【崖の上のポニョ感想】『となりのトトロ』の海バージョン?

崖の上のポニョ
星島てる
アニメ好きの20代。ライターで生活費を稼ぎながら、アニメ聖地の旅に出ている者です。アニメ作品の視聴数は600作品以上。

今回は『崖の上のポニョ』について語っていく。

『崖の上のポニョ』は、宮崎駿が原作・脚本・監督を務める長編アニメーション映画で、2008年に公開された。アニメ制作はスタジオジブリが担当している。

目次

『崖の上のポニョ』の評価

※ネタバレ注意!

作画95点
世界観・設定88点
ストーリー85点
演出88点
キャラ85点
音楽87点
※個人的な評価です

作画

徹底的な手描きが特徴。特に海や波のシーンも全部手描きで表現しているのがすごいというか、普通に大変だなぁと思う。2008年ごろから、すでにアニメ作品において、海や波は3DCGで表現することが当たり前だったから、その中で『崖の上のポニョ』は原点回帰的な作画になっていると感じる。

ほかにも、ポニョの妹(?)の群れとか、もう普通に数の暴力で、圧巻だった。

世界観・設定

簡単に言えば『となりのトトロ』の海Ver.という感じの世界観だった。人間生活によって海が汚れているところもしっかり表現していて、そこは宮崎駿のジブリ作品らしいと感じる。思えば、これまで海を舞台にしたジブリ作品はほとんどなかったわけで、そういう意味では斬新だったかも。

一方で、世界観の説明はほとんどなされておらず、個人的には消化不足だった。

ストーリー

起承転結がほとんどなされていない勢いだけのストーリー、という感じ。僕みたいに理屈で考える大人からしたらちょっと物足りないかもしれないけれど、感性で作品を視聴する人(というか子ども)であれば、大いに楽しめるストーリーになっている。特にエンディングなんかは、完全に勢いなのだけれど、これはこれで良いと思う。

演出

A面はポニョと宗介の友情みたいなものだけれど、B面は家族愛が描かれていたと思う。それで、やはり『崖の上のポニョ』を見ていると、親と子どもが抱き合うシーンとか心配し合うシーンが、とても印象に残る。これはなんだかんだで、これまでのジブリ作品ではあまり見られなかったシーンだった。特に宗介とリサが抱き合うシーンとか、人間の柔らかさが伝わってきて「本当にジブリはすごいなぁ」と思う。

キャラ

なんだろう。とにかく明るくて暖かいキャラが多い気がする。宮崎駿作品って、かなり理屈的で、それに伴う形で、キャラクターの大半がロジカルで動いたり、強い信念を感じさせたりして、それがどこか浮世離れしている印象があった。でも『崖の上のポニョ』に登場するキャラは、いずれも暖かくて、かと言って感情で動いているわけではなく、ちゃんと知性がある。このバランス感覚が、これまでのジブリ作品とは違う点かもしれない。

音楽

やっぱり『崖の上のポニョ』がとても印象的。様々なサウンドアレンジをしながら、劇伴で何回も登場した。印象的なメロディーを1つ作れれば、それをサウンドアレンジして、使いまわせるわけだ。

『崖の上のポニョ』の感想

※ネタバレ注意!

宮崎駿作品の中でもかなり異質

宮崎駿作品は、どれも知性があって、かなり理屈的な作品が多かったと思う。一度作品を作ったら、それに対してある程度の答えを示していたのが宮崎駿作品で、そのために、物語を通して世界観を視聴者にしっかり届けていた。だが今回の『崖の上のポニョ』は、知性は感じるものの、理屈で作られていない印象を受けた。ストーリーの進み方も、そこら辺のキッズ向けアニメよりも、雑と言えば雑である。でもそれはおそらく宮崎駿が意図したもので、言ってしまえば”勢いだけ”のストーリーなのだけれど、その結果とてもわかりやすくなり、多くの人(とりわけ子どもたち)に作品のメッセージ性を届けることに成功していると思われる。

一方で、理屈でしっかり考えたい人にとってはやや物足りないストーリーになったのは間違いなく、特にエンディングはパッとしない。

これまでのジブリ作品は、とにかく緻密で、特に世界観の説明の仕方や、伏線回収は、相当にスクリプトをこだわってきたのがわかった。でも今回の『崖の上のポニョ』は一周回って、世界観をほとんど説明しないどころか、伏線も提示せず、とにかく勢いで、ポニョと宗介の成り行きに任せて、ストーリーを制作した感じがある。「宮崎駿が緻密に作り上げた世界観が楽しめない!」というデメリットはあるけれど、一方で大衆的な作品を作ることには成功したように思える。実際、興収も中々良かったっぽい。

ストーリーが物足りない理由

これまで宮崎駿は『風の谷のナウシカ』や『もののけ姫』などの作品を通して、人間と自然の関係性を描いていたように思う。そして『崖の上のポニョ』の世界観も、この延長線上にある。

元々、生命は海から誕生したと考えられており、一方で現代は、人間が全盛期の時代。つまり、陸が全盛期の時代だ。そして人間が文明を発達させるたびに、森林は切り開かれ、汚水やゴミが海に垂れ流しにされる。んで、それに対して自然が反発する様子を描いたのが『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』だった。

今回の『崖の上のポニョ』も、フジモトが「生命の水」を使って「海の時代」を再現しようとした。だが、その辺の説明というか、経緯はほとんど語られず、普通にハッピーエンドに終わってしまうのである。

一応、フジモトがポニョ(子ども)を想う気持ちというか、その辺はとても温かいものがあった。一方で、海が汚れていくことに対して、どのような答えが提示されるのかについては、ほとんど触れられず、それがストーリーの物足りなさに繋がってしまった。

そう考えると『崖の上のポニョ』という作品は、人間VS海を描きたかったわけではないのかもしれない。ストーリーの進行具合を見るに『崖の上のポニョ』は、ポニョと宗介の自立の物語であり、フジモトとリサの子ども離れの物語だったとも言える。

よくよく考えてみれば、”子どもたちの自立”というのは『となりのトトロ』『魔女の宅急便』の頃から描かれていたスタジオジブリの普遍的なテーマだと思う。だからそこに注目していければ、特に子どもを持つような年齢になれば『崖の上のポニョ』の見方は、また変わってくるかもしれないと思った。

さいごに

『君たちはどう生きるか』が相当に意味不明だったことがネット上で話題になっていたけれど、時を遡ると、この『崖の上のポニョ』から、宮崎駿のストーリーの作り方が大きく変わっていたのかもしれない。

“勢い”を重視したストーリー設計は、言われてみれば現代的で、作者の予想をいい意味で裏切るストーリーになることも珍しくない。その結果、ストーリーが理路整然としないことも珍しくないが、そういったところからメッセージ性を見出せるかどうかが、オタクの腕の見せ所になってきていると思う。そのためには芸術に対する理解が必要不可欠で、そう言われると『崖の上のポニョ』はたしかに芸術的でクリエイティブな作品だったと思う。

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