今回は『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語(以下、まどマギ新編)』について語っていく。
TVアニメ総編集版である『まどマギ後編』が2012年10月13日に上映された後、2013年10月26日に『まどマギ新編』が上映された。アニメ制作会社はメインスタッフは特に変更なし。ただし配給がアニプレックスからワーナー・ブラザースに変更となっている。
『まどマギ新編』の評価
※ネタバレ注意!
作画 | 93点 |
世界観・設定 | 90点 |
ストーリー | 94点 |
演出 | 90点 |
キャラ | 85点 |
音楽 | 90点 |
作画
TVアニメ『まどマギ』に比べて、新房昭之監督の個性が強くなった。『物語シリーズ』を彷彿とさせる画も多かったと思う。また、戦闘シーンの迫力も凄まじい。
世界観・設定
作画と同様に、新房昭之監督の個性が強くなった。特に、ほむらと杏子が見滝原を出ようとするシーンの美術背景は、完全に『物語シリーズ』そのものだ。そして『まどマギ』はほぼ確実に、ニーチェの超人や永劫回帰の考え方が設定に組み込まれているけど、『まどマギ新編』はそれをさらに超越してきた設定だった。考察が捗る……。
ストーリー
ストーリーは、まさに『叛逆の物語』。そして最初から最後まで”想定外”の連続だった。まさか、ほむらが悪魔になる世界が構築されるとは……。それでいて論理が破綻していないのが凄まじい。
演出
こちらも新房昭之監督特有の演出だらけ。”シャフ度”も連発された。そして映画館で上映されていることを前提に制作されているため、ヒキとヨリがより強調されている。特に、終盤で多く見られたほむらのヨリの演出は、ほむらが精神的にバグっている様子を如実に表している。
キャラ
『まどマギ新編』は、とにかくほむらの物語だった。ということで僕の頭の中はほむらでいっぱいに。笑 そしてほむらの声優が斎藤千和ということもあって、途中からほむらが『物語シリーズ』の戦場ヶ原ひたぎにしか見えなくなった。それで「戦場ヶ原ひたぎも、一歩間違えたらほむらみたいになってたかもなぁ」とか考えてみたりした。年頃の女の子というのは、感情の行き来が激しい生き物なのである。
音楽
OPの『カラフル』は素晴らしいほどの名曲。そしてEDの『君の銀の庭』は地味だけど、これも素晴らしい曲だった。それに加えて、やはり劇伴のクオリティが高い。『まどマギ』の世界観にフィットしている。
『まどマギ新編』の感想
※ネタバレ注意!
ストーリーの完成度が凄まじい
『まどマギ新編』の最大の魅力はストーリーの完成度にある。
まず前提として『まどマギ新編』はTVアニメ『まどマギ』の続きのようなストーリーだ。ただし『まどマギ』では、ほむらがいくつもの並行世界を移動できる存在というのがポイント。これによって、”新しい世界”という形でストーリーを展開することが可能になっている。だから、いくらでも脚本を書けるというのが、ストーリー構成における『まどマギ』の大きなアドバンテージだ。
そしてTVアニメの頃から『まどマギ』のストーリーにはニーチェの超人や永劫回帰のエッセンスが含まれていた。「まどかが概念になった」というのは、ニーチェの”超人”に通ずるものがある。だがそれをぶち壊してきたのが『まどマギ新編』だった。具体的には、ほむらが悪魔になり世界を再構築するという形で、まどかを概念から普通の人間に引きずりおろす。
なによりも、この怒涛の展開を描く際に、論理を一切破綻させなかったのが『まどマギ新編』の真髄である。そしてこのストーリーは、非常に考察がしやすく、かつ考察しがいのあるものなので、僕含めて多くのアニメファンが『まどマギ新編』について深く考察した。このムーブメントを引き起こしたのも『まどマギ新編』の功績であり、魅力である。
ロジックよりエモーショナル
さて、僕なりの考察をしようと思う。僕が注目したのは「ロジックよりもエモーショナル」という部分だ。おそらく『まどマギ新編』を考察しようと思うと、ロジックだけではキリがないと思う。
そもそも”ストーリー展開”というのは「こうあるべき」というのと「こうしたい」という2つの要素があると僕は考えている。「こうあるべき」というのは神様視点での考え方だ。TVアニメ『まどマギ』のストーリー展開は、まさに「こうあるべき」の考え方。一方で「こうしたい」というのはキャラ視点での考え方だ。『まどマギ新編』のストーリー展開は、ほむらの「こうしたい」という気持ちで構成されているように思う。
……これだと説明不足なので、もう少し噛み砕いてみる。
まず前提として『まどマギ』にはニーチェのエッセンスが含まれていると僕は考えている。そしてこれを前提にすると、まどかは概念(超人)になるべきだったと思う。なぜならニーチェの超人や永劫回帰を描こうとしたら、必然的にまどかは一旦超人になってもらう必要があるからだ。実際、まどかが概念になる世界というのは、ある意味『まどマギ』に”ふさわしい世界”だった。
しかしその一方で「そんなことは望んでいない!」と考えている者がいた。ほむらだ。
ほむらとしては「まどかは概念になるべき」とかそんなことはどうでもよく、とにかく何でもいいから「まどかと一緒にいたい!」という気持ちがある。だから自分自身が悪魔になって世界を再構築してしまうのだ。その世界はおそらく『まどマギ』にとってふさわしい世界ではない。この世界は紛れもなく「ほむらが望んだ世界」であり、これが「こうしたい」のストーリー展開だと僕は考えている。
ここで『まどマギ』の原点に立ち返ってみてほしい。『まどマギ』は魔法少女系の作品だ。そしてキュウべえは「特に年頃の女の子が最も感情の動きが激しいから、エネルギー抽出の効率が良い」という理由で、魔法少女によるエネルギー抽出を採用している。『まどマギ』のストーリー構成の根底にあるのはロジックではなく、エモーショナルなのだ。
結局のところ、哲学や芸術は最終的に”感情”に行き着く。「愛とはいったい何なのか?」とか「愛はなぜ存在するのか?」とという問いにぶち当たることが多い。だからそう考えると『まどマギ新編』のストーリー展開には納得がいく。単純に「ほむらにやりたいようにやらせてみたらこうなっちゃった」というのを描いたのが『まどマギ新編』だと僕は考えている。
さいごに
2021年4月に開催された10周年記念イベントで、新作映画の上映が決定された。『まどマギ新編』の正当な続編だという。
おそらく魔法少女5人全員(今は6人?)がハッピーになれるエンドが訪れるまで『まどマギ』は続いていくと考えられる。