今回は『攻殻機動隊 SAC_2045 シーズン2(以下、SAC_2045シーズン2)』について語っていく。
『攻殻機動隊』は士郎正宗の漫画が原作で、2002年に『攻殻機動隊S.A.C.』が放送される。2004年にはTVアニメ2期となる『攻殻機動隊S.A.C.2nd』が、2006年には長編アニメの『攻殻機動隊S.A.C.SSS』が放送。そして2020年に新シリーズの『攻殻機動隊 SAC_2045』のシーズン1がNetflixで配信され、2022年にシーズン2も配信された。
アニメ制作はProduction I.GとSOLA DIGITAL ARTSが担当している。
『SAC_2045シーズン2』の評価
※ネタバレ注意!
作画 | 90点 |
世界観・設定 | 84点 |
ストーリー | 85点 |
演出 | 80点 |
キャラ | 85点 |
音楽 | 82点 |
作画
フル3DCGにもすっかり慣れて、むしろ手描きアニメの方に違和感を感じそうになるぐらいだ。3DCGは相変わらずゲームっぽい感じなんだけど、心なしか、少しだけクオリティが上がったように思う。シーズン1が配信されたのは2020年で、シーズン2が配信されたのは2022年。2年もあれば、コンピュータのスペックはかなり上がっていることだろう。キャラクターの質に大きな違いはなかったけれど、背景のクオリティがかなり上がっている気がする。
世界観・設定
『SAC_2045シーズン2』では、ポストヒューマンの目的や”N”について深掘りされていた。そしてなんだかんだで”技術的特異点”に対する1つの考え方も提示していたように思える。少佐が言うように、人間が知覚できないレベルで進化してしまうのが”技術的特異点”なのかもしれない。
ストーリー
個人的に、これまでの『攻殻機動隊』の中で一番難しかったストーリーだったと思う。というのも、これまでの『攻殻機動隊』は”哲学”とか”生き方”が中心にあったけれど、今回の『SAC_2045シーズン2』はSF要素が強く、特に”N”については、頭がごちゃごちゃになってしまった。ただ、あのエンディングはなんだかんだで、本来の『攻殻機動隊』っぽいかもしれない。
演出
3DCGだからこそできる戦闘シーンが描かれたように思う。『SAC_2045シーズン2』では終盤で、再開発中の東京が舞台になっていたのだけれど、巨大クレーンが倒壊しながらの戦闘シーンが描かれていて、とてもダイナミック。カーチェイスも、なんだかんだで3DCGじゃないと難しい表現だしね。
キャラ
これまでの『攻殻機動隊』に比べて、明らかに少佐の出番が少なく、トグサ、バトー、プリンの方が主人公をしてた気がする。また、今回のラスボス的キャラであるシマムラタカシも、かなり不思議なキャラだったと思う。
音楽
主題歌はかなり現代的。というより、洋楽って感じがめちゃくちゃ強い。Netflixがある程度指示したと思うけど、この感じで正解だと思う。
……でもやっぱり菅野よう子がよかったなぁ。
『SAC_2045シーズン2』の感想
※ネタバレ注意!
あの衝撃的なラストを整理してみる【Nって何?】
さてさて。一旦『SAC_2045シーズン2』における衝撃的なラストを整理してみようと思う。
まず、少佐がシマムラタカシのコードを引っこ抜いたかどうかについては、おそらく「引っこ抜いていない」だと思う。なぜ少佐がコードを引き抜かなかったのかは説明されていないけど「Nの世界の可能性に懸けてみた」ということなのだと思う。押井守版の『攻殻機動隊』もそうだし『S.A.C.シリーズ』のTVアニメ2期もそうだったけれど、少佐は”人間の1つの上の存在”に対しては強い興味があるように思う。だから、Nの世界を受け入れてみることにしたのかもしれない。
では、そもそもNの世界とは一体なんなのか。作中でプリンは以下のように説明している。
現実を生きながら、摩擦のないもう一つの現実を生きられるようになった世界です。
『攻殻機動隊 SAC_2045』より引用
みんながみんな、自分のやりたいゲームを別々に楽しんでいる。あるいは全員が解脱したような状態で現実を生きているんだと思います。
『攻殻機動隊 SAC_2045』より引用
これはすごく説明が難しいのだけれど、”虚構と現実が共存できる世界”ということになるのではないだろうか。ラストでも描かれた通り、現実世界はちゃんと存在している。でも、それぞれの人々は「自分が最もハッピーになれる世界」を生きることができているんだと思う。言ってしまえば、悟りの状態に近い。でも、”悟り”のように精神的なアプローチではなく、あくまでも「1A84」という技術的なアプローチでなされているのがポイントだ。そしてこれが、少佐の言う”技術的特異点”で、それを自分自身で気づくことはできないようだ。
それを迎えたとき、人は自身の身に起きた進化を認識することすらできない
『攻殻機動隊 SAC_2045』より引用
では、ラストで描かれた世界は、一体、誰にとっての「自分が最もハッピーになれる世界」だったのだろうか。それはおそらく、バトーなのではないかと思う。少佐はバトーの虚構に潜り込み、すごく簡単な表現をすると、バトーの目を覚まさせたのだと思う。バトーとトグサの合図を見るに、トグサも既に目を覚ましているのかもしれない。そして少佐は、また別の人の目を覚まさせるための旅に出かけたのだ。
シマムラタカシによると、少佐は「稀に見るロマンチスト」で現実と虚構の境目が無いらしい。だから少佐がNになることはなく、そして人々のNの世界を行き来できる存在になってしまったのだと思う。
こうして振り返ってみると『攻殻機動隊S.A.C.』TVアニメ1期の第12話後半パート『映画監督の夢』を思い出す。あのとき、少佐はこんなことを言った。
夢は現実の中で戦ってこそ意味がある。他人の夢に自分を投影しているだけでは死んだも同然だ
『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』より引用
まあNの世界の場合、他人の夢ではなく自分の夢に逃げ込んでいるのだけれど。
そして映画監督は、こんなことを言った。
強い娘よの。いつかあんたの信じる現実が作れたら呼んでくれ。そのときワシらはこの映画館を出よう。
『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』より引用
つまりあのラストは「少佐が”自分の信じる現実”を作る旅に出かけた」ということなのかもしれない。
『イノセンス』と照らし合わせるとわかりやすいかも
『SAC_2045シーズン2』をもう少しわかりやすくするために、押井守版の『イノセンス』を参照しようと思う。
『イノセンス』では「人間は中途半端に悩めてしまうから愚か」だとし、そもそも悩みが存在しない人形or子供or動物になるか、意識を極限まで拡張させて神を目指すべき、というように描かれて、バトーも人間らしく、中途半端に悩んでいた。
それに対して荒巻課長や少佐は、バトーに向けて「孤独に歩め。悪をなさず、求めるところは少なく。林の中の象のように」というフレーズを引用し、神や人形なんかを目指さずに「あくまでも人間として、ほど良く生きていこう」というメッセージを残した(と、僕は解釈した)。
簡単に言うと、人間は、中途半端な意識があるから、悩んでしまう。では、悩みを完全に取り消すにはどうすればいいか。それは、動物や人形のように意識を取り除くか、神のように完全な意識を手に入れるかのどちらかということになる。押井守版における少佐は、インターネットと完全融合することで、完全な意識を手に入れている。
Nの世界も、意識と肉体の関係で説明がつく。悩める人間に対して、ビッグブラザー(シマムラタカシ)は「1A84」というコードを拡散させることで、人々の意識と肉体を分離させたのだ。これにより、人々は現実を生きながら、自分がハッピーになれる虚構の世界を感じることができるようになった。
これがユートピアなのかディストピアなのかはわからない。テクノロジーの進化に伴い、自分自身で知覚することなく、Nの世界に突入してしまうのかもしれない。
さいごに
僕は『攻殻機動隊』から色々な教訓を得ることができているのだけれど、今回の『SAC_2045』は、咀嚼が非常に難しい作品だったと言える。
そして今回の『SAC_2045シーズン2』も総集編の公開が決定済みで、どうやら違うエンディングを迎えるらしい。これを視聴してから、何が得られそうなのかをしっかり吟味しようと思う。