今回は『私の百合はお仕事です!(以下、わたゆり)』について語っていく。
『わたゆり』はコミック百合姫(一迅社)で連載されている漫画が原作だ。この『わたゆり』が2023年春クールに放送される。
アニメ制作はパッショーネとスタジオリングスが担当した。
『わたゆり』の評価
※ネタバレ注意!
作画 | 79点 |
世界観・設定 | 65点 |
ストーリー | 70点 |
演出 | 75点 |
キャラ | 70点 |
音楽 | 70点 |
作画
作画のクオリティは想像以上に高かった。パッショーネと言えば『ひぐらしのなく頃に!業』などで有名で、たしかにこのアニメスタジオは、作画のクオリティが全体的に高めだ。だから『わたゆり』の作画がまあまあ良いのも納得がいく。
全体的に淡いキャラデザになっていて、これは近年よく見られるタイプのキャラデザでもある。動きも丁寧に描かれている。作画のクオリティは十分だと言えるだろう。
世界観・設定
僕はあまり百合作品を見ていないけれど、『わたゆり』は多分、百合作品の中でも鬱要素が大きい作品だと思う。それはそれでリアリティがあるということなのかもしれない。
あと、コンセプトカフェの設定が謎(笑)。 こうして作品になっているわけだから、本当にこういうコンセプトのカフェが存在するということなのだろう。と思っていたら、実際は百合をコンセプトにしたカフェは日本に全く存在していないらしい。でも『わたゆり』みたいにちょっと宝塚みたいな感じの百合系コンカフェはそれ相応に需要があると思うな。従業員の高度な演技力が求められるけど。
ストーリー
メインキャラである陽芽と矢野が仲直りするまでの第6話までは、見ていて非常に辛いものがあった。正直、胸糞悪い。多分、大多数の視聴者が早い段階で切ったと思う。僕も、切ろうと思った。でも、ちゃんと見ていると、仲直りするまでの過程がしっかり描かれているのがわかる。
また、僕はこういう”胸糞悪い系の作品”は頑張って最後まで見ることにしていて、なぜなら「胸糞悪い気分」にさせるのも一種のエンタメだと思っているからだ。視聴者の感情を動かせているという意味では『わたゆり』はよくできた作品だと思う。
演出
ということで、かなり胸糞悪い演出が多い。陽芽ちゃんが感じるストレスを追体験してしまう。先ほども述べたが胸糞悪い気分にさせるのも一種のエンタメなわけだから、そう考えると、演出はよくできている。エモーショナルだ。
キャラ
キャラはかなりキツい。日常系に登場する表裏が激しくない可愛いキャラが好きな萌え豚系のアニメオタクからすると『わたゆり』に登場するキャラは嫌悪感しかないと思う。でも、実際の女子なんてこんなものだろう。
全体的に、乙女心がしっかりキャラに落とし込まれていると思う。乙女特有の矛盾した立ち振る舞いが顕著に表れていた。原作者の未幡先生は多分女性だと思うのだけれど、どうだろうか。
音楽
そもそも僕は2023年11月に控えた小倉唯のライブのために、小倉唯がタイアップしているアニメを見ているという経緯がある。それで肝心のOP『秘密♡Melody』だが、まずまずというところ。可愛らしくてちょっと優雅で、歌詞がいい意味であどけなさがある感じ。
『わたゆり』の感想
※ネタバレ注意!
胸糞悪いけど我慢した先には……
『わたゆり』は正直胸糞悪い。僕は小倉唯のライブのために『わたゆり』を視聴しようと思ったのだが、そうでなかったら、もしかしたら早い段階で切っていたと思う。ただ、僕はアニメを途中から切れない人間ということもあり、ちゃんと最後まで見ようと思った。そしたら案外、ストーリーを最後まで楽しむことができた。
まず大前提として『わたゆり』はアニメ作品としてのクオリティがまずまず高い。これは、間違いなく言える。世界観の作り込みからキャラクターの動きまで『わたゆり』はちゃんと丁寧に作られている。そこら辺の異世界転生アニメや、ラノベ原作アニメよりも遥かにちゃんとアニメをやっていると思う。上の下まではいかないかもしれないが、間違いなく中の上まではいっている感じ。
僕が『わたゆり』を最後まで見ようと思ったのも、アニメ作品としてクオリティがまずまず高かったのが大きい。クオリティが高いということは、それだけアニメ制作に力を入れているということだし、つまり、ちゃんとお金をかけているということでもある。だから僕は「見ておく価値がある」と判断できた。
実際、陽芽と矢野のやり取りや、胸糞悪い回想エピソードを見るのは苦行だったけれど、一周回って、新しい視聴体験を味わうことができた(と前向きに考えることにした)。そして多分『わたゆり』は男性向けというより女性向けっぽいことも理解できた。
それに第6話『嘘は必要ないのですか?』以降は、少なくとも陽芽と矢野の関係性は改善されたので、スッキリした気持ちで見ることができた。果乃子と純加のやり取りに関しては普通に楽しめたし、なんならめちゃくちゃ現代的なストーリーだなって思った。女の子の世界って奥が深いなぁ。
建前とコンカフェの使い方が見事
『わたゆり』のテーマは「建前」や「嘘」だと思う。人間というのは表裏のある生き物で、本音と建前を使い分けることができる唯一の生物だ。
主人公の白木陽芽は建前を使うのが大変上手。一方、メインヒロイン(?)の矢野美月は建前を使うのが大変下手。だから一見すると、陽芽の方が人付き合いが上手いと言えるし、陽芽と矢野であれば陽芽の方が一枚上手を取れるようにも感じられる。だが、実際はそうじゃないのだ。
まず、陽芽はたしかに建前が上手だけど、本音の使い方が下手だ。建前が上手いがゆえに、本音の出しどころが非常に難しくなっている。それに、ちょっと正義感があるキャラということもあって、本来であれば自分を守るために使うべき”建前”を、建前が下手な友人のために使えてしまう(これが陽芽の魅力)。また、陽芽の信条が「言わないとわからない!」ということもあり、相手の建前と本音を読み取る能力が、もしかしたら比較的ないのかもしれない。実際、陽芽は矢野や果乃子が考えていることをわからなかったわけだし。
一方、矢野はたしかに建前が上手くないのだけれど、ここに”コンカフェ”という要素が入ってくるのがおもしろい。『わたゆり』に登場するコンカフェ・リーベ女学園で、矢野美月は綾小路美月をちゃんと演じることができている(馬鹿みたいに真面目だから)。だから陽芽からすると、矢野美月と綾小路美月のどっちが本当の気持ちなのかがよくわからなくなってしまっているのだ。実際、僕も途中までわからなかった。
これが『わたゆり』の魔法なのである。本音と建前をごちゃごちゃにする装置として、リーベ女学園というコンカフェを世界に組み込んだのだ。そうすると、あら不思議。矢野の本音がもっとわかりづらくなった。『わたゆり』におけるツンデレは、他作品のありがちなツンデレとは質が異なる。
『わたゆり』のツンデレは、破綻していない。ちゃんと”好き”という気持ちがある前提で、ツンデレがしっかり乗っかっている。だが、このようなツンデレは極めて単純なので、見ている側としてもわかりやすい。だからリーベ女学園という本音と建前をぐちゃぐちゃにする魔法を施したのだ。これで『わたゆり』のツンデレが一気に複雑なものになった。リーベ女学園の設定自体は、ちょっと”作られた感”が否めないけど、それでも非常に良いアイデアだと思う。
そうそう。『わたゆり』は全体的に現代的だ。陽芽と矢野のやり取りもそうだし、純加と果乃子の関係性も極めて現代的。この感じはどこか『聲の形』を彷彿とさせるのだが、もしかして『わたゆり』は『聲の形』にかなり影響を受けてるんじゃないかなと思う。発表のタイミングを見ても、これは十分にあり得る。
そして、現代的な人間関係を描かせるのであれば、現状として男性よりも女性の方が適しているのかもしれない。
さいごに
あらためてこうして文章にして自分の感想をまとめると、新たな気づきを得られることがある。本記事は、その典型例だ。『わたゆり』という作品から、ここまで多くのことを学べると思わなかった。パッショーネはたしかに良いアニメ制作会社だけど、全作品を追うほどのモチベーションは僕にはなかった。だから、小倉唯のライブが無かったら、多分僕は、この作品に出会うことがなかったと思う。
百合も本気を出せば、萌えを超越した新しいジャンルになるんじゃなかろうか。もしかしたら僕が知らないだけで、百合作品の中でも、極めてメッセージ性のある作品が存在するのかもしれない。百合作品もガンガン開拓しようと思う。