今回は『好きでも嫌いなあまのじゃく』について語っていく。
『好きでも嫌いなあまのじゃく』は、スタジオコロリドによるアニメオリジナル作品で、2024年5月に公開された。
監督は『泣きたい私は猫をかぶる』で監督デビューした柴山智隆、アニメ制作はスタジオコロリドが担当した。
『好きでも嫌いなあまのじゃく』の評価
※ネタバレ注意!
作画 | 82点 |
世界観・設定・企画 | 79点 |
ストーリー | 73点 |
演出 | 76点 |
キャラ | 70点 |
音楽 | 75点 |
作画
正直に言うと、これまでのスタジオコロリド作品に比べると、作画は微妙に感じられる。キャラクターの動きが特別すごいわけでもないし、新海誠作品並みの美術背景が構築されているわけでもない。もちろん、全体として品質は高いが「スタジオコロリドの割には……」という感じは否めない。多分、資金の問題だとは思う。
世界観・設定・企画
雪隠れの村・隠の郷(なばりのさと)は、スタジオコロリドっぽい世界観ではあるが、全体的に『千と千尋の神隠し』や『すずめの戸締まり』とダブりすぎていて「雪」と「鬼」ぐらいしか個性がない。そのうえ「雪」に関しては、たしかに高品質な美術背景に仕上がっていたが、全体として見栄えが悪いのは否めなく、インパクトに欠ける。
一方で、日常と非日常をミックスさせて人間関係の在り方を描くスタイルは、スタジオコロリドらしいなぁと思う。でもそれも「P.A.WORKSで間に合ってはいるんだよなぁ」という感じで、何かもう一つ欲しい感じだ。難しいなぁ。
ストーリー
全体的なストーリー構成は、王道の冒険モノである。が、最近上映された『すずめの戸締まり』とダブりすぎて、それがちょっと気がかり。
旅系のストーリーは、場面転換が多いことから、個人的にはストーリーに飽きることはなかった。最終的に自分の手で変化をもたらそうとするシナリオも好きだ。でも、なんか軸がブレブレな感じは否めず、ラストの告白シーンが、それに拍車をかけた。
演出
同時期に『デデデデ後章』や『劇場版ウマ娘』などの癖の強い演出を多用する作品を見たばかりだから、今回の『好きでも嫌いなあまのじゃく』の演出が地味に感じてしまう。「すごい!」と悟らせない演出力があるのはわかるが、やっぱり現代人は、美化された強い刺激に慣れてしまっているわけで、ここはしっかり抑えておいた方がいいのではないかと思う。
キャラ
キャラは、良くも悪くも普通なのかな?
スタジオコロリド作品は、割と芸能人起用が多くて、それが癖に繋がっていたように思う。だが今回の『好きでも嫌いなあまのじゃく』は、芸能人を起用することもなく、強烈なキャラを作っているわけでもないので「なんだかなぁ」という感じである。
音楽
主題歌は、ずとまよの『嘘じゃない』と『Blues in the Closet』で、現代風のチルな感じが作品の世界観に合っている。
『好きでも嫌いなあまのじゃく』の感想
※ネタバレ注意!
正直、個人的には微妙です
スタジオコロリド制作だから、期待値高めで視聴したのだけど、正直、個人的には微妙だった。スタジオコロリドと言えば、美しい美術背景と作画を用いた映像表現だと思う。でも『好きでも嫌いなあまのじゃく』の作画は、特別すごいというわけではなく、TVアニメでありがちな感じだった。前提として、この『好きでも嫌いなあまのじゃく』は、映画館上映と同時にネトフリでも配信されるから、必ずしも映画館に最適化する必要がない。
でも、映画館でも上映するんだったら、やっぱり大画面で楽しめる迫力のある作画を提供すべきなのではないかと思う。そして少なくとも、これまでのスタジオコロリド作品は、迫力のあるアニメーション表現が魅力だったはずだ。特に『雨を告げる漂流団地』なんかは、新海誠作品に匹敵すると思わされたほどだ。
だが、今回の『好きでも嫌いでもないあまのじゃく』は、新海誠作品ほどのインパクトはないし、メッセージ性が強いわけでもなかった。それでいて大衆的なエンタメにも欠けるとなると、いよいよ良いところが無くなってくる。
僕はスタジオコロリドの内情をよく知らないが、これこそ「ネトフリアニメがつまらない」という現象なのだろう。「ネトフリの資金があるから、自力で黒字を目指す必要がない」という環境が「おもしろいアニメを作る!」というモチベーションを損なわせているのではないだろうか。
それに加えて『好きでも嫌いなあまのじゃく』は、個性や文脈に欠ける印象がある。例えば『雨を告げる漂流団地』は、日本各地にある団地が老朽化しているという事実に対して、スタジオコロリドが得意とする美術背景をミックスさせていて、唯一無二の作品に仕上がった。一方の『好きでも嫌いなあまのじゃく』は、たしかに「雪」と「鬼」をからめた世界観は魅力的だが「正直になる」というメッセージ性が、他作品でよく見かけるものだ(特に超平和バスターズ作品)。
もちろん、映像表現が素晴らしかったら、個人的には内容とかどうでもよくなるのだけど、同時期に公開された『デデデデ』や『劇場版ウマ娘』に比べると面白味に欠ける。ということで『好きでも嫌いなあまのじゃく』は、なんだかよくわからない作品になってしまった(個人的な意見)。
自分に嘘をつくと「鬼」になる
『好きでも嫌いなあまのじゃく』の世界では、自分に嘘をつくと「鬼」になってしまうらしく、そんな鬼たちが集まる里が「隠の郷(なばりのさと)」らしい。それでヒロインのツムギは、お母さん(しおん)を探すために旅に出たのだが、なんとそのお母さんは、隠の郷を維持するための生贄にさせられていたのだ。そのお母さんも、自分で「No!」とは言えない典型的な「鬼」で、そんな自己主張できない鬼どもが、自らの保身のために、隠の郷を隠し続ける。
だがそれも限界を迎えることになる。ストレスが溜まりすぎたのか、しおんは何もかもがどうでもよくなり、雪の神が暴走。隠の郷に住む鬼たちを喰らい続ける。
この作品は、自己主張できなかった柊が、自己主張できるようになるまでの物語であり、その装置として「鬼」や「隠の郷」などのファンタジー要素が用いられている。
この作品が視聴者に伝えたいのは「とりあえず自分に嘘をつくな!」ということなのだと思うけど、それにしても伝え方の部分がなんとも言えない感じがする。
さいごに
あくまでも個人的な感想だが、本作によって、スタジオコロリドに対する印象がちょっとマイナスに傾いた。コロリドは「新進気鋭のアニメスタジオ」という謳い文句だが、同じく新進気鋭のアニメスタジオのCLAPは、たしかな実績を残しつつある。一方のスタジオコロリドは、国際アニメーション映画祭を狙いにいくわけでもなく、ひとまずNetflixのお金でアニメを作っているという感じだ。もちろんそれは、製作者サイドにとっては極めて重要なことだが、何よりもアニメとは、視聴者にメッセージを届けるために存在するメディアであり、それが失われて、産業としてアニメを捉えてしまうと、逆に視聴者が作品から離れてしまう。
結局のところ、アニメ制作会社として独立していくためには、Netflixに頼りすぎずに、おもしろいアニメを継続的に制作していくしかないと思う。