今回は『攻殻機動隊 SAC_2045 シーズン1(以下、SAC_2045シーズン1)』について語っていく。
『攻殻機動隊』は士郎正宗による漫画が原作で、2002年に『攻殻機動隊S.A.C.』、2004年に『攻殻機動隊S.A.C.2nd』、2006年に『攻殻機動隊S.A.C.SSS』が放送される。
そして2020年4月、Netflix限定で『攻殻機動隊 SAC_2045』のシーズン1が配信された。アニメ制作はProduction I.GとSOLA DIGITAL ARTSが担当している。
『SAC_2045シーズン1』の評価
※ネタバレ注意!
作画 | 90点 |
世界観・設定 | 85点 |
ストーリー | 85点 |
演出 | 80点 |
キャラ | 85点 |
音楽 | 80点 |
作画
『SAC_2045シーズン1』では全編で3DCGが採用されている。Wikipediaによると「前作と同じスタッフを集めることが出来ないため、前作同様の手書きアニメの再現が難しい」のが3DCGを採用した理由だとされている。
3DCGと一口に言っても『SAC_2045シーズン1』はプレイステーションにあるような3DCGで、想像以上にシンプルに描かれていた。最初は違和感を感じたけれど、これが「人形っぽさ」を描いているような気がし始めて、徐々に慣れてきた。何よりも、少佐が普通に可愛くなってる。
世界観・設定
「2020年に配信」ということで、サステナブル、仮想通貨、ドローンなど、様々な現代的な設定が盛り込まれている。
『SAC_2045シーズン1』では全世界同時デフォルトが発生し、世界経済が一度崩壊。そして、世界経済を維持するための「サステナブル・ウォー(持続可能な戦争)」が実施されている世界が描かれている。この辺のアイデアも「流石、攻殻機動隊」という感じである。
ストーリー
Netflix配信ということで、次の展開が気になるストーリー構成となっている。これまでの『S.A.C.シリーズ』は、1話完結型がほとんどだったけれど、『SAC_2045シーズン1』の前半は1つのまとまったエピソードになっていて、ちゃんと「続きが気になる終わり方」になっていた。
とはいえ『S.A.C.シリーズ』は、元々「続きがどんどん気になるおもしろさ」があったので、その点で言えば、そこまで変わってないのかもしれない。
演出
「せっかくの3DCGだから!」ということで、3DCGだからこそできる演出が盛り込まれていた。特にカメラワークを自由自在にできるのは非常に大きく、戦闘シーンは中々ダイナミック。でも流石に『イノセンス』には劣る。
また、ポストヒューマンの機械的な動きも、3DCGだからこそできる演出だと言える。
キャラ
3DCGになったことで、キャラデザは刷新。キャラデザを担当するロシア人イラストレーターのイリヤ・クブシノブは、アニメーションの作画だけでなく、MMORPGのアバターを制作していたキャリアがあり、この点から『SAC_2045シーズン1』のキャラデザに最適な人材だと言える。
やっぱり少佐がめちゃくちゃ可愛く描かれているのが、最大の変化だとは思う。トグサもカッコよくなったし、バトーは髪型が変わった。
そして、キャストの方々の演技力が相変わらずなのが、何よりもすごいと思う。「ザ・実力派」と言う感じだ。
音楽
個人的に『SAC_2045シーズン1』の最大の変化は、音楽だと思う。やっぱり菅野よう子の音楽の方が、個人的には好きだったなぁ。まあ今の音楽も、現代的ですごくいいのだけれど。
『SAC_2045シーズン1』の感想
※ネタバレ注意!
世界経済破綻の世界を楽しく生きる少佐たち
『SAC_2045』では、とあるAIによって世界経済が一度破綻した世界が舞台となっている。世界は計画的かつ持続可能な戦争「サステナブル・ウォー」を実施することで、経済を保つ戦略に出た。が、とあるAIによって世界経済が破綻し、戦争を完全に管理できなくなったことで、世界各国で内戦が勃発。その中で、戦闘能力が飛び抜けて高い少佐たちは、軍事作戦をサクッとこなして、その報酬でお酒やバーベキューを楽しみながらエンジョイしていたのである。
「世界経済が破綻」とか「サステナブル・ウォー」が、はたして現実にも起こり得るかと言われると、流石に現実的ではないのかもしれない。一方で、現代社会が「自己責任の時代」になっているのも事実で、これからは個人の力が必要不可欠になるのは間違いないだろう。この場合、元公安9課メンバーは、何も問題なく生き抜いていくことができるだろう。個人の能力が極めて高いからだ。だから元公安9課メンバーからしたら、サステナブル・ウォーに陥った社会は、むしろ楽園みたいなものなのかもしれない。
これまでの『S.A.C.シリーズ』では、社会や政府との関係性で、公安9課は常に頭を悩ませてきた。が、世界経済破綻によって、社会とか政府がどうでもよくなったので、元公安9課メンバーはお気楽な毎日を送れるようになったのかもしれない。
ポストヒューマンとは何か?
『SAC_2045シーズン1』では、トグサが失踪してしまうところで終了してしまうので、そもそもポストヒューマンがどんな存在なのかわかっていないし、それどころか本作における問題提起みたいなのも、まだ明確に提示されていない状態で終了した。ただ間違いなく、ポストヒューマンが本作において重要な要素だと言える。
そもそも2045年という舞台設定は、シンギュラリティを考慮したものだと思われる。シンギュラリティは技術的特異点のことで、簡単に言えば「人工知能が人間の知能を大幅に凌駕するタイミング」である。一応『S.A.C.シリーズ』の世界では、電脳化、義体、サイボーグなどの概念があるものの、いずれも人間の範疇に留まっている。だが、ポストヒューマンは、これまでの技術とは、”何か”が決定的に異なるようなのである。
ポストヒューマンが一体何なのかはシーズン2で明らかになるだろうから、ここでは考察しない。問題は「そもそもポストヒューマンという存在が、はたして僕たちが住む現代社会でも現れるのか?」ということである。答えはyesだ。
『SAC_2045シーズン1』を視聴して、あらためて感じたのは、電脳化、義体化、サイボーグ化程度で、ポストヒューマンに到達することはできないということだ。僕からしたら、電脳化やサイボーグ化の時点で、既にポストヒューマンのような気がするけれど、『SAC_2045シーズン1』では、少佐やバトーのことを、あくまでも”人間”として描いている。
たしかに電脳化やサイボーグ化は、ポストヒューマンに到達するまでの過程として必要なのだろう。でも、人間を脱するためには、また1つ上の次元に突入させる必要があるのだと思う。その典型例が、押井守版『攻殻機動隊』の結末なのだろう。
さいごに
一刻も早くシーズン2を視聴したいところだが、ひとまずシーズン1の総集編である『攻殻機動隊 SAC_2045 持続可能戦争』を視聴しようと思う。というのも、これはただの総集編ではなく、数々の名作映画を生み出した藤井道人が編集しているのである。超実力派監督の視点で総集された『攻殻機動隊』が、純粋に気になる。ということで、まずは総集編を視聴しようと思う。