【リリカルなのは1期感想】なのはとフェイトが友達になるまでの物語

リリカルなのは1期

今回は『魔法少女リリカルなのは(以下、リリカルなのは1期)』について語っていく。

『リリカルなのは』は、ivoryの美少女ゲー『とらいあんぐるハート3』のスピンオフ作品で、2004年秋クールに放送された。

アニメ制作はセブン・アークス、監督は新房昭之が担当した。

目次

『リリカルなのは』の評価

※ネタバレ注意!

作画88点
世界観・設定・企画84点
ストーリー80点
演出84点
キャラ84点
音楽86点
※個人的な評価です

作画

2004年制作の深夜アニメとは思えないほどの作画で、当時の京アニに匹敵する仕上がりだと思う。後半でややキャラデザのブレはあったけど、全体的に戦闘シーンの動きはよく、それでいて日常シーンの萌え要素もしっかり表現されていた。特に、なのはの笑顔がもう最高。

世界観・設定・企画

なんだかんだで「小学生が魔法少女になる」系の作品を初めて視聴した。おっさんがプリキュアを楽しめる理由を理解できた気がする。要するに、大人の世界から子供の世界を切り離しているのが、魔法少女系の作品の醍醐味なのである。

また、原作ゲームの設定が受け継がれていることで、それに準ずるシーンがいくつか見られたことから、原作ファンにも楽しめる内容に仕上がっている。もちろん、僕のような原作ゲーム未プレイ勢でも十分に楽しめる。企画としては、非常におもしろい。

ストーリー

前半は魔法少女系のストーリーで、後半からフェイトとのバトルアクションに発展していった。個人的には前半の魔法少女系のストーリーで突っ走って欲しかったけど、それだとそのほかの魔法少女系作品との差別化にならないから、フェイトのバトルや友情愛にフォーカスしたのだと思う。

一方で、やはり「子どもとしてのなのは」が軸になっているのは間違いなく、なのはとフェイトが友だちになっていく過程は、なんとも言えない感動があった。

演出

第1話の逆・作画崩壊なんてのもあったけど、全体的に演出のクオリティは高く、のちに数多くの名作を制作することになる新房昭之らしさが出ているカットも多く見受けられた。特に、背景を全面に押し出すカットや、登場人物が影絵になるカットは、シャフトらしさがある。実写的なカメラワークが多いのも特徴で、海上での戦闘シーンで、レンズに水滴がつく演出が、それを象徴している。

キャラ

圧倒的なのは。とにかく、なのはが可愛い。なのはの声を担当している田村ゆかりのトロトロの声が爆発している。たしかに、これはゆかりんの代表キャラだ。

それに加えて「子供の世界を生き抜く」という意味で、なのはは聖人レベルに完ストしている気がする。小学3年生にして、すでに自立しちゃってるわけで、しかもフェイトを闇から救い出そうとしているのである。「子供のなのに……」なのか、「子供だから……」なのか、どちらにしてもなのはは健気な女の子である。

音楽

実は『リリカルなのは1期』を視聴中に『キンスパ2024』に行ってきて、水樹奈々と田村ゆかりのコラボを目撃させていただいた。OP『innocent starter』とED『Little Wish 〜lyrical step〜』はどちらも大好きな曲で、特にゆかりんの甘くて耳がトロける声が最強すぎる。

劇伴のピアノバラードも個人的には好きだ。

『リリカルなのは』の感想

※ネタバレ注意!

子どもの運動会を見ているのに近い

『リリカルなのは』は、僕にとって初めての魔法少女系アニメになった。一応『まどマギ』は見たことがあるけど、あれはJKの心情を描いた作品だから、『プリキュア』や『リリカルなのは』のようにJSをテーマにした作品とは少し異なる。

一方で、魔法少女系作品には、いくつかの共通点というか、ルールみたいなものがある。とりわけ重要なのは「大人の世界から子供の世界を切り離している」ということだ。例えば今回の『リリカルなのは』の中では、高町家が、なのはが具体的にどんなことをしているのかを、よく知らずにいる。同じく、ほかの魔法少女系作品でも、大人たちは、子供たちが魔法少女として活躍していることを知らずにいる。しかしそれでも子どもたちを信じて、親は子供を送り出すのである。

これには2つのメッセージ性がある。1つ目は、子供目線で見たときに、親から自立することを促しているということだ。子供たちは魔法という道具を武器に、大人の世界から自立して、自分たちで意識決定をする。そういう意味では『プリキュア』が果たしている社会的意義は、意外に大きいのかもしれない。子どもたちに「自立心」を芽生えさせるための作品作りをしているからだ。

そして、もう一つは、大人目線で見たときに、子どもが親からいつか羽ばたいていくということである。それと同時に、子供たちは大人の世界からは見えない場所で、自分なりに頑張っているということである。
実際、親は子供たちの学校生活を見ることができない。子供たちがどんな学校生活を送っているのか、たしかに不安になるけれど、それでも大人は、子供たちを優しく見送ることしかできないのである。でもやっぱり子供たちは自分なりに成長していて、そしていつか大人たちが全く知らない世界へと羽ばたいていくのだ。

だから『リリカルなのは』のような魔法少女系アニメを見るのは、運動会や卒業式を見るのに近い。僕たちは『リリカルなのは』を見て「こんなに頑張っていたんだ」とか「こんなに成長していたんだ」という感情を抱くのである。

ただし、やや穿った見方をすると、これは恋愛や育児から距離の遠い童貞オタクたちの悲しい現実逃避だとも言える。そう考えれば『プリキュア』がおっさんに大人気なのも頷けてしまう。

なのはは魔法少女として完璧すぎる

とにかく、なのはが可愛い。そして尊い。ゆかりんの声も抜群だし、クリエイターの方々による映像表現も素晴らしく、なのはの可愛さを存分に引き出すことに成功している。

一方で、僕は思うのだけど、なのははあまりにも魔法少女として完璧すぎではないだろうか。実際、全13話の中で、なのはがネガティブになることはほとんどなかった。それどころか、闇堕ちしかけていたフェイトと友達になろうとまでした。力と欲に溺れる『まどマギ』のストーリーを知っているだけに、なのはがあまりにも魔法少女として完璧なのが、どうも気がかりなのである。

一応、なのはとしても自覚症状があるようで、その理由として、なのはは「小さい頃は1人だったから」ということを挙げていた。たしかに、小さい頃から1人だったことで、自然と自立心が芽生えるのはわかる。

これは、おそらくだが、原作の『とらハ3』をプレイしないとわからないのかもしれない。多分、高町家には想像を絶するような辛い過去があって、多分、なのはは、その蚊帳の外だったのだろう。でも、そんななのはが、いつの間にすごく成長していて……。そう考えると、原作プレイ勢からしたら、なのはの成長はとても感動的なのかもしれない。

さいごに

2004年制作であることを考えると、下手すると『リリカルなのは1期』は2004年アニメの覇権作品かもしれない。と思って一応調べてみたら『攻殻機動隊S.A.C.2期』とか『ガンダムSEED DESTINY』などのSFロボット作品が人気だった頃らしく、そう考えるとやっぱり、萌えアニメという括りでは『リリカルなのは1期』がダントツだった可能性が高い。

実際、萌えアニメとは思えないほどにクオリティは高い。深夜アニメ向けにアクションバトルを増やしたのが、資金集めで功を奏した可能性がある。そのおかげで、前半部分の超高品質の魔法少女シーンが見られたのだから、それで僕は満足である。

引き続き『リリカルなのは』シリーズを視聴していこうと思う。

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