異なるというのは、よくある話である。だが、ネットの人格は、本来、現実の人格に内包されていたものだ。つまり「ネット上の人格は、現実の人格の中にある”ある一要素”に偏っている可能性が高い」と言うことになる。人々の陽キャな部分だけ切り取るInstagramとか、逆にネガティブな部分だけ切り取るTwitterが、その典型例ということになるだろう。
Solid Stateは一種の”富の再分配”
本作のタイトルにあるSolid Stateは、「親の電脳をハックして子どもを誘拐し、その子どもを電脳化し記憶を消した上で戸籍をロンダリング。貴腐老人の子どもに仕立て上げ、莫大な資産を受け継がせるシステム」であることが発覚した。あらためてみると、とんでもないシステムだ。
倫理観は一旦置いておいて、たしかにこのSolid Stateは、国に大きな利益をもたらすかもしれないシステムだ。まず基本的に、利権の確保とポスト争いに必死な官僚は役に立たない。だから、政府がお金を持っていてもしょうがない。そこで、貴腐老人が抱えている莫大な資産を政府にいかないようにするために、優秀な子どもに相続させるようにする。肝心のその子どもは、虐待を受けている子どもを中心に誘拐することで確保。子どもたちには先進的な教育を施し、パワーエリートとして育て上げ、貴腐老人から相続された資産を正しく使えるようにしておく。たしかにこれであれば、富の再分配を効率よく実施しながら、優秀な日本人を育てることができるのかもしれない。
そう。言ってしまえばSolid Stateとは、一種の富の再分配なのだ。現代の少子高齢化問題&資本主義の加速による二極化を、本気で解決したいのであれば、どのように富の再分配を実施するかが鍵になる。そして富の再分配は、必ずしも政府を通す必要はない。というか現状、政府を通さないほうがいいのかもしれない。富の再分配で政府を通してしまうと、余計なこと(利権&ポスト争い&予算確保)にお金を使ってしまう可能性があるからだ。そこでSolid Stateが生まれた。Solid Stateであれば、政府にお金を通すことはなく、かつ高齢者から若者へお金が流れてくれる。そして若者の教育方法に関しては、傀儡廻が言うように、もう少し柔軟な方法がいいと思う。そう考えると、Solid Stateを主導していた宗位も、所詮は完了だったということなのだろう。
以上のように、倫理観さえ無視すれば、たしかにSolid Stateは、少子高齢化社会を解決できそうなポテンシャルがあったと言える。この強引さは、どこか少佐の面影も感じられるっちゃ感じられる。
まあSolid Stateは倫理観がアレだけど、現実社会でも、もう少し養子制度が普及しても良さそうな気はする。子どものいないお金持ちの老人が、楽に養子を受け入れられるようになれば、もっと効率的な富の再分配が実現できるんじゃないかなぁと思う。
さいごに
次は『攻殻機動隊SAC_2045』だ。フル3DCGということだけれど、個人的にめちゃくちゃ楽しみ。さっそくNetflixで視聴したいと思う。